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RE:LIGHT  作者: SORA
第1巻「失われた日」

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第4話「青い光」


 二人は、変わってしまった町へ歩き出した。校門を出て、いつもの道へ向かう。レイが毎朝、学校へ通っていた道だった。


 けれど、数十メートルも進まないうちに足が止まった。道路の真ん中が、大きく割れていた。アスファルトが持ち上がり、向こう側との間に深い亀裂が走っている。


「ここ、通れないな」


 父が亀裂の先を見る。

 レイも覗き込んだ。


 昨日までなら、家まで歩いてそれほどかからない。でも今日は、その道をまっすぐ進むことすらできなかった。


「こっちから回ろう」


 父が脇道を指さした。

 レイは頷いた。

 住宅街へ入る。


 遠回りを続けるうちに、レイは自分が知っている道を何度も見失いそうになった。曲がり角にあった塀が崩れている。目印にしていた店のシャッターが歪んでいる。


 いつも通っていた細い道には、倒れた物置が横たわっていた。


「こっちで合ってるよね」


「ああ。合ってる」


 父が答える。


 それでもレイは何度も周囲を見た。毎日歩いていた町なのに、知っている景色が少しずつ別の形へ変わっている。途中、小さな公園の前を通った。


 ブランコは片方が外れ、地面には亀裂が走っていた。昨日までなら、夕方になると小さな子どもたちが遊んでいた場所だ。


 今は誰もいない。


 レイは足を止めずに通り過ぎた。家に近づくほど、胸の奥が騒がしくなる。


 見たい。

 でも、見るのが怖い。

 家が無事なら。


 母が帰っていたら。

 ルカが玄関で待っていたら。


 何度もそんな光景を思い浮かべる。そのたびに、別の想像が割り込んできた。レイはそれを振り払うように歩いた。


 崩れた塀。

 傾いた電柱。

 道路へ飛び出した瓦や木材。


 窓ガラスが割れた家もあれば、外から見ればほとんど昨日と変わらない家もあった。その違いが、かえって不気味だった。人が何人か、道路の上に立っていた。


 家の前で名前を呼んでいる人。


 倒れた自転車を起こしている人。荷物を抱えて避難所の方向へ歩いていく家族。


 町はなくなってはいなかった。


 けれど、昨日までの町でもなかった。レイは歩きながら、何度もスマホを見る。


 母からの連絡はない。


「父さん」


「ん?」


「母さん、家に戻ってるかな」


「戻れる状況なら、戻ってるかもしれない」


「……そっか」


 それ以上は聞かなかった。

 父にも分からない。


 分かっているのは、家へ行くしかないということだけだった。しばらく進むと、また人だかりが見えた。道の先に、倒れた電柱が横たわっている。


 電線が道路を塞いでいた。


「こっちも駄目か……」


 父が立ち止まる。


 近くにいた男が声をかけてきた。


「向こうの細い道なら抜けられるみたいです。ただ、途中で家が崩れてて」


「ありがとうございます」


 父が頭を下げる。

 二人はさらに遠回りした。


 レイはだんだん歩く速度を上げていた。


「レイ、急ぐな」


「でも」


「足元見ろ。ガラスだらけだ」


 レイは足元を見る。


 割れたガラスが朝日に光っていた。


「怪我したら家まで行けなくなるぞ」


「……分かった」


 そう答えても、気持ちは先へ先へと走っていた。


 細い路地へ入った。


 そこには、壁の一部が崩れた家があった。家の前で年配の女性が、一人で倒れた棚を動かそうとしている。


 父が足を止めた。


「大丈夫ですか?」


「あ……すみません。中に薬があって……」


 父はレイを見る。


 一瞬だけ、レイは家の方向を見た。


 早く行きたい。

 ルカが待っている。

 母だっているかもしれない。


 でも。


「……手伝おう」


 レイが言った。

 父が頷いた。

 二人で棚を持ち上げる。


 完全には動かなかったが、人が通れる隙間ができた。


「ありがとうございます、本当に……」


 女性が何度も頭を下げた。


「気をつけてください」


 父がそう言って、再び歩き出す。


 レイも後を追った。

 少しだけ時間を使った。


 それでも、見捨てて進むことはできなかった。


 さらに進む。

 時々、地面が小さく揺れた。


 そのたびに二人は立ち止まり、周囲を見る。


 崩れそうな壁から離れる。


 揺れが収まってから、また歩く。いつもなら何でもない距離が、ひどく遠かった。やがて、見覚えのある交差点が見えた。


 レイの足が速くなる。


「父さん!」


「ああ。ここまで来た」


 この先を曲がれば、自宅のある通りだ。


 レイは走り出しかけた。

 その腕を父が掴む。


「待て」


「なんで!」


「まだ危ない。俺の後ろを歩け」


「でもルカが!」


「分かってる!」


 父の声が響いた。

 レイが止まる。

 父は一度息を吐いた。


「……俺だって早く行きたい」


 レイは父の顔を見る。


「母さんがいるかもしれない」


 父も同じだった。

 レイは黙って頷いた。

 二人は角を曲がった。


 自宅のある通りが見える。

 レイは息を呑んだ。

 何軒かの家は形を保っている。


 塀が崩れただけの家もある。

 屋根の一部が落ちた家。

 壁に大きな亀裂が入った家。


 そして。


「……家」


 蒼宮家も、そこにあった。

 完全には崩れていない。

 けれど、無事でもなかった。


 一階の窓が割れている。


 外壁の一部が崩れ、玄関の周囲には瓦礫が散らばっていた。


 レイが駆け出す。


「レイ!」


 父の声も聞かず、家の前まで走った。


「母さん!」


 父も家へ向かって声を張り上げた。


「母さん! いたら返事してくれ!」


 返事はない。


「ルカ!」


 返事はない。


「ルカ!!」


 レイは割れた窓を見る。

 カーテンが風に揺れていた。


 窓枠には大きな隙間ができている。


 猫なら通れる。


「……外に出た?」


 父が追いついてきた。


「中にいるかもしれない。まず呼ぼう」


「ルカ!」


 二人で何度も名前を呼んだ。

 返事はなかった。

 玄関は歪んでいた。


 父が力を入れても、すぐには開かない。


「下がってろ」


 何度か押し、ようやく人一人が通れるほどの隙間ができた。


「俺が先に見る」


「僕も行く」


「床がどうなってるか分からない」


「ルカがいるかもしれないだろ!」


 父は少し迷った。


「……俺から離れるな」


 二人は家へ入った。

 昨日の朝まで、家だった場所。

 食器が床に散らばっている。


 棚が倒れている。

 壁には亀裂。


 リビングのソファも大きくずれていた。


 レイはその光景を見つめた。


 ここで昨日、朝ごはんを食べた。


 母が笑っていた。

 父がコーヒーを飲んでいた。

 ルカがレイの真似をしていた。


 ほんの一日前のことだった。


「ルカ……?」


 レイは足元を確かめながら進む。


 ソファの下。

 テーブルの陰。

 階段の近く。


「ルカ」


 いない。


 父は母の名前を呼びながら、一階を確認している。


 返事はない。

 父はスマホを取り出した。


 画面を確認して、もう一度母へ電話をかける。


 やはり繋がらなかった。


「……母さん、帰ってきてないんだね」


「ああ」


 父は短く答えた。

 レイは玄関の方を見る。


「どっか別の避難所に行けてればいいけど……」


「地震のとき外にいたんだ。家に戻れなくて、近くの避難所にいる可能性はある」


「……うん」


「今は、そう信じよう」


 父はそう言ったが、スマホを握る手は離さなかった。


「二階は危ない」


 父が階段を見上げる。

 途中の壁が崩れていた。

 レイは唇を噛む。


「ルカなら返事するよ」


「ああ」


「呼んだら、いつも来る」


「……ああ」


 でも来ない。


 レイはもう一度、割れた窓を見る。


「ここから出たんだ」


 そう思いたかった。

 家の中にいないなら。

 外へ逃げた。


 きっとそうだ。


「探す」


 レイが言った。


「近くにいるかもしれない」


 父も頷いた。


「遠くには行ってないはずだ」


 二人は家の外へ出た。


 家の中を探し終えても、レイはすぐには外へ出られなかった。自分の部屋へ続く階段を見上げる。壁が崩れ、途中には破片が落ちている。


 二階には、自分のベッドがある。昨夜までルカが隣で寝ていた場所。


「レイ」


 父に呼ばれて、ようやく視線を戻した。


「……うん」


 外へ出る。


 玄関の前で、レイはしゃがんだ。瓦礫の間に、小さな黒い毛が落ちていないか探す。


 何もない。

 足跡も分からない。


「ルカ、どっち行ったんだよ」


 返事はない。


 父は近所の人に声をかけて回った。レイも反対側の家へ聞きに行く。


 青く光る黒猫。


 説明すれば、見ていれば忘れないはずだった。


 けれど、誰も見ていなかった。

 一軒。

 また一軒。


 答えを聞くたびに、レイの声が少しずつ小さくなる。それでも次の家では、また同じように聞いた。


「黒い猫、見ませんでしたか?」


 諦めるという選択肢だけは、最初からなかった。


「ルカー!」


 通りを歩く。


「ルカ!」


 近所の庭。

 車の下。

 崩れた塀の隙間。


 レイは覗ける場所を片っ端から確認した。


「にゃーって返事しろよ!」


 返事はない。

 時間だけが過ぎていく。

 近所の人にも聞いた。


「黒い猫、見ませんでしたか? 青い模様があって……光るんです」


「ごめんね、見てないわ」


 別の人も首を振った。

 レイはまた歩く。

 父が後ろからついてくる。


「レイ、一回水飲め」


「あとでいい」


「駄目だ」


「でも――」


「倒れたら探せない」


 レイは黙って水を受け取った。

 一口だけ飲む。

 すぐにキャップを閉めた。


「行こう」


 捜索の途中、レイは何度も立ち止まった。


 物音がするたびに振り返る。


 瓦礫の向こうで何かが動いた気がすれば走った。けれど、風で転がった空き缶だったり、崩れた布だったりした。


「ルカ!」


 声を出す。

 返事はない。

 父も別の方向へ名前を呼ぶ。


「ルカ!」


 普段なら、家の中で名前を呼べば面倒そうな顔をしながらも姿を見せた。


 眠っていても耳だけは動いた。


「無視してんのかよ」


 レイはわざと、いつもの調子で言った。


「出てきたら怒らないから」


 少し待つ。


「今日だけは何しても怒らない」


 返事はない。


「パン盗ってもいいから」


 父が横から言った。


「それは駄目だろ」


「今はいいんだよ」


 レイは笑おうとした。

 うまく笑えなかった。


「……だから出てこいよ」


 最後の声だけ、小さくなった。

 昼を過ぎた。

 太陽が少し傾き始める。


 探す範囲は少しずつ広がっていた。


 レイの声もかすれてきた。


「ルカ……!」


 何度呼んだか分からない。

 返事はない。

 頭の中に、嫌な想像が浮かぶ。


 瓦礫の下。

 倒れた家具。

 逃げられなかったルカ。


「……違う」


 レイは首を振った。


「絶対いる」


 父は何も言わず、隣を歩いた。


 やがて二人は、家から少し離れた細い道へ入った。古い塀が崩れ、瓦礫が道の端に積もっている。その先は建物の影になっていた。


 レイは立ち止まる。


「……?」


 何かが見えた気がした。


「どうした?」


 父が聞く。

 レイは答えない。

 瓦礫の向こう。


 暗くなった建物の隙間。

 そこに。

 ほんの小さな光があった。


 青い光。

◇

 一度、弱くなる。

 また、淡く光る。


 顔は見えない。

 姿もよく分からない。


 それでも。


 レイには分かった。


 この世界で、その光を見間違えるはずがなかった。


「……ルカ!」



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