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RE:LIGHT  作者: SORA
第1巻「失われた日」

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3/16

第3話「避難所」


 レイは毛布の中で目を開けた。

 薄暗い体育館。


 天井の非常灯が、ぼんやりと床を照らしている。眠ったのかどうか、自分でも分からなかった。目を閉じるたびに家のことを考えた。


 母のこと。


 そして、鍵のかかった家に残されたルカのこと。隣では父が壁にもたれて座っていた。


 眠っているように見えた。


 そのとき。


 ミシ。

 体育館の窓が小さく鳴った。

 続いて、床がゆっくり揺れる。


「……っ」


 レイは身体を起こした。

 周囲でも何人かが目を覚ます。


「また地震……?」


 小さな子どもの声。

 揺れはすぐに収まった。


 けれど体育館の中に、ざわめきが残った。


「大丈夫だ」


 隣から父の声がした。

 起きていた。


「寝てなかったの?」


「お前もだろ」


 レイは答えなかった。


 父も、それ以上は言わなかった。体育館には、夜になってからも人が増え続けていた。体育館の隅では、先生たちが避難してきた人の名前を紙に書き続けていた。


 一枚の紙が埋まると、その隣へ新しい紙が貼られる。


 レイはそのたびに目で追った。

 もしかしたら。


 次に書かれる名前が、母かもしれない。そんな期待を何度も抱いて、そのたびに違う名前が増えていった。


「父さん」


「ん?」


 レイは入口を見た。


「母さん、もう家に帰ってるのかな」


 父がレイを見る。


「ルカもいるし。家は無事で……道が通れないから、こっちに来られないだけかも」


 父は少しだけ間を置いた。


「……そうかもしれないな」


 レイは小さく頷いた。

 そうだったらいい。

 母とルカが家で待っている。


 明るくなって帰れば、二人ともそこにいる。


 今は、そう思いたかった。


 もし母が家に戻れているなら、ルカも一人ではない。レイはそう考えると、少しだけ胸の苦しさが軽くなった。母なら、ルカを見つければきっと抱き上げる。


 そして道が通れるようになるまで、家で待っているかもしれない。


「明日、帰ったら二人ともいるといいな」


「ああ」


 父の返事を聞いて、レイはもう一度入口を見た。家の玄関を開けたら、母の「おかえり」とルカの声が一緒に聞こえる。レイはそんな光景を頭の中に作った。


 今夜は、それを信じて待つしかなかった。入口が開くたびに冷たい空気が入り、避難してきた人たちの声が聞こえる。


「こっち、まだ空いてます!」


 先生たちが毛布を運ぶ。

 地域の人たちも手伝っていた。

 誰かが持ってきた懐中電灯。


 段ボール。

 ペットボトルの水。


 使えるものを少しずつ集めて、みんなで分けていた。レイは入口が開くたびに顔を上げた。


 母かもしれない。

 そう思ってしまう。


 けれど、入ってくるのは知らない人ばかりだった。少し離れた場所で、女の人が泣いていた。


「まだ主人が戻ってなくて……」


 その隣では、泥だらけの男が家族に囲まれている。


「よかった……ほんとによかった……」


 抱き合う声。

 泣く声。

 誰かの名前を呼ぶ声。


 同じ体育館の中に、再会できた人と、まだ待っている人がいた。体育館の壁際に、一人の男が座っていた。


 痩せた頬。

 少し長い黒髪。


 目の下には、濃い隈ができていた。暗いジャケットのフードをかぶり、膝を抱えたまま床を見つめている。目の前には、配られたパンが置かれていた。


 けれど、手をつける様子はない。誰かを待っているようにも見えなかった。ただ、何もかもを失ってしまったように、じっと床を見つめていた。


 レイは一瞬だけ、その男を見る。


 そして、すぐに視線を戻した。

 レイはスマホを取り出した。

 画面をつける。


 母からの連絡はない。


 アンテナの表示もほとんど変わらない。


 もう一度、電話をかける。

 繋がらない。


「……くそ」


 レイはスマホを握りしめた。

 父が横から画面を見る。


「俺もさっきやった」


「繋がった?」


 父は首を振った。


「母さん、どこにいるんだろ」


「……分からない」


 父はそれだけ言った。


 変に大丈夫だとは言わなかった。


 そのことが、逆に怖かった。


 体育館の前方で、ラジオの音量が上げられた。


『――現在も各地で余震が続いています』


『倒壊した建物には近づかず、安全な場所で待機してください』


 雑音が入る。

 しばらくして、別の声。


『道路の寸断、火災、停電が多数発生しています』


『被害の全容は、まだ確認できていません』


 誰かが小さく息を呑んだ。

 レイは父を見る。


「明日の朝、本当に行ける?」


「行く」


 父はすぐに答えた。


「道が塞がってても?」


「通れる道を探す」


「火事が残ってても?」


「危ないところには近づかない。それでも家の近くまでは行く」


 レイは少し黙った。


「……ルカ、待ってるよね」


「ああ」


「母さんも、家に戻ってるかもしれない」


「そうだな」


 父は前を向いたまま答えた。


 その声には、願いが混じっていた。


 夜が深くなる。


 夜中。


 レイは一度、体育館の外へ出た。


 眠れなかった。


 扉の近くにいた先生へ声をかけ、校舎脇の限られた場所までならと許可をもらった。


 父も一緒についてきた。

 外は思った以上に暗かった。


 いつもなら見えるはずの店の看板も、住宅の窓も、ほとんど光っていない。


 遠くで赤い光が揺れていた。


 火なのか、緊急車両なのか、ここからでは分からない。


 レイは自宅のある方角を見た。


「この暗さじゃ、ルカも怖いかな」


 父はすぐには答えなかった。


「……あいつ、暗いところ平気だろ」


「そうだけど」


 レイは空を見上げた。


「自分で光れるし」


 口にしてから、少しだけ笑った。暗い部屋で「ルカ、お願い」と言えば、いつも青く光ってくれた。懐中電灯みたいに扱うと、ルカは時々不満そうな顔をした。


「今も光ってるかな」


「光ってるんじゃないか」


「そしたら見つけやすいのに」


 父はレイの肩へ手を置いた。


「明るくなったら探そう」


 レイは家の方角を見たまま頷いた。体育館へ戻る直前、もう一度だけ振り返った。町の暗闇のどこかに、小さな青い光があるような気がした。


 もちろん、見えるはずはなかった。レイと父が体育館へ戻るころには、非常食が配られ始めていた。


 小さなパンと、水。

 レイは袋を開けた。


 昼からほとんど何も食べていなかったのに、不思議と食欲がなかった。


 父が自分のパンを半分に割る。


「いるか?」


「いらない」


「食っとけ」


「父さんが食べてよ」


「俺はいい」


「よくないだろ」


 父が少しだけ笑った。


「じゃあ、自分の分だけでも食え」


 レイはしばらくパンを見つめた。


 それから、一口かじった。

 味がほとんど分からなかった。


 体育館の端で、小さな子どもが泣き出した。


「おうち帰りたい……」


 母親らしい女性が、その子を抱きしめる。


「朝になったらね」


「ほんと?」


「うん」


 レイは視線を落とした。

 朝になったら。

 自分も帰れるのだろうか。


 帰った先に、いつもの家はあるのだろうか。


 母はいるのだろうか。

 ルカは。


 考えるのをやめようとしても、頭の中に浮かんでくる。


「レイ」


 父が呼んだ。


「ん?」


「少し寝ろ」


「寝れない」


「目閉じてるだけでもいい」


「父さんは?」


「俺もそうする」


 レイは毛布へ横になった。

 父も隣で身体を伸ばす。

 少しして。


「父さん」


「ん?」


「家、壊れてるかな」


 返事が来るまで、少し間があった。


「分からない」


「……そっか」


「でも、まだ見てもいないのに決めつけるな」


「うん」


「ルカだって、あいつ結構しぶといだろ」


 レイはほんの少しだけ笑った。


「怒るよ、そんなこと言ったら」


「じゃあ内緒にしとけ」


「ルカ、父さんの言葉も分かるから」


「それは困ったな」


 二人の声が少しだけ軽くなる。

 ほんの数秒だった。


 それでもレイは、さっきより少しだけ息がしやすくなった。


 目を閉じる。

 浮かんだのは、青い光だった。

 暗い部屋で。


「ルカ、お願い」


 そう言えば、ルカは少しだけ明るく光った。


 いつも当たり前にそこにいた。

 ベッドの上。

 ソファの上。


 玄関。

 レイの隣。


「……待ってろよ」


 誰にも聞こえないくらいの声で言った。


「明日、絶対行くから」


 何度目かの余震で目を覚ましたとき、体育館の窓が少し明るくなっていた。


 朝だった。


 眠っていた人たちが、少しずつ起き始める。


 先生たちが動き出す。


 入口の近くでは、外の様子を確認してきた人たちが話していた。


「あっちの道は無理だ」


「橋の手前が割れてる」


「火はだいぶ収まったみたいだけど……」


「まだ煙が出てるところもある」


 父が立ち上がった。


「レイ」


 レイもすぐに立つ。


「行ける?」


「まず外を見て、通れる道を探す」


 父は荷物をまとめた。

 レイも毛布を畳む。


 体育館を出る前に、もう一度スマホを確認した。


 母からの連絡はない。

 レイは画面を消した。

 二人は体育館を出て、校門へ向かった。


 朝の空気は冷たかった。


 レイは校門の向こうに広がる町を見た。昨日まで毎日歩いていたはずの道。その先に、母とルカがいるかもしれない。


「……行こう」


 父の声に、レイは小さく頷いた。


 待つだけだった夜は、ようやく終わった。



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