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RE:LIGHT  作者: SORA
第1巻「失われた日」

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2/16

第2話「地震」


 教室そのものが、下から突き上げられた。


「うわっ!」


 椅子が大きく跳ねた。

 レイは反射的に机へ手をつく。


 その直後、横から強烈な揺れが襲ってきた。

◇


 机が床を滑る。

 椅子が倒れる。


 黒板の上に掛けられていた時計が激しく揺れ、教室のあちこちから悲鳴が上がった。


「机の下! 早く!」


 先生の声が飛ぶ。

 レイは机の下へ潜り込んだ。

 頭を腕で覆う。


 ガタガタガタガタッ!


 窓ガラスが今にも割れそうな音を立てている。


 ロッカーの中身が床へ落ちた。

 教科書。

 ファイル。


 誰かの水筒。


 床を転がってきたペンケースが、レイの机の脚にぶつかる。


「きゃあ!」


「やばい、やばいって!」


「動くな!」


 先生の声も、揺れの音に飲み込まれていく。


 レイは机の脚を掴んだ。

 身体が左右へ振られる。

 こんな揺れは知らない。


 今まで経験した地震とは、何かが違う。


 終わらない。


 一度弱くなったように感じても、すぐにまた大きくなる。


 そのたびに教室全体が軋んだ。


 レイの頭に、朝の光景が浮かんだ。


 母。

 父。

 そして――


「……ルカ」


 小さく名前が漏れた。

 家にいる。

 ルカは家にいる。


 母は――今、どこにいる。

 父は――。

 どこにいる。


 レイはポケットへ手を伸ばしかけた。


 スマホ。


 でも今、机の下から出す余裕なんてない。


「頼むから……止まれよ」


 誰に言うでもなく呟いた。

 やがて。


 揺れが、少しずつ弱くなっていった。ガタガタと震えていた窓も、ようやく静かになる。教室に残ったのは、荒い呼吸と泣き声だった。


 誰もすぐには動かなかった。


「……みんな、そのまま」


 先生が息を整えながら言う。


「まだ出るな。怪我してる人いるか?」


「先生……」


 前の方から震えた声がする。


「血……」


 机にぶつけたのか、一人の生徒が額を押さえていた。先生が近づこうとした、そのとき。


 ぐらっ。


「また!」


 再び教室が揺れた。

 さっきほどではない。


 それでも、全員が一斉に机の下へ身体を縮めた。


 レイも歯を食いしばる。

 数十秒。

 揺れが止まる。


 今度こそ、先生が立ち上がった。


「校内放送を待つ。勝手に廊下へ出るな」


 そう言った直後。


 スピーカーからノイズが流れた。


『――全校生徒に連絡します』


 途切れ途切れの声。


『現在、大きな地震が発生しました。先生の指示に従い――』


 ブツッ。

 放送が切れた。


 教室の照明も、一度だけ点滅する。


 そして消えた。


「停電……?」


 誰かが言った。

 昼間の教室だから暗くはない。


 けれど、天井の照明がすべて消えたというだけで、教室の空気が変わった。


 先生が窓の外を見る。

 レイも机の下から顔を出した。

 校庭の向こう。


 遠くの街から、細い煙が上がっていた。


 一本ではない。

 二本。

 三本。


 もっと遠くにも見える。


「……火事?」


 教室が静まり返った。

 先生はすぐに振り返った。


「全員、落ち着け。これから校庭へ避難する」


 生徒たちは順番に廊下へ出た。


 床には細かな破片が散らばっている。


 壁にはひびが入っていた。


 階段では手すりを掴み、一段ずつ下りる。途中、また小さな揺れが来るたびに列が止まった。


 外へ出る。


 校庭には、すでに別の学年の生徒たちが集まっていた。


 泣いている子。

 友達と抱き合っている子。

 スマホを握りしめている子。


 先生たちが声を張り上げている。


「クラスごとに並んで!」


「走らない!」


「点呼するぞ!」


 レイも列へ入った。

 名前を呼ばれ、返事をする。


 それが終わるとすぐ、スマホを取り出した。画面には通知がいくつも出ていた。けれど、通信状態を示す表示は不安定に揺れている。


 まず母へ電話をかけた。

 呼び出し音は鳴らない。


 しばらくして、接続できないという表示が出た。


「……母さん」


 もう一度。

 同じ。

 父へ。


 繋がらない。

 メッセージを送る。


《大丈夫? 学校にいる》


 送信中。

 表示はそのまま動かなかった。

 レイは画面を見つめる。


 家はここから歩いて帰れない距離ではない。


 今すぐ帰れば――。


「蒼宮、どこ行く」


 担任に呼び止められた。


「家、見に行きます」


「ダメだ」


「でも母さんとルカが家に――」


「今はダメだ。道路の状態も分からない。余震も続いてる」


「でも!」


 思わず声が大きくなった。

 先生は一瞬黙った。


 それから、レイと目を合わせる。


「心配なのは分かる。でも今、生徒を一人で帰すことはできない」


 レイは何も言えなかった。

 分かっている。


 先生が間違っているわけじゃない。それでも、納得なんてできなかった。


 校庭の隅へ座る。

 スマホを見る。

 まだ送信中。


 画面を閉じる。

 すぐにまた開く。

 変わらない。


「レイ」


 クラスメイトが隣に座った。


「家、連絡ついた?」


「つかない」


「俺も」


 それだけ言って、二人とも黙った。校庭のあちこちで、同じような会話が聞こえていた。


 時間だけが過ぎていく。

 余震は何度も来た。


 そのたびに地面が揺れ、誰かが声を上げる。昼を過ぎても、状況はほとんど分からなかった。先生たちが集めた情報では、周辺の道路の一部が通れなくなっているらしい。


 電車も止まっている。

 信号も消えている場所がある。


 携帯電話はほとんど繋がらない。


 ただ、それだけだった。


 どれくらい大きな地震だったのか。


 どこまで被害が出ているのか。

 誰も分からない。


 午後になって、学校の中からラジオが持ち出された。


 先生の一人が音量を上げる。

 雑音。

 途切れる声。


『――各地で非常に強い揺れが――』


『――建物の倒壊、火災が――』


『――余震に十分注意してください――』


 断片的な情報しか聞き取れない。それでも、生徒たちはラジオの周りへ集まった。


 レイも耳を澄ませる。


 自分の住んでいる地域の名前が出ないか。


 何度も待った。

 聞こえてこない。


「……母さん」


 レイはまたスマホを見る。

 電話は繋がらない。


 メッセージも送信中のままだった。地震が起きたとき、母は家にいなかったはずだ。朝、出かける予定があると言っていた。


 だから家には――ルカだけ。


 そして、母が出かけたなら玄関には鍵がかかっている。


「ルカ……」


 家の中で、どうしている。

 家具が倒れていないか。


 何かの下敷きになっていないか。


 怖がっていないか。


 外へ逃げることすらできないかもしれない。考えれば考えるほど、じっとしているのが苦しくなった。夕方が近づくにつれて、学校の様子が変わり始めた。


 校門から、地域の人たちが次々と入ってくる。


 子どもの手を引いた母親。

 杖をついた老人。

 リュックを背負った夫婦。


 毛布や水を抱えている人もいる。この学校が、地域の避難所になっていた。校庭にいた生徒たちだけだった場所へ、町の人たちが増えていく。


 先生たちは避難してきた人を体育館へ案内し、空いている場所を確認していた。人が来るたび、レイは校門を見る。


 母かもしれない。

 違う。

 また誰かが入ってくる。


 違う。

 その繰り返しだった。


 周りでは、家族を見つけた人たちの声が聞こえる。


「よかった……!」


「無事だった?」


 抱き合う人。

 泣きながら名前を呼ぶ人。

 レイも何度も立ち上がった。


 けれど、母の姿はなかった。

 日が傾き始める。

 空が赤くなる。


 それでも母は来ない。

 スマホも繋がらない。


「なんで来ないんだよ……」


 レイは校門を見つめた。


 ここが避難所なら、無事なら来るかもしれない。


 そう思って待っていた。

 でも来ない。

 そして家には、ルカがいる。


 鍵のかかった家に。


「蒼宮レイ!」


 校門の方から先生の声がした。

 レイは勢いよく顔を上げた。


 人の間を、一人の男が歩いてくる。


 服は埃で汚れている。

 髪も乱れていた。

 額には小さな傷がある。


「……父さん!」


 父がレイを見つけた。

 その顔が、ようやく緩んだ。


「レイ!」


 レイは走った。


「怪我は?」


 父の両手がレイの肩を掴む。


「ない。父さんは?」


「俺も大丈夫だ」


「その傷は?」


「これくらい擦っただけだ」


 父が額を指さした。

 レイは大きく息を吐いた。

 父は無事だった。


 それだけで、胸の奥に詰まっていたものが少しだけほどける。


 でも。


 レイは父の後ろを見る。

 誰もいない。


「……母さんは?」


 父の表情が止まった。


「一緒じゃないの?」


「……まだ会えてない」


 レイの喉が乾いた。


「連絡は?」


「何度もした。でも繋がらない」


「ここ避難所だよ。母さん、来てない」


「そうか……」


 父も校庭を見回した。


「父さん、家は?」


「家の方へ行こうとした。でも途中の道路が塞がってた。火事も出てる。今は近づけない」


 レイの顔から血の気が引いた。


「じゃあルカは?」


 父がレイを見る。


「母さん、朝出かけたんだよね?」


「ああ」


「じゃあ家、鍵かかってるじゃん」


 父は何も言えなかった。


「ルカ、家の中だよ」


「……ああ」


「逃げられないじゃん」


 レイの声が震えた。


「家が壊れてたらどうすんの?」


「レイ」


「今から行こう」


「無理だ」


「でも!」


「俺も行こうとしたんだ」


 父の声が少し強くなった。

 レイが黙る。

 父はすぐに声を落とした。


「道が通れない。余震も続いてる。暗くなったら、もっと危ない」


「でもルカが……」


「分かってる」


 父の手がレイの肩に置かれる。


「母さんのことも、ルカのことも。俺だって今すぐ探しに行きたい」


 その手が、わずかに震えていた。


 レイは初めて気づいた。

 父も怖いのだ。


 母がどこにいるのか分からない。ルカが家の中でどうなっているのか分からない。


 同じだった。


「明るくなったら、行ける道を探そう」


 父が言った。


「絶対に家まで行く」


 レイは唇を噛んだまま、小さく頷いた。


 夜。


 体育館には、学校の生徒だけではなく、避難してきた地域の人たちが大勢集まっていた。床にはマットや毛布が敷かれている。非常用の照明だけが、薄暗く体育館を照らしていた。


 あちこちから話し声が聞こえる。


 泣き声。

 誰かを探す声。


 時々、床の下から伝わってくる小さな余震。


 父とレイは並んで座っていた。

◇

 レイはスマホを見る。

 母からの連絡はない。


 画面を消す。

 目を閉じる。


 すると浮かぶのは、朝の玄関だった。


 黒い身体。

 青い模様。

 自分を見上げていた青い目。


『帰ったら遊ぼう』


 レイは毛布を強く握った。


 家に帰れば、いつもルカがいた。


 玄関を開ければ、走ってきた。


 夜になれば、隣で青く光っていた。


 今も。


 あの家の中で、一人でいるのだろうか。


「……ルカ」


 返事はなかった。



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