第14話「戻れない世界」
配給台に、昨日まであった保存食が見当たらなかった。
学校の体育館では、いつものように配給の列ができていた。
レイは父と並び、順番を待つ。
ルカはレイの足元に座っている。
前の日までなら、朝は小さなパンと水、それに簡単な保存食が一つ付いていた。
今日は、パンと水だけだった。
「今日はこれだけ?」
前にいた子どもが母親に聞く。
母親は少し困った顔をして、
「あとで何か来るかもしれないから」
と答えた。
配給台の向こうでは、職員が段ボールの中身を確認している。
箱はまだいくつもある。
けれど、どれも半分ほどしか入っていなかった。
レイは受け取ったパンを見た。
量が少し減っただけ。
それだけのことなのに、昨日までとは違う感じがした。
父も同じものを見ていた。
「食べながら行こう」
「うん」
二人は体育館の端に移動した。
近くでは、避難している人たちが話している。
「次の便、今日来るんだろ?」
「分からないって」
「昨日も来なかったじゃないか」
「道路がまだ駄目らしい」
「道路だけじゃないって聞いたぞ。運ぶ車も足りないって」
誰かの声に、別の誰かが返す。
「トラックなら走ってるだろ」
「走ってるのもある。でも全部じゃない」
話はそこで途切れた。
レイはパンをちぎった。
昨日まで、物資は少なくても届いていた。
それが、少しずつ遅れ始めている。
朝食を終えると、レイ達は学校を出た。
前日までに得た手がかりは、公民館から先へ伸びていない。今日も写真を持って短い空白を確かめながら歩く。
その途中、道路脇に長い列ができていた。
ガソリンスタンドだった。
車が道路に沿って並んでいる。
入口には手書きの紙。
『給油 一台十リットルまで』
レイは足を止めた。
「十リットル?」
父も列を見る。
「在庫を持たせてるんだろう」
「ガソリンって、まだ作れないの?」
「作る設備が全部壊れたわけじゃない。動いてるところもあるだろう」
「じゃあ、なんで足りないの?」
父は少し考えてから答えた。
「作る場所が無事でも、そこからここまで運べるとは限らない」
レイは並んでいる車を見る。
中には荷物を積んだ軽トラックもあった。
「道が壊れてるから?」
「それもある。運ぶ車が故障したら、それも減る。スタンドの設備が壊れてる場所もあるだろうし、燃料を積み込む場所が止まってるかもしれない」
「一個じゃないんだ」
「ああ。一個だけ直せば元通り、って話じゃない」
その言葉を聞きながら、レイは列の先を見た。
車は動いている。
ガソリンスタンドも開いている。
全部が止まったわけではない。
でも、前みたいには使えない。
公民館へ向かう途中、商店街を通った。
シャッターが閉まった店が増えていた。
地震直後から休んでいる店もある。
けれど、昨日までは開いていた小さなスーパーにも、今日は「休業」の紙が貼られていた。
レイは中を覗く。
棚は見える。
完全に空ではない。
飲み物も、缶詰も、いくつか残っている。
なのに店は閉まっていた。
入口の横で店主らしい男性が段ボールをまとめている。
父が声をかけた。
「今日は営業しないんですか」
男性は顔を上げた。
「ああ。もう売れる量じゃない」
「まだ商品は残ってるみたいですけど」
レイが言う。
男性は店内を見る。
「残ってるのはあるよ。でも次が来ない」
「次?」
「仕入れだよ」
男性は苦笑した。
「最初の数日は、倉庫にあった分を出してた。近くの店同士で融通もした。でも補充がほとんど来ない」
父が尋ねる。
「配送自体が止まってるんですか」
「全部じゃない。来る便もある。でも前みたいな数は来ない」
男性は空になった箱を一つ持ち上げた。
「たとえば水だけ来ても、パンが来ない。缶詰が来ても、電池が来ない。来たとしても少しだけだ」
「在庫がなくなってきてるんだ」
レイが言うと、男性は頷いた。
「そういうことだ」
そして少し間を置いてから、
「無くなってるっていうより、使った分が戻ってこないんだな」
と言った。
その言葉が、レイの中に残った。
商店街を抜け、公民館へ向かう。
公民館に着くと、昨日より人が増えていた。
入口近くに、新しく毛布が敷かれている。
昨日話を聞いた年配の男性もいた。
レイに気づくと、軽く手を上げる。
「今日も探しとるんか」
「うん」
「そうか」
レイは少し迷ってから聞いた。
「ここ、昨日より人増えてない?」
男性は頷いた。
「向こうの避難所から来た人が何人かおる」
「なんで?」
「水が止まったらしい」
父が顔を上げる。
「断水ですか」
「昨日までは出とったんだと」
男性は入口の外を見た。
「地震の時に壊れたところが、持たんかったんじゃろうな」
レイはその言葉を聞いた。
地震からもう何日か経っている。
壊れた直後ではない。
昨日まで使えていた物が、今日になって使えなくなる。
そんなこともある。
「直るの?」
レイが聞く。
男性は首を傾げた。
「直そうとはしとるんじゃないか。でも、いつになるかは分からん」
父は何も言わなかった。
レイも、それ以上は聞かなかった。
公民館を出たあとも、母が向かった道を確かめたが、新しい目撃情報はなかった。
昼を過ぎた頃、二人は道路脇で休憩した。
父が水を一口飲み、ボトルの残りを確認する。
レイも自分のボトルを見る。
少ししか減っていない。
なのに、今日は飲む量まで気にしてしまう。
「父さん」
「ん?」
「物って、なくなっていくの?」
父はすぐには答えなかった。
「食べ物も、ガソリンも、薬も。使えば減る」
「それは前からでしょ」
「ああ」
「でも前は、また来た」
父はレイを見る。
「そうだな」
レイは商店街の方を振り返った。
「今は、来ない」
父は少しだけ目を細めた。
「来るものもある」
「でも、前と同じじゃない」
「ああ」
「なんで?」
「いろんな場所が少しずつ止まってるからだ」
父は指を折るようにして言った。
「作る場所。運ぶ場所。保管する場所。売る場所。そこまでつなぐ道」
レイは聞いている。
「全部が壊れたわけじゃない。でも、途中のどこかが駄目なら、最後まで届かない」
レイはしばらく黙っていた。
「じゃあ、残ってるものを使ってるだけなんだ」
父はゆっくり頷いた。
「今は、そういう物が多いと思う」
「なくなったら?」
父は一瞬、答えを止めた。
「別の方法を考えるしかない」
それは答えのようで、答えではなかった。
建物の影が足元まで伸びる道を歩き、レイ達は学校へ戻った。
体育館の入口には、新しい張り紙があった。
『節電にご協力ください』
中に入ると、昼間より照明が少ない。
全部を消しているわけではない。
必要な場所だけ点いている。
壁際では、職員が電源タップを外している。
スマートフォンの充電待ちの列も短くなっていた。
「充電、一人三十分までだって」
誰かが言う。
「昨日は一時間だったのに」
「発電機の燃料、減ってるらしいよ」
レイは自分のスマートフォンを見る。
電池はまだ残っている。
使える。
でも、いつでも好きなだけ使えるわけではない。
近くでは、子どもが携帯ゲーム機を持っていた。
画面は点いていない。
「充電なくなっちゃった」
その子は母親に言う。
「またできる?」
「電気が落ち着いたらね」
母親はそう答えた。
レイはその会話を聞きながら、自分のスマートフォンをポケットに戻した。
夕食の配給も、朝と同じだった。
量は足りている。
今すぐ食べる物がないわけではない。
けれど、昨日まであったものが一つ減っていた。
列の後ろで、
「明日は来るんだろうな」
という声がした。
誰かが答える。
「来るって言ってたよ」
別の誰かが言う。
「それ、昨日も聞いた」
小さな笑いが起きた。
けれど、誰も長くは笑わなかった。
食事を終えた人々が毛布に戻り始めると、体育館の照明がいつもより早く落とされた。
非常灯だけが残る。
レイは毛布の上に横になった。
隣にはルカ。
少し離れたところに父がいる。
天井を見上げる。
地震が起きた日。
建物が壊れた。
道路が壊れた。
電気が止まった。
水が止まった。
それでも、時間が経てば直っていくと思っていた。
実際、戻ったものもある。
電気が来た場所もある。
水が出るようになった場所もある。
車も走っている。
店だって開いているところはある。
だから、少しずつ元に戻っているのだと思っていた。
でも今日見た町は、違った。
昨日まで使えていたものが、今日は使えない。
一度壊れたものが戻ってこない。
使ったものが補充されない。
残っているものだけで、毎日をつないでいる。
レイは目を閉じた。
「父さん」
暗い中で呼ぶ。
「どうした」
「元に戻るのかな」
少し間があった。
父はすぐに大丈夫とは言わなかった。
「戻せるものは戻す」
「全部?」
また少し間があった。
「分からない」
レイはそれ以上聞かなかった。
足元でルカが小さく動く。
レイは手を伸ばして、その背中に触れた。
温かい。
今ここにあるものは、まだある。
でも。
世界は壊れたまま止まっているんじゃない。
少しずつ、使えるものを減らしながら動いている。
そんな気がした。




