第13話「空白」
「今日はどこから?」
レイが隣に座る。
父は家と学校の間を指でなぞった。
「昨日聞いた話を整理すると、大通りは地震のあとしばらく通りにくかった。住宅街も何本か塞がれていた」
「じゃあ、母さんが通れた道って、そんなに多くない?」
「ああ。候補は絞れてきた」
父は地図の三か所に印をつけた。
「まず、この細い道。次に途中の避難所。それから、商店街の方だ」
「一つずつ聞くんだね」
「そうする」
ルカが毛布の上から起き上がり、大きく伸びをした。
レイはその背中を撫でる。
「今日も付き合ってな」
ルカは短く鳴いた。
朝食を済ませると、レイ達は学校を出た。
最初に向かったのは、昨日教えてもらった細い路地だった。
車一台も入れないほど狭い道。
両側に家が並び、いくつかの塀には今も大きな亀裂が残っている。
父は近くで片づけをしていた男性に声をかけ、母の写真を見せた。
「地震のあと、この女性を見ませんでしたか」
男性は写真を受け取り、しばらく眺めた。
「うーん……分からないな」
「この道は今、通れますか?」
「歩きならな。瓦礫が残ってるから気をつけた方がいい」
「地震のあとから、人は多く通ってます?」
「多いよ。避難所へ行く人も、家を見に戻る人もいる」
父は礼を言った。
そのあとも通り沿いの家を何軒か回ったが、確かな答えは出なかった。
路地を抜けた先に、小さな公民館があった。
入口には今も避難所の案内が貼られている。
玄関脇には水の容器と段ボールが積まれ、出入りする人が絶えない。
父が地図を見る。
「ここも避難所だな」
レイは写真を握り直した。
「聞いてみよう」
中へ入ると、廊下にも荷物が置かれていた。
広間には毛布を敷いて休んでいる人がいる。
奥では届いた物資を何人かで仕分けしていた。
避難している人も、手伝っている人も、ほとんど同じ顔ぶれに見えた。
受付近くで箱を運んでいた年配の男性に、父が声をかけた。
「すみません。人を探しています」
父が写真を差し出す。
男性は写真を見る。
最初は黙っていた。
だが、少しすると目を見開いた。
「……ああ」
レイの心臓が跳ねた。
「知ってるんですか?」
男性はすぐに頷いた。
「この人なら覚えとるよ」
父が一歩近づく。
「本当ですか?」
「ああ。ここに来た」
レイは息を呑んだ。
「母さん……ここまで来てたんだ」
父が尋ねる。
「いつ頃か覚えていますか?」
男性は少し考えた。
「日にちは、はっきりせんな。地震のあとで、ここが今よりもっとごった返しとった時じゃ」
「一人でしたか?」
「一人じゃったと思う」
「けがは?」
「目立つようなけがはなかった」
父は続けた。
「何か話しましたか?」
「話したよ」
男性は写真を返しながら、少し笑った。
「というか、ずいぶん助けてもらった」
レイが首を傾げる。
「助けてもらった?」
「ああ。ここも今、人手が足りんじゃろ?」
男性は積まれた箱の方を見る。
「避難しとる人間も、手伝っとる人間も、みんな被災者みたいなもんじゃ。家が壊れた者もおるし、家族を探しとる者もおる。物資が届いても、運ぶ人間が足りん」
近くでは、女性が飲料水の箱を開けている。
別の男性は、毛布を抱えて廊下を往復していた。
「その人も家族を探しとったよ」
レイの指先に力が入る。
「息子を探してるって?」
「そうじゃ。中学生の息子がおるって言っとった」
レイは父を見る。
父も黙って頷いた。
間違いない。
男性は続けた。
「すぐ出ていってもおかしくなかったのに、手が足りんの見てな。“少しなら手伝えます”って、そのまま箱を運び始めたんじゃ」
「母さんが……」
「水を並べたり、届いた食べ物を分けたり。泣いとる子がおれば声をかけたりな」
男性は少し笑う。
「自分も大変なのに、よう動く人じゃった」
レイは写真を見た。
母らしい。
そう思った。
家族を探していても、困っている人が目の前にいれば、そのまま通り過ぎられない。
「だから覚えとるんじゃ」
男性が言った。
「ただ通っただけなら分からんかったかもしれん。でも、しばらく一緒に動いてくれたからな」
父が深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
レイも続けて聞いた。
「そのあと、どこへ行ったか覚えてますか?」
「ああ」
男性はすぐに答えた。
「息子の学校へ行くって言っとった」
レイと父が顔を見合わせる。
父が地図を広げた。
「どの道へ向かいました?」
男性は地図を覗き込み、公民館から東へ伸びる道を指した。
「こっちじゃ。大きい道は瓦礫が多かったから、神社の横を抜ける道を教えた」
父がその場所に印をつける。
「出ていくところまで見ましたか?」
「ああ。入口まで一緒に出たから覚えとる」
レイは地図を見た。
家。
公民館。
学校。
初めて、家を出たあとの母の足取りに、確かな地点ができた。
「ここまでは来てたんだ」
レイが小さく言った。
父が頷く。
「ああ」
男性はレイを見る。
「お母さん、まだ見つかっとらんのか」
「はい」
「そうか……見つかるとええな」
「ありがとうございます」
レイは深く頭を下げた。
公民館を出ると、父はすぐに地図を開いた。
レイも横から覗く。
公民館は、自宅と学校の間にある。
普段なら、ここから学校までは十分もかからない。
「父さん」
「ん?」
「母さん、ここまでは来た」
「ああ」
「じゃあ、ここから学校までを探せばいいんだよね」
「まずはな」
父は男性が教えてくれた道を指でなぞった。
神社の横。
商店街の裏。
そこから学校方面へ。
「行こう」
「うん」
ルカが二人より先に歩き始めた。
公民館を出たレイ達は、男性に教えられた神社脇の道から学校方面へ進んだ。
商店街の裏、住宅街、小さな交差点。聞けそうな人には写真を見せ、服装と「公民館から学校へ向かった」ことを伝えた。
けれど、確かな目撃情報は一つも増えなかった。
何軒も訪ね歩いて、レイ達は道路脇の小さな公園でようやく足を止めた。
ルカに水を出す。
父は地図を広げた。
レイは隣に座った。
朝より、地図に印が増えている。
その中で、一つだけ意味の違う印があった。
公民館。
母が確実にいた場所。
レイはそこを指さした。
「ここまでは確定なんだよね」
「ああ」
「おじいさんが、入口まで見送った」
「ああ」
レイはそこから学校まで指を動かした。
「でも、この先がない」
父は地図を見たまま頷いた。
公民館から学校までは近い。
普段なら、レイが毎日歩く通学路の一部にすぎない。
母は学校へ行くと言って、その道へ出た。
でも、その先で母を見た人は今のところ一人もいない。
「こんなに近いのに」
レイが言った。
「ああ」
さっきまでは、家から学校まで全部が分からなかった。
今は違う。
母はここまで来ていた。
この避難所で人を手伝い。
それから、レイを探すために学校へ向かった。
そこまでは分かった。
だからこそ、その先が余計に気になった。
午後も別の道を確かめたが、新しい証言は出なかった。
学校の近くまで戻ると、校舎の窓に傾いた日の光が映っていた。
父が地図を広げる。
レイも隣に立った。
公民館の印から、学校まで。
父の指がゆっくり動く。
「今日分かったのはここまでだ」
レイは公民館の印を見た。
「母さんは、ここにいた」
「ああ」
「ここを出て、学校に向かった」
「ああ」
「でも……」
レイの指が、公民館と学校の間で止まる。
「ここから先が分からない」
父は静かに頷いた。
「今のところはな」
レイは地図を見つめた。
家から続いていた母の足取り。
今日、その線は確かに伸びた。
でも、学校へ届く前に止まっている。
ほんの短い距離。
その間だけ、何もない。
目撃も。
記録も。
「空白だね」
レイが言った。
父は地図を畳まず、そのまましばらく見ていた。
「そうだな」
ルカがレイの足元に座った。
レイはしゃがみ、その背中を撫でる。
「でも、今日ひとつ見つかった」
ルカが顔を上げる。
レイは公民館の方を振り返った。
母がそこにいた。
誰かを手伝っていた。
そして、また自分を探しに歩き出した。
そのことが分かっただけでも、昨日までとは違う。
父が地図を畳んだ。
「今日は戻ろう」
「うん」
レイ達は学校へ向かって歩き出した。




