転:窯の中の真実
取材は二日目の夜を迎えた。
山の中の夜は、文字どおり漆黒だった。窓の外からは、木々が擦れ合う不気味な音が聞こえ、時折、夜鳥の鋭い鳴き声が静寂を切り裂いた。
「今夜が、最後のひと焼きだ。見せてやろう」
藤堂に誘われ、佐原は窯場へと足を踏み入れた。
すでに窯には火が入っており、赤々と燃え盛る炎が、湿った空気の中に熱風を吐き出していた。千二百度を超える熱源が目の前にあるだけで、皮膚がチリチリと焼けるような錯覚を覚える。藤堂の顔は、炎の照り返しで真っ赤に染まり、まるで地獄の業火を管理する鬼のようにも見えた。
「志乃には、天賦の才能があった」
轟々《ごうごう》と唸る窯の爆音に負けない声で、藤堂が唐突に語り始めた。窯の側面にある焚口へ、薪を一本、また一本と迷いなく投げ込みながら。
「彼女の作る土は、私よりも滑らかで、彼女の見る火は、私よりも正確だった。そして彼女は次第に、私に対して見る目を変えていった」
佐原は息を呑み、上着の内ポケットに入れたICレコーダーが作動していることを確認した。一歩、炎の熱に耐えながら藤堂に近づく。
「見る目を、変えていった?」
「彼女が欲するようになったのは、私が築き上げた名声、評価、そしてこの〝藤堂〟という師匠の地位そのものだ」
藤堂の声は、驚くほど冷静だった。十年間の沈黙を破るかのように、淡々と、しかし重い言葉が紡がれる。
「あの日……十年前の雨の夜、ここで激しく言い争った。彼女は感情的になり、私の試作品を叩き割り、叫んだ。〝あなたの陰でいるのはもうウンザリ。これからは私が脚光を浴びる番だ〟とな。欲望で濁った彼女の目を見て、私は失望したよ」
「だから、殺したのですか」
佐原は静かに核心を突いた。
「彼女を殺し、その証拠を消すために、今燃えているその窯の中に彼女を放り込んだ。そして、焼け残った骨の灰を使って、あの『灰冠』を焼き上げた──。違いますか、藤堂先生」
スクープだ。
十年間誰も暴けなかった、美の裏に隠された猟奇殺人の真実が、いま自分の手で暴かれる。
──録音はしている。
ペンを握る手が汗で濡れる。
藤堂は薪を投げる手を止め、ゆっくりと佐原を見た。その瞳は、炎を反射しているはずなのに、どこまでも冷ややかだった。
「君は……あの灰色の正体が、本当に彼女だと思っているのか」
「生化学のデータも、志乃さんの失踪のタイミングも、つじつまが合う。彼女のヘラから名前を削り取ったのも、あなたの罪悪感の表れだ」
藤堂は、ふっと自嘲気味に笑った。
「そんな表面的な物語を記事にする気かね」
藤堂はそう言うと、傍らにあった耐熱手袋をはめ、窯の覗き窓ではなく、その下部にある小さな主燃焼室の鉄の扉へと手をかけた。
「よせ、危険だ!」
佐原が叫ぶ。
藤堂は躊躇なく鉄扉を引き開けた。凄まじい光量と熱波が、二人の顔を襲う。佐原は思わず腕で顔を覆ったが、藤堂は目を逸らさず、その燃え盛る炎の奥を指差した。
「見ろ。これが、私の『灰冠』の真実だ」
佐原は熱さに涙を流しながら、炎の奥を凝視した。
そこに、人の骨の形をしたものはなかった。ただ、燃え盛る薪の最奥で、不自然に真っ赤に溶け、形を崩していく〝なにか〟があった。
「志乃が、私を殺すつもりだったのだよ」
藤堂の声が、炎の轟音と共に聞こえた。
「あの夜──彼女は、私に毒を盛った。だが、私は死ななかった。彼女は私の命を奪い、私の名義で、すべての財産と工房を自分に譲渡するという遺書を捏造していた。私が死ねば、彼女がすべてを手に入れる手はずだった」
佐原は言葉を失った。
「私は意識を取り戻し、彼女の裏切りを知った。志乃は、私が生きているのを見て、慌てて逃げ出したよ」
藤堂の目に映るのは、燃え盛る炎と失望だった。
「それからどこへ消えたのかは知らない。あのヘラは、彼女が慌てて出て行ったときに残して行ったものだ。私の中から彼女を消すために、名前を削り取った」
「じゃあ……あの炎の中で燃えているのは……」
「私の血だ」
藤堂は平然とそう言った。
「私はあの日、毒で吐血した。そして、捏造された遺書、私の血に塗れた衣類、それらすべてをこの窯に放り込み、焼き尽くした。──裏切りへの怒り、絶望、そして愛した弟子の浅ましさ。それらすべてを凝縮して焼き尽くした灰が、あのとき初めて『灰冠』という色を生み出した」
藤堂は鉄扉を乱暴に閉めた。
一瞬にして光が遮られ、窯場は元の、薄暗い世界に戻った。
「人間の骨などという上等なものではない。そこに残ったのは、私の、どす黒い執念の灰だ。文字どおり、自分自身の身を削り、裏切りの記録を混ぜ合わせて作った灰だ。だからこそ、あの器は、あんなにも冷たく、鈍い灰色をしている」
藤堂は耐熱手袋を脱ぎ捨て、がっくりと肩を落とした。その姿は、ただ、美という怪物に生涯を呪われた、一人の老人の孤独そのものだった。
「十年だ」
藤堂は、うつむいたまま、ポツリとそうつぶやいた。
「十年間、一度も誰にも話さなかった。話す必要もなかったからだ」
そして小さく笑った。
「だが、もう終わりにしようと思ってな」
その横顔はひどく疲れて見えた。
「次の窯を最後に火を消す。ならば、せめて一人くらいには話しておくべきかと思った」
佐原は、内ポケットにあるICレコーダーのスイッチを切った。
そこには、佐原が狙っていた殺人の証拠など録音されていない。ただ、一人の芸術家が、醜悪さを燃料にして、至高の美を焼き上げたという、救いのない真実だけが残されていた。




