起:色を失った工房
『目的地、周辺です。案内を終了します』
フリーライターの佐原は、カーナビゲーションの声にチッと舌打ちをした。
「おいおい、ここから先がわからないんだぞ」
車を停め、ハンドルを軽く叩く。
フロントガラスから見える山の県道は、初夏の木漏れ日と影のコントラストが強く、目に刺さるようだ。
佐原はドアを開けて車を降りた。
「下よりだいぶ涼しいな……」
どうせ他に車など来やしない。手帖を取り出し、下調べした道を確認する。
「県道81号を二十分ほど道なりに登って……右、か」
ひと息ついた佐原は、ふたたび車に乗り込み、ハンドルを切った。そのまま県道を進むと、すぐ、右に脇道が現れた。
「ここだ」
脇道に入り、五分ほど下ると、木々の隙間から黒ずんだ杉皮葺きの古民家が見えてきた。
間違いない。陶芸家・藤堂の工房だ。初夏の力強い緑に囲まれながら、なぜかその場所だけが、灰色に沈んでいる。
適当な場所を見つけて車を停めた。今日からここで車中泊だ。
車を降りると、鼻腔を突くのは湿った土の匂いと、かすかな、だがあたりにこびりついているような、焦げた煙の臭気。
佐原が真っ先に目を留めたのは、工房の裏手に広がる庭だった。
そこには、巨大な〝灰捨て場〟があった。何十年もの間、薪窯から掻き出され、打ち捨てられてきた薪の灰が、まるで巨大な古墳のように小山を形作っている。風に煽られた表面が、さらさらと音を立てて崩れ、佐原の黒い革靴の先を薄汚れた白に染めた。
今回の名目は、『芸術新潮』臨時増刊号に持ち込む予定の、伝説の銘品『灰冠』誕生十周年記念インタビューだ。
十年前、突如として陶芸界に現れ、その鈍く、妖しく銀色に光る灰色の釉調で日本中を魅了した茶碗、それが『灰冠』だった。
それ以降、藤堂は弟子を取らず、この山奥で隠者のように暮らしながら、一年に数点しか作品を世に出さない。
しかし、佐原の真の目的は、美術的なインタビューなどではなかった。
十年前、この工房から一人の若き女性陶芸家が姿を消した。
──志乃。
当時、藤堂の唯一の弟子であり、恋人でもあると噂された美しい女性だ。彼女が失踪したとされる夜、藤堂は最初の『灰冠』を焼き上げる。以来、志乃は消えたままだ。だが、なぜか警察は彼女を単なる家出として処理した。
失踪した女。
窯。
灰。
偶然にしては、できすぎている──
その疑念が、佐原をここまで連れて来た。
佐原は胸ポケットのICレコーダーの感触を確かめた。
──このネタは必ず、モノにする。
「取材の人か」
低い声にハッとして振り返る。
その男、藤堂は、工房の入口に立っていた。
六十は過ぎているはずだが、背筋は異様なほど真っ直ぐだ。白髪混じりの髪を後ろで束ね、作務衣の袖から太い前腕が覗いている。炎を扱ってきたからか、その腕には火傷の痕らしき傷も見えた。
「お初にお目にかかります。『芸術新潮』臨時増刊号の件で伺いました、佐原と申します」
佐原はいつものように、努めて愛想の良い、実直な記者の笑みを浮かべて頭を下げた。
「本日から三日間、お約束通り『灰冠』の取材に伺いました」
藤堂は佐原の顔をじっと見つめたあと、視線を下へ落とした。
「……ただ、土を捏ね、火を焚くだけの場所だ。記事になるようなことは何もないと思うがね」
「いえ、その〝ただ火を焚く〟という営みの向こう側にこそ、あの美しい灰色の秘密があると考えております」
佐原の言葉に、藤堂は表情を変えなかった。ただ、「入れ」とだけ短く言い残し、薄暗い工房の奥へ入っていく。
佐原には、その背中が、何か重いものを抱え込んでいるように見えた。




