初めての〇〇を教える
———まだ熟しきっていない果実は、時に恐ろしいほどの瑞々しさを放つことがある。
そんな言葉を聞いたのはどこであっただろうか。今は薄れゆく前世の記憶だろうか。
「あ、あの……! 指示された通りの分量でろ過いたしました。ご確認ください、ご主人様」
ガラスフラスコを両手で大切そうに抱え、誇らしげに胸を張るエティの顔をみる。その顔には、年相応の素直で愛らしい笑みが浮かんでいた。
彼女の顔を見るとそんな言葉を思い出した。
「ありがとう。……うん。よくできているね。」
そう言うと彼女から受け取った少し緑がかかったガラスのフラスコの中を見る。そこにはこちらが指定した分量の薬品が詰まっていた。
先日、サシャから購入したいくつかの物品を使ってある薬を作っていた。
これから、エティを成長させていく上で必要になる。
現在のような基礎練を行うことである程度の体力はついてきた。また、姉上の剣術指南であるエレナードからの剣術練習も順調であった。
そこで、考えたのが更なる成長を模索するためにエティの筋力を増進する薬の存在であった。
「じゃあ次はハミロビコウの根をすり潰しておいてね」
「はい!」
そう言う時エティは机の上にあった根を掴むとゴリゴリとすり潰しはじめる。
この世界において、女性は非常に力持ちだ。それは人体の構造上の理由に加え、彼女たちが生まれながらに『肉体強化魔法』を無意識レベルで常時発動しているからである。
だが、僕はその筋力には更なる領域があると考えていた。
そもそも、肉体強化魔法とは「元の筋力」に乗算される形で出力を引き上げる仕組みだ。
たとえば、基礎筋力を100とするなら、肉体強化の魔法はそれを1.5倍から2倍程度に引き上げてくれる。つまり、元の肉体の数値を上げれば上げるほど、魔法による乗算効率は跳ね上がるわけだ。
問題は、いかにしてその「基礎筋力」を引き上げるかである。
ただ泥臭く筋トレを重ねて筋繊維を太く肥大化させるのも手だが……それでは、あまり美しくない。
僕の『作品』は、見た目の可憐さと美しさを極限まで保ったまま、圧倒的な機能を詰め込みたいのだ。それくらいのロマンを求めてもバチは当たらないはずだ。
そう――筋肥大は最低限に抑え、筋繊維の密度だけを極限まで高める。そして、その爆発的な出力に耐えうるよう、骨密度と靭帯を異常なまでに強化する。
そんな、僕の理想を詰めた『薬』をずっと考えていた。
そして、それは実を結びつつあった。
「……理論上はこれでいいはずだ。」
手元の緑がかったフラスコの中には薄い青い色の薬品が入っていた。この薬品に入った液体こそ、僕が求めていた筋力増強薬である。
「……ご、ご主人様、完成……したんですか?」
エティは上目遣いでそう問い返してくる。そんなエティの顔を見ながら、頭を撫でた。
優しく撫でられたこともあり、嬉しそうに目を閉じる姿を見るとまるで、ペットの犬のようであり、妙な背徳感を感じた。
そんなエティの姿を横目に、僕はこのあと行われる実験に思いを馳せていた。
最近、エティは少しずつ強くなり始めている。元々の才能か剣術はメキメキと上達し、体力もついてきた。魔法は持ち合わせていないようなので、その分遅れをとるが、時間の問題である。
そんな中で、ふとある考えが頭をよぎった。
それはエティがいつまで僕に従順であるのかと言う問題である。
今は多分大丈夫であろう。彼女には目標を与えたし、彼女の命を救ったと言う借りがある。
しかし、残念なことに恩というのは忘れてしまうものである。なまじ、力を持てばその傾向は強くなるだろう。
そのために、彼女の気持ちを測れねばならなかった。
こちらの計画が実れば、そんな心配をしなくても良いが、まだまだ初期段階であるため、そうも言ってられなかった。
「さて、エティ。この薬品は君に投与しようと考えている」
「そ、そうなのですか?」
エティは少し不安そうな表情でこちらを見つめてくる。多分、葛藤しているのだろう。自分が手伝わされている怪しげな実験によって生み出された怪しげな薬を飲まされるのだ。当然不安にもなろう。
「ち、ちなみに、どんな効果なのですか?」
おずおずとした態度でそんなことを聞いてくる。
「この薬はエティの力を今以上に高める獣人用に調整した薬だよ。うまく行けば今、以上の力が出る可能性が高い。そうすれば——」
そこで僕は言葉を切り、エティを見つめた。僕の視線を受けて、エティはすぐに即答した。
「……よりご、ご主人様のお役に立て……ますか?」
「もちろん」
そう言うと僕は彼女の頭をゆっくり丁寧に撫でた。気持ち良さそうな表情をしながらエティは僕の方をみる。その瞳には微かな期待や安堵の表情が浮かんでいた。
多分、僕の言うことを信じているのだろう。不安な気持ちを誤魔化すため、僕の作った薬だから間違いはない。失敗なんてありえない。そう言い聞かせているに違いない。
……だが、それではダメだ。
それは所詮、僕の判断に依存して行動することになる。それではダメだ。
「ただ、本当にこの薬が効果あるのか僕としても不安なんだ。」
「そ、そんなことは——」
「いや、僕だって失敗はある。そこで、これから実験をしようと思う。それをエティには見てて欲しいんだ。」
そう言うと、薬品を机の上に置き、手を叩いた。
パンッパンっという乾いた音が響いたかと思うと、隣の方から何かの音がした。
少しして、隣の扉から出てきたのは何かを担いだアンデットの騎士であった。
「ヒッ」
小さな悲鳴が聞こえた。もちろん、その出所はエティであった。その見た目の厳つさとアンデットであることからエティとしてはびっくりしたのだろう。
無理もない。アンデットとは生者の敵であり、基本的には滅ぼすべき怪物なのだから
「大丈夫だよ。エティ」
震える彼女の頬に手を這わせる。よほどびっくりしたのだろう。その頬は少しひんやりとしていた。
「これは僕の生み出したアンデットなんだ」
「そ、そうなのてすか?」
「そう。だから安心して」
そう言うと僕はアンデットの騎士の頭を撫でた。乾いた皮膚からはどんな表情をしているかわからないが喜んでいるのだろうと推測できる。
「……ご主人様は魔法がつかえるのですか?」
「うん。こうやってアンデットを作れるんだ。」
僕はそこにあったアンデッドの鎧を、まるで玩具でも弄るかのように無造作に叩いてみせた。
常人なら悲鳴を上げて逃げ出すような死者が、僕の手に一切の敵対行動を見せず、ただの置物のように静まり返っている。その異常な光景を見て、エティの顔からようやく疑念が消え去り、代わりに底知れない畏怖の色が混ざり始めた。
しかし、彼女が真に恐怖を抱いたのは、そのさらに後ろだった。
アンデッドの巨体の影に隠されるようにして置かれた、血生臭い『実験台』へと、彼女の怯えた視線が吸い寄せられていく。
「……えっ……」
小さな、引きつった悲鳴がエティの口から漏れた。
アンデッドの巨躯に遮られていたその場所には、頑丈な鉄の枷で作業台に縫い付けられた、一人の女が転がっていた。
衣服はボロ切れのようになり、酷い悪臭と、どす黒い血の匂いが鼻腔を突く。それは僕が先日のお散歩で捕まえた女盗賊の生き残りだった。
女は猿轡を嵌められ、恐怖に白目を剥きながらガタガタと肉体を痙攣させている。身体は痩せこけ、かつての自信のあった態度はすっかりとなりをひそめ、今や、ぶるぶると震えるだけとなっていた。
「ご、ご主人様、この方は……?」
エティの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
彼女は気づいたのだろう。彼女の目の前にいるこの女があの日にいた盗賊であったことに。
あの日の檻にいた彼女とて、このような生々しい『実験台』を目の当たりにするのは初めてなのだろう。まだ彼女の中に残っている、年相応の、そして人間らしい善良な倫理観が、目の前の光景に強烈な拒絶反応を示していた。
「僕たちの研究をね、少しだけ手伝ってもらうんだよ。……怯えなくてもいい。彼女は他人の命を奪ってきた悪党だ。これくらいは、妥当な罪の贖いだろう?」
僕は彼女を安心させるように、これ以上なく優しく微笑みながら、エティに投与する予定の青い薬品が入ったフラスコを口元へ持っていく。
ガラスの筒の中で、怪しく、しかし美しくきらめく青い液体がゆっくりと口元から喉へと流し込まれていく。抵抗はない。彼女の歯は全て摘出済みである。
――次の瞬間、地下室に女のくぐもった絶叫が響き渡った。
「っ!? ――――ッッ!!」
枷が壊れんばかりに、女の肉体が跳ね上がる。
女の皮膚の下で、筋肉が異常な収縮を起こしてボコボコと不気味に蠢き、骨が内側から自壊していく嫌な音が狭い地下室に反響した。女の口からゴボリと黒い血が溢れ出し、やがて、その肉体は弛緩して動かなくなった。
エティはその様子を呆然と眺めていた。その瞳には先程まであった期待や安堵はない。あるのは恐怖と絶望に染まった色であった。
だから、僕は高らかに彼女へと告げた。
「成功だね」
「……え」
「今投与した薬は獣人用に調整したやつだからね。効果が薄いとエティに効かないんじゃないかと思ってたんだけ。彼女に反応があってよかったよ」
僕は冷淡にそう呟き、手元の羊皮紙に淡々と結果を書き留める。
そして、隣で彫像のように硬直しているエティへと視線を戻した。
彼女はガタガタと全身を激しく震わせ、涙をボロボロとこぼしながら、呼吸を忘れたようにその光景を見つめていた。恐怖。嫌悪。そして、自分の優しい命の恩人が持っている底知れない何かへの、圧倒的な恐怖。
彼女は今、混乱の絶頂にいるはずである。
僕は、新しいフラスコ瓶に再び青い薬を満たしながら、彼女の前に静かに立った。
これが、彼女に仕掛ける最初のテストだった。
「怖いかい、エティ」
僕の声は、地下室の冷気によく馴染むほどに冷ややかだった。
「これが僕の、本当の姿だ。僕はね、君を僕の完璧な『作品』にしたい。僕をどんな敵からも守る、美しくて最強の『盾』に。……だから、僕を信じて、その身体を僕に預けてくれるかい?」
優しい主人を演じるのは終わりだ。
あえて凄惨な死を見せつけ、恐怖を植え付けた上で、それでも僕を選ぶかどうか。彼女の忠誠の『底』を測る。
「選ぶといい。嫌なら、今すぐここから出て行って、普通の女の子として生きても構わない。僕は止めないよ」
もちろん嘘だ。ここまできて逃がすはずがない。拒絶するなら、彼女の運命も決まっている。
「あ……、う、あ……」
エティの唇が、震えながら言葉にならない音を漏らす。
目の前には、人をモノのように使い潰す悪魔。逃げ出したいという本能と善良な心が必死に目の前の悪魔は危険だと叫んでいるはずだ。
しかし、それ以上に。
自分をあの暗闇から救い出し、名前をくれ、居場所をくれたエリウスに、これ以上ないほどに恩がある彼女の心が、激しく身悶えしていた。
捨てられたくない。ご主人様に、嫌われたくない。お役に立ちたい。
恐怖という劇薬によって、彼女の中にあった逃げたいという本心が、内側からドロドロに溶かされ、塗りつぶされていく。無垢だった果実が、内側から黒く変質していく。
「私は……っ、私は、ご主人様の……作品、ですから……っ」
涙で視界を滲ませながらも、エティは怯えを押し殺し、濁った、しかし何かの感情が宿った瞳で僕を見つめ返した。
そして、自ら細く白い美しい肌の手を僕の前へと差し出してきたのだ。
「お役に立てるなら……あの方のようになっても、本望、です。どうか……私を、ご主人様の『盾』に、してください……っ!」
――ああ。
僕は溢れそうになる歓喜を噛み殺し、愛おしさを込めて彼女の頭を優しく撫でた。
「ありがとう、エティ。本当に、僕の可愛い作品だ」
まだ熟しきっていない彼女の心が、今、確かに僕の手の中で、少しづつ「腐敗」していくのだ。
僕は迷うことなく、彼女の差し出した白い手にフラスコを渡した。
彼女は少しのためらいの後、意を決してフラスコに入っていた液体を飲み干した。
彼女は選んだのだ。恐怖を克服し、僕の本性を見ても、僕についていく。初めてその決断をおろしたのである。
だからこそ、その決断には価値がある。彼女の「善良な価値観」に少しのひびが入った。
少しの時間差でエティは苦しみ出した。その様子はまるで陸にあげられた魚のように全身を跳ね上げ、苦しみ、もがいていた。
彼女は、しかし、その痛みに、苦しみに耐え抜こうと必死だった。
彼女の苦しみは長くは続かなかった。少しの時間後、彼女の反応は少しずつ落ち着いたものとなり、やがて、正常へと戻っていった。
「気分はどうだい」
僕の声に、激しい喘鳴を繰り返していたエティがゆっくりと顔を上げた。
汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔。しかし、その瞳には先ほどまで彼女を支配していた「怯え」や「恐怖」はもう欠片も残っていなかった。
「……あ……熱いです……っ。体の奥が……すごく……熱くて……っ」
彼女は自分の細い手先を凝視し、何度も開閉を繰り返す。
薬の成分が全細胞へと行き渡り、骨密度と筋繊維の密度が異常な密度で再構築されているのだ。見た目の可憐さはそのままに、内側の強度が跳ね上がっていく感覚。
「力が入るかい?」
「は、はい……! 凄いです……身体が……軽いのに、信じられないくらい、力が……っ」
エティは吸い寄せられるように、足元に転がっていた鉄製の枷に手を伸ばした。
そして、無意識に指先に力を込めた――瞬間。
カツン、と鋭い金属音が響く。
分厚い鉄のリングが、まるで粘土のようにあっけなく歪み、ひしゃげた。
「っ……!?」
自分の放った異常な怪力に、エティ自身が目を丸くする。
僕は満足感に口元を歪めながら、彼女の前に膝をつき、その濡れた頬をそっと撫でた。
「完璧だ。君は耐え抜いたんだよ、エティ。僕の最高で、特別な『作品』としてね」
「ご主、人様……っ」
僕の手のひらに、彼女は猫のように自ら頬をすり寄せてくる。
ふと、彼女の視線が、床で物言わぬ肉塊と化した女盗賊の死体へと向く。
先ほどまでは悲鳴を上げて拒絶していた凄惨な死。しかし、それを見て何を思ったのかわからないが、彼女はそれを凝視し続けていた。
「さあ、立ち上がろうか。君にはこれから、その力を使って『僕の敵』を排除してもらわなくちゃいけないからね」
「はい……っ!」
彼女は差し出された僕の手を、優しくまるで、大事な陶器を触るかのように触れていた。僕は永遠を手に入れるための駒は、いまや完璧な牙と爪を得た。
僕は脳内で次の実験の手順をアップデートしながら、地下室の冷たい階段を上り始めた。
物語が面白いと感じていただけましたら、ブクマ・評価・感想を頂けると作者は大変うれしいです。次の投稿は翌朝の8時となります。




