33話 欺瞞に満ちた真実
アタシは宿へと急いで逃げ帰ってきた。
宿に着いて安心したからか、アタシはあの教会で見たことが急に恐ろしく感じてきた。
「ただいま。帰りました」
そんな風に考えていると、エティが帰ってきた。
その表情は何も変わらない様なものであったが、アタシにはどこかうかない様に感じた。
アタシは、その姿をみて、宿の部屋の小さな卓に腰を下ろした。
二ヶ月、何度と迎えてきた夜であったが、今日、その夜が変わるかもしれない。
そんな予感がアタシにはあった。
「エティ。どこに行ってた」
「ご主人様のところへご報告に行っておりました。出る際にお伝えしたとおりだと思うのですが……」
エティはやや、困った様な表情をする。アタシは意を決して話すことにした。
「あの廃教会だね」
エティの動きがぴたりと止まった。顔を見ると目を開き、驚いた様な表情をしていた。
「……お師匠様。どうして」
「悪いが尾けさせてもらったよ」
「……なぜですか?」
「アンタの態度がおかしいって感じからさ。アンタはあの廃教会でアイツが何をしてるのか知っているのかい?」
返事は、なかった。
アタシは、懐から二つに折った紙を出して、卓の上に置いた。
「……これは?」
「アンタのご主人様の記録だよ。読みな」
エティは、しばらく、紙を見つめていた。
それから、ゆっくりと手に取って、開いた。
『観察対象:ベルナデット。女。魔法なし。他者を助けることあり。信頼構築の適性:高』
エティの目が、一行、一行を追っていく。
読み終えても、顔色は変わらなかった。
「……ご主人様は、お師匠様のことを、よく見ておられます」
「それだけかい」
「はい。お師匠様が選ばれたことは、存じていました」
今度は、アタシのほうが、言葉に詰まった。
「知ってたのかい」
「はい。最初に言われていました」
エティは、紙を卓に戻して、まっすぐアタシを見た。
隠そうとする顔ではなかった。
「最初ってどこからだい?」
「……ギルドに来た日の、登録のあとです。ギルドを出る時に、お師匠様が声をかけてきたら、受け入れるようにと話されていました」
「あの時か」
アタシはあの一悶着を思い返す。多分、あの時に目をつけられたのだろう。
しかし、気になることもある。
「……じゃあ、あのやり取りは。アンタが冒険者の腕を斬ったのも、アイツに言われたのかい?」
「……いえ。それはありませんでした」
エティは少し考えるようにして、続ける。
「ご主人様からは、舐められないようにしなさいと、言われていただけです。冒険者は気の強い人が多いから、と。斬ったのは、ご主人様に触れられたからで……私の判断です」
「……そうかい」
嘘をついている顔ではなかった。
そうなると、あの騒ぎは、あの坊ちゃんの仕込みではなかったことになる。絡まれたのも、エティが斬ったのも、アタシが止めに入ったのも、全部偶然だ。
(いや、違う。そこじゃない)
帳面には、『他者を助けることあり』と書いてあった。
腕を斬られた馬鹿の命まで助けようとした、お人よしの女。あの坊ちゃんは、あの場で、アタシを見つけたわけだ。
そして、見つけたその日のうちに、エティに言いつけた。声をかけてきたら、受け入れろ、と。
あの時、背筋を這った、ねっとりとした感覚。あれは殺気ではなかった。値踏みされていたわけだ。
(……ただ、それを言うのは、まだだ)
アタシは、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
見せたいのは、その先であった。
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「エティ。北の森の化け物を覚えてるね」
「はい」
「アタシは、さっき、あれの実験記録を見たんだ」
アタシは、一語一語、記憶をたどった。
「『キメラ実験、北部。目的、エティの実戦データ収集、および一般冒険者の戦闘データ収集。本人には伏せる』。絵まで添えてあった。あの化け物だよ」
エティの表情が、止まった。
「……何を、仰っているのですか」
「あの化け物は、アンタのご主人様が、作ったんだ。アンタの戦いぶりを、記録するために。アンタには、内緒でね」
「ありえません」
即答であった。
「ご主人様は、私に、何も隠されません」
「隠してたんだよ。『本人には伏せる』って、書いてあった」
「それは——」
「アンタが斬った化け物。頭巾の下は、人間の顔だったろう。口が、動いてた」
エティは、答えなかった。
両手が、膝の上で、ゆっくりと、握られていく。
あの夜、あの子は、化け物を斬ったあと、剣を持つ手を見ていた。
人を斬るのは、あまり好きではない。そう言った声を、思い出す。
「……お師匠様が、嘘を仰る方でないことは、存じています」
やがて、エティは、小さな声で言った。
「ですが、ご主人様が、そのようなことを、なさるとは、思えません」
「思えなくても、あったんだ」
「……はい」
エティは、頷いた。
信じていないのではない。信じたくないのだ、と、分かった。
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「もう一つ、見たもんがある」
アタシは、続けた。
「地下には、牢があった。首に銀の首輪をはめられた女たちが、閉じ込められてたよ。声も出せない。アンタのご主人様は、その一人を、メイド服の女に運ばせた」
エティは、驚かなかった。
「……はい。地下に、そういう方々がおられることは、存じています」
「…………は?」
「ご主人様は、人形、と呼んでおられました。ご主人様に逆らった方や、敵対された方の頭などに、……その……手を入れて……言うことを聞くようにしておられます」
あまりにも、あっさりとした口ぶりだった。
その様子は、これまでのエティとは違う、見たことのないものに感じた。アタシは言葉を失った。
「アンタ、知ってて……」
「はい。何度か、見ていますし、数度お手伝いをいたしました」
エティは、膝の上で、指を組んだ。
「敵を打ち倒すのは当然だと、ご主人様は仰いました。私も、必要なことだと…………思っています」
アタシは、立ち上がっていた。
「あの女たちは、敵なのかい」
「…………」
「あの坊ちゃんに、何かしたのかい。逆らったのかい。アンタは、あの女たちが、何をして牢に入ったか、知ってるのかい」
「……いえ。それは、存じません」
「薬草は。アンタが運んでる薬草は、何に使われてるんだい」
「それも……ご主人様は、人を助けるものだと」
そこまで言って、エティは口を閉じた。
自分の言葉が、アタシに届いていないことに、気づいたのだろう。
「アンタは、全部を知ってるわけじゃない。あの坊ちゃんは、見せていい分だけ見せて、残りは隠してる。……あの化け物が、そうだったろ」
「ご主人様がなさることには理由があります」
「……理由?」
「はい。ご主人様は、考えもなしに、行動される方ではありません。私に話されないのは、きっと、私を——」
「理由があれば、人を化け物にしていいのかい!」
自分の声が、部屋に響いて、跳ね返った。今のエティは見ていられなかった。
「人を閉じ込めて、首輪をはめて、化け物に変えて、それも理由があれば問題ないってのかい。……問題ありません、じゃないんだよ!」
「………………」
「アンタはアイツのしてることに納得はしてるのかい?」
「……ご主人様がされていることは……」
「アンタの気持ちを聞きたいんだ!!」
エティは下を向いたまま、話すことはない。ただ俯いたままでいた。
アタシはそれをみて、確信に至った。
エティ自身は決して、あの残酷な行為は良しとはしていないのだ。
「エティ。あれは異常だ。あんなヤツといるのはアンタにとって何の意味もない——いや、害悪と言っていい」
アタシはエティに手を伸ばす。
「アタシと、逃げよう」
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「お師匠様」
エティは、立ち上がった。
アタシより、頭ひとつ低い。けれど、その目線は、揺れなかった。
「お師匠様は、私の何を、知っているのですか」
アタシはその質問に息が、詰まった。
「私は、ご主人様に、名前をいただきました。居場所も、食べ物も、剣も。記憶がなかった私に、全てを与えて下さったのはご主人様です」
静かな声であった。
怒鳴るでも、泣くでもなく、ただ、淡々と、事実を並べていく。
「お師匠様は、二ヶ月前の私しか、ご存じありません。その前を、何も、ご存じありません。私が何者だったのかも。なぜ、ご主人様に拾われたのかも」
「それは——」
「お師匠様は、私を、連れ出してくださると仰いました。畑に行ったあと、私は、何者になるのですか」
アタシは、答えられなかった。
畑で、土をいじって、薬草を育てて。それは、アタシの夢だ。
けれど、この子の過去を、アタシは何も知らない。この子の過去を、何も、取り戻してやれない。
あの坊ちゃんは、この子の全部を、知っているのだろうか。
「……ご主人様に、確かめてきます」
エティは、卓の上の紙を、静かに畳んだ。
それをアタシの前に戻して、一歩、下がった。
「それまで、お師匠様とはご一緒できません」
「エティ」
「申し訳ありません」
エティは、剣を手に取った。
扉の前で、一度だけ、足を止める。
振り向きはしなかった。扉が、閉まった。
足音が、遠ざかっていく。
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アタシは、卓の前に、立ち尽くしていた。
預かり札が、懐の中にある。
金貨四十枚。二十年かけて、ようやく届いた額である。
畑は、買える。土も、家も、手に入る。
けれど、悩んでいる女の子一人を助けることすらできない。
卓の上の、折り畳まれた紙を見つめる。
その角が、小さく、震えているのに気づいた。
震えているのは、紙ではなかった。




