32話 明かされた真実
廃教会は、近くで見ると、思っていたよりも、清潔な様子だった。
窓はきちんと整備されているのか、真新しいステンドグラスがはめられ、壁は蔦まみれではあるが、穴は空いていなかった。
そして、扉の蝶番は、真新しい油の匂いがする。それは、人が出入りしている証拠であった。
アタシは、正面の扉は避けて、礼拝堂の脇の、窓の下に身を寄せた。
そして、そっと、中を覗きこんだ。
ぼんやりと薄暗い中に、燭台の光が、一つだけ揺れている。
その下には、背筋を伸ばした状態のエティが立っていた。
すると、祭壇の裏から、小さな足音がしてくる。
「ああ、エティ。来てくれたね」
透き通った声。
現れたのは、金髪の少男の坊ちゃんであった。その美しさは夜でも分かる、血の気の薄い白い肌に美しい身なり。何度見ても、その美しさだけは色あせることはなかった。
坊ちゃんの周辺には、小さなネズミたちがいた。
「ご主人様。ご報告に、参りました」
「うん。聞かせて」
「はい。今日、お師匠様の貯金が、目標額に、到達しました」
「そう。それはよかったね。おめでとうを言わなくちゃ……それで、あの人はなんて?」
「……お師匠様は、畑に行くと」
「そう」
少男は、にこにこと笑っている。
まるで、エティの話が楽しいかのような態度であった。
「いやー。でも、寂しくなるね。そう思わない? エティ」
「……はい」
その問いかけにエティは小さく頷く。ここからではエティの表情はわからないが、どこか悩んでいそうな声色であった。
エリウスは、エティの頭に、そっと手を置いた。
ただ、黙って撫でられている。
「今日は、上で待っていてくれる? 少し、手入れをしたいものがあるんだ」
「はい、ご主人様」
「いい子だね」
二十年の冒険者暮らしで、いろいろな声を聞いてきた。
だからこそわかる。あの言葉は優しいものではあるが、その声色の本音は冷たいものであった。
エリウスは、軽い足取りで、祭壇の裏へ消えた。
石の擦れる低い音がして、隠し扉が、開いたのだろう。
エティは、一人になった礼拝堂で、長椅子の端に、ちょこんと腰を下ろした。
その横顔が、燭台の光のなかで、ひどく小さく見えた。
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正面から入れば、エティに見つかる。
アタシは、教会の裏手へ回った。
崩れた墓地の奥。石組みの小さな納骨堂の戸が、半開きになっている。そこの扉にも、新しい油の匂いがした。
アタシは、息を殺して、その暗がりへ、足を踏み入れた。
石段が、下へ続いている。
降りるほど、空気が冷たくなる。薬品の匂いが、濃くなる。
長い通路の突き当たり、半開きの鉄の扉の向こうに、淡い光が漏れていた。
アタシは、扉の陰から、そっと、中を覗いた。
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そこは、地下とは思えないほど、広かった。
かび臭い地下で、どこか、嫌な臭いがする。机の上には、無数の器具と、薬瓶が並んでいた。
奥には、いくつかの鉄格子が並んでいる。アタシがそっと中をのぞくと、そこには、幾人かの身なりの汚れた女たちが、牢の中で閉じ込められていた。よく見ると、その首元には銀色の首輪がはまっていた。
その時、小さな足音が隣の部屋から響いてくる。アタシは慌てて、石柱の陰に身を寄せる。
足音とともに、隣の部屋から、燭台の灯りが近づいてきた。
現れたのは、あの坊ちゃんであった。
足元には、ネズミたちが、波のように群れてついてくる。その肩の上には、一匹だけ、琥珀色の目をしたネズミが乗っていた。
「みんな、お待たせ。ご飯の時間だよ」
柔らかい声であった。
エリウスは、鉄格子の前を、一つずつ回りながら、器に水と粥を注いでいく。女たちは、坊ちゃんが近づくたびに、びくりと肩を揺らして、黙って器に手を伸ばした。
声を、出さない。いや、出せないのだろう。
女たちの目だけが、必死に、何かを訴えていた。
助けて。逃がして。ここから出して。
そう言っているように、アタシには見えた。
「大丈夫。安心して、ちょっと、君たちの身体を調べさせてほしいんだよ」
その声色はまるで、幼子をあやすような優しい声色であった。しかし、アタシには感じる。その声色には温度がなかった。
アタシは、石柱の陰で、奥歯を噛みしめる。
エリウスは、一番奥の檻の前で、足を止めた。
中にいるのは、まだ若い女であった。膝を抱えて、壁にもたれたまま、動かない。首輪の光だけが、浅い呼吸に合わせて、淡く明滅している。
「ありゃ、衰弱しちゃってるなぁ。……なら、勿体無いし君にするか」
格子越しに、エリウスの手が、女の頭を撫でる。
女は、ほんの少しだけ、身を縮めた。
「んじゃ、行こっか。……ねえ。彼女を運んで」
「はい」
そう発すると、隣の部屋からメイド服をきた女が一人歩いてきた。
彼女は、ニコニコと楽しそうな顔をしながら手際よく、檻から、衰弱していた女を出し、担ぎ上げる。
担がれた女はたいした抵抗をすることはなく、担がれ、隣の部屋へと連れてかれて行った。
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エリウスは、メイドに続いて、奥の小部屋へ入っていった。
扉は、半分だけ開いたまま。器具の触れ合う音と、水を流す音が、聞こえてくる。
その肩から、琥珀色のネズミが一匹だけ、机の上へ飛び降りて、残った。
アタシは、ゆっくりと、石柱の陰から出た。きょろきょろと見回すと、部屋の片隅に、小さな作業台を発見した。
その上に、革表紙の帳面が、開いたまま置かれていた。
何があるのか? そう思いながら、文字を追っていた。
『キメラ実験(北部):目的、エティの実戦データ収集、および一般冒険者の戦闘データ収集。本人には伏せる』
アタシは目を疑った。
そこに書いてあったのは、ある動物への実験記録であった。
その実験記録にはご丁寧に、絵が添えられていた。
その絵に描かれた動物は、あの大森林で出会った化け物であった。
(あの、化け物。坊ちゃんが作ってたわけか)
アタシはさらに、ページをめくっていくと、さらに気になるページを見つける。
『観察対象:ベルナデット。女。魔法なし。他者を助けることあり。信頼構築の適性:高』
自分の名前が、そこにあった。
息が、止まった。
頭の奥で、何かが、ゆっくりと、噛み合っていく音がした。
ギルドの出口で、エティが、一瞬だけ、こちらを見たこと。
毛布を知っていたこと。あの化け物の、不自然な撤退。
全部、仕組まれていた。
アタシは、選ばれたのだ。選ばれて、エティと出会い、そして、あの坊ちゃんの予想通りに動いて、エティと過ごしてきたのだ。
そして、エティは。
(あの子は、これを、知らされていない)
『本人には伏せる』の一行が、目に刺さった。
あの子は、ご主人様を疑っていない。何も隠されていないと、信じている。
アタシは、そのページを、静かに破り取って、懐にしまった。
そのとき、視界の端で、何かが動いた。
机の端のネズミが、こちらを向いている。
琥珀色の目が、まっすぐ、アタシを見ていた。
ネズミは、鳴かなかった。
逃げもしなかった。ただ、じっと、アタシを見つめていた。
奥の小部屋で、水の音が、止まった。
「……さて」
エリウスの、独り言が聞こえる。
「そろそろ、上に戻ろうかな。エティを、待たせてしまうし」
足音が、近づいてくる。
アタシは、音を立てずに、鉄の扉へ身を滑らせた。
最後に、一度、檻の方を見つめる。
檻の中にいる女たちは動くことはなかった。
「……待ってな」
声にならない声で、そう言った。
返事は、なかった。
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墓地まで、どうやって戻ったのか、覚えていない。
夜気が、頬に冷たかった。
アタシは、礼拝堂の窓の下へ、足を戻した。
礼拝堂の長椅子には、まだ、エティが座っていた。
両膝を抱えて、俯いている。燭台の光が揺れるたび、足元の影が、頼りなく揺れた。
やがて、祭壇の裏から、エリウスが戻ってくる。
「お待たせ、エティ。さあ、お師匠様のところへ、お帰り」
「はい、ご主人様」
エティが、立ち上がる。
その顔は、アタシが毎日見ている顔と、同じであった。
無表情であった。
アタシは、その顔を、まっすぐに見ることが、できなかった。
窓の下で、懐の紙を、強く握りしめる。
それから、エティよりも先に宿へ戻るために、夜の街を、走り出した。
夢の叶った夜は、思っていたよりも、ずっと、冷たかった。
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