第31話 違和感の芽
あの夜から二ヶ月が経った。
エバンスの朝の井戸水が、手を切るほど冷たくなったころ、アタシとエティは、すっかり「二人組」としてギルドに知られるようになっていた。
あの日からエティはアタシの宿で寝泊まりする様になった。
最初はアタシも驚いたが、どうやらあの坊ちゃんが、師匠に学ぶなら、寝食を共にするのが良いと言った様だ。
おかげで、アタシはエティと日々を共に行動する様になった。
生活は順調であった。
街道の護衛、薬草の採取、小型の魔物の討伐。大森林は、あの一件以来、封鎖されたままである。それでも、仕事は途切れなかった。エティの力と、アタシの経験。二つが合わさったことで、互いを支え合うことができていた。
変わったのは、仕事だけではない。
エティは、飯のたびに、「おかわりはありますか」と聞くようになった。
礼を言われれば、「どういたしまして」と返す。アタシが頭に手を置いても、もう、少しも身を固くしない。
そして、笑顔も増えてくる様になった。
出会った時は常に無表情で、どこか張り詰めた空気があったが、今はそんな様子も薄れてきて、ギルドの連中が口にする「白銀狼」という呼び名にも、少しだけ、角が取れたものが混じるようになった。
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その日は、仕事帰りに、ギルドの預かり所へ寄った。
アタシが預かり札を差し出すと、受付の女は、奥の帳簿をめくって、しばらく指を動かしていた。
「ベルナデットさん。今回の報酬を足して、金貨四十枚ちょうどです」
「……ちょうど?」
「はい。ちょうどです」
一瞬、言葉の意味が、頭に入ってこなかった。
目標まで、半年はかかると思っていたが、なんと二ヶ月で達成してしまった。
そんな、急な出来事にどこか現実感が薄かった。
「おい、ベルナデット」
背中から、乱暴な声が飛んできた。
ヴァレリーである。仲間の三人を連れて、酒場の席から、こちらをにやにやと眺めている。
「聞こえてたよ。四十枚だって? ついに夢が叶うのかい」
「……聞き耳立てんじゃないよ」
「ふん。よかったじゃないか」
ヴァレリーは、杯を傾けながら、ふと、真顔になった。
「……正直、うまく行くとは思わなかったよ」
「……どういう意味だよ」
「アンタはまぁ、基本的にお人よしだ。だが、そんなやつは長生き出来やしない。特に、冒険者ではな」
「……」
「だが、アンタはそんな予想を跳ね返したわけだ」
そう言うとヴァレリーは自身の持っていた杯の中身を飲み干した。
アタシは、笑って、何も返さなかった。
「……おめでとさん。素直に祝福するよ」
そう言うと、ヴァレリーは手をアタシの前に差し出した。アタシは意図を汲んで、ヴァレリーの手を握り返した。
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その夜、宿の食堂で、アタシは、預かり札をエティに見せた。
「見な。四十枚だ」
「はい。目標額に、到達しました」
「そうさ。…ようやく夢が叶うよ」
口に出して、ようやく、実感が湧いた。
二十年、冒険者をやってきた。辛い思いも、楽しい思いもたくさんした。それがやっとここまで来た。
エティは、スープの椀を置いて、アタシをじっと見た。
「お師匠様。おめでとうございます」
「ありがとよ。……アンタはどうする?」
アタシは聞きたかったことを直接尋ねた。
二ヶ月前、アタシはエティを自身の夢に誘った。それは何も冗談ではない。エティと過ごすこの二ヶ月は何よりも楽しかった。
あのとき、エティは確かに、薬草係なら楽しそうだと言った。けれど、それが本心なのか、アタシには、確かめる術がなかった。
「……」
返事は、なかった。
エティは、それから、視線を落として、膝の上で、指を組んだ。
「ご主人様に、お伝えしなければなりません。これからのことについて」
「……ああ。そうだね」
アタシは、そこで、言葉を飲み込んだ。
アタシはどこか嫌な予感がしていた。
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実のところ、この二ヶ月、エティとの生活の中で、アタシのなかには、小さな引っかかりが、いくつも溜まっていた。
エティが、月に何度か、夜のうちに姿を消すこと。
行き先を聞けば、「ご主人様へ、ご報告に」と、隠しもせずに答えた。薬草も、そのときに、渡しているという。
実際、この宿に来た時からそのことは言っていたのでたいして気には止めていなかった。
しかし、ある時、アタシは偶然目撃してしまったのだ。エティが薬草の袋を抱えて屋敷とは違う方向へ向かうのを。
そして、帰ってきたエティの服からは、ときどき、奇妙な匂いがした。
その奥に、古い血の匂いが、混じっていることもあった。
最初は気のせいだと思っていたが、そういった匂いがする日に限って、エティは暗い顔をして、どこか思い詰めた様子であった。
そんな日が続けばイヤでも気になってしまった。
そして、気になりだすと違和感はそこかしこから噴き出てきた。
それがネズミであった。
宿の窓の縁にも、ギルドの梁の上にも、琥珀色の目をした、小さなネズミが、こちらを見ていた気がした。
最初は、気のせいだと思った。けれど、エティの件から疑心暗鬼になったのか、考えると、不自然な気持ちになってきた。何故、こうもネズミを頻繁に見かけるのか? エティと出会う前は、そんな頻度で見たことはなかった。
そのうち小さな違和感は徐々に膨らんでいく。
そして、二ヶ月前に出会った獣にも疑問を感じた。
あれ以降、大森林で、山狩りが何度か行われた。しかし、あの日以降、あの獣を見つけたと言う報告も聞いていない。
そもそも、あの日の獣の撤退は、今、思い返しても、おかしいことでいっぱいだ。あの獣の力はまだ、余っていた様に見えた。それが、誰かに呼び出されたように、あっさりと去っていった。
一つ一つは、取るに足らないことである。
けれど、積み重なると、何かの形に、見えてくる。
そもそも、大森林の異変が、いつから起きたのか——それが二ヶ月半前。
エティがギルドに登録され、あの坊ちゃんが姿を見せたのはいつか——二ヶ月半前。
そして、エティが屋敷ではない場所に行くこと、そこから帰ってくるたびに暗くなっていく顔。
小さな違和感の糸が少しずつ少しずつ形をなし、アタシが持っていたあの坊ちゃんへの違和感と結びつくことで小さな輪郭を帯びてくる。
(……少なくとも、鍵はあの坊ちゃんか)
アタシはそう考え、決心をした。
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食事のあと、エティが、いつものように言った。
「お師匠様。今夜は、ご主人様に、ご報告に行ってきます。遅くなりますので、先にお休みください」
「……ああ。気をつけて行きな」
「はい」
扉の閉まる音がして、足音が、遠ざかっていく。
アタシは、寝台に横になって、目を閉じた。
数を、五十まで数える。
それから、身を起こして、外套を羽織った。
夢が叶う日に、こんなことをするのは、野暮だ。
それでも、足は、勝手に動いていた。
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冒険者の技は、何も戦闘だけではない。エティには教えられていなかった技術はいくつかある。その中で、気配を消す術はこういう人を尾けるのにも役に立つ。
月のない夜の街。屋根の影と、路地の暗がりを選んで、アタシは、遠くに揺れる白銀の髪を、見失わないように追った。
思った通りエティは、屋敷のほうへは、向かわなかった。
エティは街の北の外れにむかって行った。そして、ある場所で、立ち止まった。窓は割れ、屋根の一部が崩れた、古い礼拝堂。使われなくなって久しい、廃教会であった。
エティは、一度だけ、辺りを見回してから、軋む扉を押し開けて、中へ入っていった。
扉が、閉まる。
アタシは、崩れた塀の陰から、その閉ざされた扉を、じっと見つめていた。
(……こんなところに、何の用がある)
屋敷でもない。ギルドでもない。
あるのは廃教会が一つ。
——いや、この廃教会には、ある噂があった。
アルセース侯の御息男が、回復魔術をかけたり、薬を配ったりしている、という噂である。
(……また、あの坊ちゃんか)
この先へ進めば、あの子の知らない顔を、見ることになる。
風が、廃教会のほうから、吹いてきた。
その風に乗って、冷たい薬品の匂いが、微かに、鼻を突いた。
アタシは意を決して、エティが行った扉に近づいて行った。
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