25話 渡り鳥は天使と出会う
「顔を上げてよ。エティ。ここは屋敷じゃないんだしね。今の君は白銀狼のエティなんだから」
柔らかな声であった。
エティが顔を上げる。その表情は、いつもと変わらない。けれど、垂れていた耳が、ほんの少しだけ持ち上がったのを、アタシは見逃さなかった。
彼の背後には、馬を引く従者は見当たらなかった。
(ここまで、まさか、一人できたわけかい。こりゃまた。ずいぶんと早熟なもんだ)
金糸のような髪に、琥珀色の瞳。幼いながら、目を奪われるほど整った顔立ちである。その顔が、こちらを向いて、花が咲くように微笑んだ。
「驚かせてしまいましたね、ベルナデットさん」
「……アタシの名前を、ご存じで」
「ええ。エティが、初めて誰かと組むのです。どのような方なのか、気になりまして。調べさせました」
あまりにも、あっさりと言う。
隠そうともしない、というよりも、隠す必要がないと思っているような口ぶりであった。
「ああ。僕としたことが名乗りを忘れていましたね。」
「お初にお目にかかります。エリウス・シュルナン・ド・アルセースと申します」
そういうと、目の前の少男は外套の裾をつまんで片足を引き、すっと膝を折った。幼いとは思えぬほど、無駄のない所作であった。
流石の無頼の女であるアタシとはいえ、その礼一つ一つに無駄のない洗練されたものを感じ、思わず見入ってしまった。
(魔法を持って、高い魔術技術、馬術に、完璧な礼儀作法。こりゃ、完璧だ。女だったら完璧な子息になるねぇ)
確か、アルセース侯にも子息が一人いたはずではある。しかし、こんな完璧な息男がいたんじゃ、大変だろう。
「よければ、改めてお名前を。」
そう返されて、正気に戻ったアタシは素早く、一礼をした。
「渡り鳥のベルナテッドと申します。」
アタシは慣れない礼をしながら、挨拶をする。明らかに、不恰好な礼であり、少し恥ずかしい気持ちになる。
エリウスは、ふとエティの方へ顔を向けた。
「エティ。少し先で、待っていなさい」
「はい、ご主人様」
返事は、一息のうちであった。
エティは立ち上がり、何の疑問も挟まずに、獣道の先へと歩き出す。二十歩ほど進んだところで足を止め、聞こえないことをアピールするために、こちらに背を向けたまま、じっと動かなくなった。
まるで、そうあるのが当たり前だというように。
(……あれじゃ、白銀狼の名前も泣くねぇ。狼って言うより忠犬じゃないか)
口に出せば、それこそ斬られかねない言葉を、アタシは飲み込んだ。
前に、ヴァレリーのやつが、エティのことを抜き身の刃に例えていたが、今のあの姿を見ればなんて言うのか興味のあるとこである。
「お時間は取らせません。少しだけ、お話を」
「アタシで、よろしければ」
慣れない敬語に、舌がもつれそうになる。
エリウスは、気にした様子もなく、人懐こい笑みを浮かべた。その笑顔に少しドキッとする。
「ベルナデットさんは、どうしてエティと組もうと思われたのですか」
「金ですよ。奥地の依頼は、二名以上限定のものが割がいい。それだけです」
「お金。……なるほど」
エリウスは、その言葉を、口の中で転がすように繰り返した。その様子はアタシの言ったことを吟味しているかのようであった。
「素直な理由ですね。では、ベルナデットさんは、お金のためならなんでもできる方なんですね?」
「……まぁ、なんでもって言うのには語弊がありますが、ある程度はね」
なんとも、要領の得ない会話である。
まぁ、男の会話というのは中身のないものが多いため、そういうもんかと納得する。
「そんなにお金が大切な方なのに、エティには毛布を買ってくださいるんですね?」
「……なんでそれを」
言ってから、しまった、と思った。
彼の笑みが、わずかに深くなったのである。
(……カマかけたってわけかい)
「まぁ、そうだったんですね?エティのカゴに見慣れない毛布が入っていたのでね。そうなんじゃないかなぁって思ったんです」
「……まぁ、持っていないって言うので」
「そうだったんですか。もし、よければお金をお支払いしますよ?」
「…………いえ、あげたものなので」
「そうですか?……ふふ。優しい方なんですね」
話していて感じたが、目の前の子供は明らかに子供の口調ではなかった。
まるで、年季の入った商人が、品物の値打ちを確かめているかのような、静かな声である。
「半月前の、ギルドのことを覚えていますか」
「……」
急に問われてつい無言になってしまう。半月前といえば、エティが冒険者ギルドに来た日である。
「あの時、僕のエティが間違えて冒険者さんの腕を切ってしまった時、どうして、間に入られたのですか」
「別に……人死が出るのが目覚め悪いから助けただけですよ」
「なるほど、人死は目覚めが悪いですか」
目の前の少男は同じ言葉を繰り返す。
それから、彼は、ほんの少しだけ首を傾げた。
「では、もしエティの命が危機に晒された時。そのときも、目覚めが悪いから、助けてくださいますか」
アタシは、すぐには答えられなかった。
答え次第で、何かが決まってしまう気がしたのだ。
「……さあね。そのときになってみないと、分かりませんよ。そもそも、そうならないように努力しますね」
「……ふふ。そうですか」
エリウスは、短くうなずいた。
それだけであった。けれど、その「そうですか」には、何かの確信が混ざっていたように思えた。
「分かりました。ありがとうございます」
「何が、ですか?」
「いえ。こちらの話です」
それ以上は、何も教えるつもりがないらしい。
エリウス殿は、一歩だけこちらへ近づいた。
視線が、アタシの腰の剣に、それから、アタシの手のひらに落ちる。
「ずいぶん、使い込んだ剣ですね。それに、手も。長く、一人でやってこられた方の手です」
「……そりゃ、どうも」
「南部の、ギルドにいらしたそうですね」
喉の奥が、きゅっと締まった。
「どこで、それを」
「少し、耳にしただけです。ご心配なく。僕は、過去を気にする性質ではありません」
彼は、またにこりと笑う。
どこまで、知っているのか。いや、そもそも、何を知りたかったのか。それを問い質す勇気は、アタシにはなかった。
「長話をしてしまいました。最後に、一つだけお願いが」
「……何でしょう」
「エティは、世間のことを、何も知りません。どうか、お師匠様として、色々なことを教えてあげてください」
「だから、師匠って柄じゃ」
「いいえ。きっと、お似合いですよ」
美しい笑顔であった。まさに、万人を魅了する顔である。
けれど、アタシは気づいてしまった。その琥珀色の目だけは、少しも笑っていな行ことに。
(なんなんだい。コイツは?)
すると、エリウスは、前方に向かって、軽く手を上げた。
その合図ひとつで、エティが、すぐさま駆け戻ってくる。
「お待たせいたしました、ご主人様」
「いい子だね。怪我はしてない?」
「はい」
「無理はしないでね?」
「はい」
頬に添えられた白い指に、エティは、目を細めた。
あれは、懐いている顔だ。
いや、懐いている、というよりも——。
アタシは、その先を考えるのをやめた。その先は何か気づいちゃいけない感じなのではないか?そう。アタシの本能が告げていた。
馬に乗り、エリウスは、来たときと同じ速さで、街の方へ遠ざかっていく。
蹄の音が聞こえなくなってから、ようやく、アタシは詰めていた息を吐いた。
(……値踏みされたわけだ。)
いくつか質問をされただけである。だというのに、アタシの腹の底まで、すっかり覗かれたような気がしてならなかった。
「ベルナデットさん」
エティの声が、すぐ近くでした。
「ご主人様は、何と仰っていましたか」
「……アンタを、よろしく頼むってさ」
「そうですか」
エティは、それだけ言って、また、いつもの顔に戻った。
アタシには、それが、どうしようもなく恐ろしかった。
「行くよ。日が暮れる前に、野営地を決めなきゃいけない」
「はい」
歩き出したアタシの後ろを、また、小さな足音がついてくる。
その音が、さっきまでよりも、少しだけ、重く聞こえた。
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