24話 渡り鳥は雲行きを知る
翌朝のギルドは、いつもより静かであった。
床の血は綺麗に拭き取られていたが、板の木目には赤黒い染みが残っている。冒険者たちは、そこを避けるようにして歩いていた。誰も口に出さないが、昨日の光景が頭から離れないのだろう。
入口の脇に、小さな人影が立っていた。
銀色の髪に、白い肌。背中には大きな籠を背負っている。白銀狼であった。
「おはようございます」
「早いね。いつからいたんだい」
「先ほど着いたところです。依頼票は、お持ちですか」
彼女は、まるで何事もなかったかのような顔をしていた。彼女の中では昨日のことなど、とっくに終わった話なのだろう。
アタシは、懐から昨夜の依頼票を取り出して見せた。
「ああ。これを出しに行くよ」
「はい。それと、ご主人様から許可をいただきました」
「……許可?」
「アナタと組むことについてです。『よい話だ』と、仰っていました」
「……そうかい。それならよかった」
淡々とした声であった。けれど、アタシはその言葉を聞いた瞬間、昨夜と同じ冷たいものが背中を這うのを感じた。
どうも、あの子供は嫌な感じがする。白銀狼の前だから、あまり口にはできないが、アタシの冒険者の感が深入りするなと警告していた。
ただの年若い少男に対してである。
(気に入られた、ってことかい。……ありがたくない話だね)
警戒しすぎと言われればそこまでだが、何かが引っかかる。
それを顔に出さないようにして、アタシは受付へ向かった。
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受付に座っていたのは、昨日、手を震わせていた女であった。顔色は、まだあまりよくない。
まぁ、無理もない。自分の目の前で、人が真っ二つになってりゃ、大の女でも、無理からないことだった。
「二名以上限定の、大森林深部の素材採取だ。二人で受けるよ」
「か、かしこまりました。では、臨時のパーティ登録をいたします。お二人のお名前を」
「ベルナデット」
「エティです」
「保証金は、お二人とも二つ名持ちですので、免除となります」
そう言うと、受付の女はそそくさと依頼の処理に入った。その間、白銀狼——いや、エティとは、一度も目を合わせようとしなかった。
(まぁ、当然か。厄ネタだしねぇ)
実力があり、貴族のお抱えときたら、むげにはできない。しかし、先に剣を抜かれたとはいえ、躊躇なく人を殺せる倫理観とくれば、誰だって関わりたくはないだろう。
受付は、最後まで目を合わせないまま、頭を下げた。
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そのとき、背後から、鎧の擦れる重い音が近づいてきた。
「驚いたね。アンタが、パーティを組むのかい」
振り向くと、大柄な女が腕を組んで立っていた。ヴァレリーである。奥地を縄張りにしている中堅パーティの頭で、アタシとは、顔を合わせれば憎まれ口を叩く程度の仲であった。
背後には、仲間が三人。いずれも、エティの方を見ようとしないか、見ても目を合わせようとしなかった。
「何年もずっと一人でやってきて、組むのは嫌だと言い続けてたのはどこの誰だったかね」
「気が変わったんだよ」
「相手を選びな、ベルナデット」
ヴァレリーは、エティの方へ顎をしゃくった。
「昨日、見ただろう。あれは犬じゃない、人の形をした抜き身の刃だよ。鞘がなけりゃ、いつか持ち主まで斬る」
「余計なお世話だ」
「忠告してるんだよ。アンタ、お人よしだからね。そういう奴ほど、真っ先に刺される」
痛いところを突いてくる。少なくとも周りから見たエティの評価としては的を得ていた。アタシは、返す言葉を探して、少しだけ黙った。
その間も、エティは何も言わなかった。ヴァレリーの方を一度だけ見て、すぐに目を伏せる。昨日と変わらない様子に少しため息がでる。
「それと、もう一つ」
ヴァレリーの声が、ほんの少しだけ低くなった。
「大森林のの様子が、妙なんだ。魔物の群れの動きが、ここ半月で少しずつおかしくなってる。いくつかの魔物の巣が移動してるらしい。うちは明日から、北側の巣を回る。アンタらが行くなら、南側にしときな」
「何?」
それは妙な話である。あの大森林——エルザス大森林はザンツベルグ連合王国との国境にそびえる大森林であった。
その広さから複数の領土に重なっているため、生態系が多様であり、様々な魔物が生息している。
だが、そんな魔物たちも、テリトリーがあり、そこに巣を張る。
そして、そこからはあまり動かない。
もし動くとしたら、何か強大な魔物がうろついて、テリトリーを追い出された事になる。
「……分かった。覚えておくよ」
「覚えとくだけじゃなくて、守りな」
それだけ言い残して、ヴァレリーは仲間を連れて、ギルドを出て行った。
口は悪いが、嘘は言わない女である。その彼女が忠告していった以上、奥で何かが起きているのは確かなのだろう。
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「あの人は、私を怖がっていたのでしょうか」
ギルドを出て、市場へ向かう途中、エティがぽつりと言った。
「それとも、心配していたのでしょうか。よく、分かりませんでした」
「両方だよ」
「両方」
「アンタが怖い。でも、同じくらい、アタシが心配なのさ。あれは、アンタに言ってたんじゃなくて、アタシに言ってたんだ」
エティは、少しの間、黙って歩いていた。
それから、「……そうですか」とだけ答えた。分かったのか分からなかったのか、顔からは読み取れなかった。
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市場で、携帯食と水袋を買い足した。
干し肉と乾パンを二人分で三日分、銅貨四十枚。ここまでは、いつもの買い物である。
問題は、エティの荷であった。
背中の籠を下ろして中身を確かめてみると、入っているのは、空の水袋と、小さな刃物と、数本の薬草だけであった。
「毛布は?」
「持っていません」
「夜は、どうしてるんだい」
「木にもたれて、少し休めば十分です。頑丈な身体をしていますから」
何を言っているのだ、と思った。けれど、彼女は本気でそう言っている顔をしていた。
アタシは何も言わず、古着屋に入って、手頃な毛布を一枚買った。値段は銅貨六十枚であった。
少し痛い出費だが、仕方ない。
「これを使いな」
「……私の分の経費は、依頼の報酬から引くのでしょうか」
「アタシのおごりだよ。先行投資ってやつさ」
エティは、渡された毛布を、不思議そうに両手で持っていた。しばらくそれを眺めてから、顔を上げる。
「こういうとき、お礼を言うべきなのでしょうか」
「……そうだね。言ってくれると、アタシは嬉しいよ」
「ありがとうございます」
抑揚のない声だった。
けれど、毛布を抱えた小さな腕に、ほんの少しだけ力が入ったように見えたのは、気のせいではなかったと思う。
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エバンスの街を出て、街道を半日歩くと、大森林の入口に着いた。
昨日と同じ、静かな森である。けれど、今日はこれから、日が暮れても戻らない。
「奥地に入るのは、初めてじゃないんだろう」
「はい。ですが、夜営は、初めてです」
「なら、今日はアタシの言うとおりにしな。慣れるまで、無理はしないことだ」
「分かりました」
木々の間に、細い獣道が続いている。
先に立って歩きながら、アタシは、ふと考えていた。
こうして誰かと並んで森へ入るのは、何年ぶりだろう。
背後に足音がある。それだけのことが、どうにも落ち着かない。あの日から、ずっと一人だったのだから。
(いや、もう考えるのはよそう)
首を振って、前を向く。
そのすぐ後ろを、小さな足音が、同じ歩幅でついてきていた。そのときであった。
後方から、馬の駆けてくる音が聞こえてきた。
「ああ、間に合った」
男——いや、少男の声がした。その柔らかな口ぶりに嫌な予感を覚えながら、アタシは振り返った。
そこには、半月前に出会った美少男が立っていた。
「ご、ご主人様!?」
いつも、感情の薄いエティも流石に驚いた表情をしていた。
アルセース侯の御息男であった。
(まさか。こんなところで会うかね)
会いたい相手ではなかった。あの不気味な少男と顔を合わせるのは、どうにも気が進まない。
しかし、エティにとっては違ったのだろう。そこが地面だというのに、迷いなく片膝をついて、頭を垂れていた。
アタシは気が重くなりながら相手をする事にした。
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