22話 渡り鳥は狼と出会う
あれから半月が過ぎた。
朝のギルドは、いつもなら依頼票をめぐる冒険者たちの小競り合いで騒がしいのだが、その日は妙に静かであった。ぐるっと周りを見回すと冒険者たちは椅子に座ってギラギラとした目で掲示板を眺めていた。まるでそれは、餌を待つ魔物のようであった。
理由は単純で、掲示板に貼られている紙が、ほとんど残っていなかったからである。
「……こりゃまた、ごっそりやられたね」
空に近い板を眺めながらつぶやくと、カウンターの向こうから、受付の女がこちらを見た。
「ベルナデットさん、申し訳ありません。今、お渡しできる依頼が、ほとんどないんです」
「ああ。例の子かい」
「ええ。白銀狼様が受注をされたので」
その呼び名は、この半月でギルドの中を駆け巡っていた。誰が最初に言い出したのかは知らないが、銀色の髪をなびかせた白い肌の犬の獣人が大森林の奥を駆け回る姿が狼のようだと、酒場から広まったらしい。
あの日、冒険者の腕を切り飛ばしたガキだと眉をひそめる者もいれば、魔物を片っ端から一刀両断する腕前に舌を巻く者もいる。
正直、評価は割れているが、その名前だけはエバンスの冒険者ギルドでは知れ渡っていた。
アタシは掲示板に残っていた小さな依頼票を一枚だけ剥がして、受付に突き出した。
「これでいいよ」
「ありがとうございます」
「あいよ」
中身は、近くにできたゴブリンの巣の討伐の仕事であった。高額な討伐や採集は軒並みやられているので、もはや、安い仕事しか残っていなかった。
ふと気になったことがあった。
「そういえば、例の白銀狼は保証金どうしてるんだ?二つ名持ちだろうから、今は免除だろうが、最初はそうじゃなかったろう?」
冒険者ギルドには、依頼への保証金制度がある。それは実力が伴わない冒険者が無理にクエストを大量に受けて、余計な面倒ごとを起こさせないためのものであった。
「それが……」
そういうと受付の女はこちらに顔を寄せて話しかけてくる。アタシはその顔に耳を近づけた。
「どうやら、あの時にいた顔のいい子がいましたよね?」
「ああ。あの時の坊ちゃんか」
アタシはそういわれて、あの日のやり取りを思い出す。絶世の美少男であったが、どこか不気味な様子だった。
「あの子。貴族だったんです。それも、アルセース候の御息男だったんです」
「まじか?」
その言葉にアタシは大層驚いた。このエバンスにおいて、アルセース候の名前を知らない存在などいない。
なぜなら、その名は、この領の領主様の名前であるからだ。
「まさか、噂の?」
「ええ。男で魔法を持つという」
その言葉で、なんとなくの納得がいった。あの時、高度な魔術技術を持っていたが、魔法持ちだということなら、魔力に対して、高い共感性を持つと噂で聞いたことがあった。
男で、かつ魔法持ちという特異性なら、あの年齢であそこまでの魔術技術を持つのもなんとなく納得がいった。
「おかげで、最初のうちは保証金を余裕で支払えてしまって、大量に依頼を受けられたんです。それであっという間に二つ名がついて、今では免除になってしまいました。結果、他のパーティの人たちからは苦情が絶えません」
それはそうだろう、とアタシは思った。後ろ盾に強大な金づるがいるうえに、高い依頼ばかり持っていくのだ。面白く思う者は、いないはずである。
結果、この場みたいに餌のなくなった魔物のように一触即発の状況なわけだ。
そんな話をしていると、ギルドの扉が開いた。
そこにいたのは、今噂の白銀狼様だった。
その瞬間、ギルド内にいた全員からの視線が集まる。その視線は殺意やら、怒りやらが混ざった視線であった。
しかし、白銀狼は気にならないのだろう。そんな視線の中もひょうひょうと歩き、受付カウンターまで来ていた。
「……終わっているようでしたら変わっていただいてもよろしいですか?」
「ああ。悪かったな」
丁寧に頼んでいるが、その圧は命令に近い。そんな態度であった。その姿は二つ名にある狼に近い様子であった。
(あれじゃ。人を敵に回すなぁ)
そんなことを考えていると、白銀狼は気にせず、机の上に手に持った何かを置く。
「依頼にあった大森林で発生していたキングオルクの首です」
「ああ。依頼品ですね。こちらで鑑定いたします!」
オルクとは豚鼻面のでかい魔物である。非常に巨大で力も強い。ましてや、キングともなれば、ターゲット以外にもたくさんのオルクがいたはずである。
(それを一人でか……実力は本物みたいだねぇ)
実力は確かなようであり、疑いようがない。ただ——。
(あとは、対人関係をもう少し何とかしてくれたらね)
問題はそこであった。そこさえ何とかできれば、もっと周りからの尊敬も受けられるはずであった。
その時、近くで座っていた冒険者が白銀狼の近くへ近づいてくる。
その顔には明らかな怒りの様子が出ている。大方、白銀狼のあおりを受けて依頼がなくなった冒険者なのだろう。
「おい」
「……」
声をかけられた白銀狼はチラッと相手の顔を見ると、まったく相手にせず、無視をする。
その姿に、あおられたと感じたのだろう冒険者は、自身の剣に手をかける。
「てめぇ。無視とはどういう了見だぁ?なぁおい!」
「……」
明らかな殺気を受けても、白銀狼の表情は変わらない。いや、彼女が発する空気はどこか嫌そうな様子がありありと感じた。
しかし、その態度がより、からんだ冒険者を刺激する羽目になった。
「……そうかよ。なら、死ね」
そういうと、からんだ冒険者は手にかけた剣を抜きざまに切りかかった。
抜きざまの一閃であった。ギルドの空気を裂く音が走り、アタシは反射的にその軌道を追おうとした。
けれど、白銀狼の姿は、すでにそこになかった。
相手の剣が空を切った時には、小さな体は半歩ぶんだけ横へ滑っている。刃は、銀の髪をかすめもしなかった。そして、振り向きざまに抜かれた剣が、下から斜めに走る。
アタシに見えたのは、そこまでだった。
次の瞬間、血しぶきが吹き上がった。
切りかかった冒険者の体が、肩口から腰にかけて、ずるりとずれる。自分が斬られたことにすら気づいていなかったのだろう。目を見開いたまま上半身が床に落ち、遅れて下半身が崩れた。
白銀狼の剣先から、赤い雫が、ぽたりと床へ落ちる。返り血は、一滴も彼女にはかかっていなかった。
ギルドの中から、音が消えた。
誰かが握っていたジョッキが、手から滑って床に落ちた。乾いた音が響いたが、それを拾おうとする者は一人もいなかった。
床には、真っ二つになった冒険者の体と、そこから広がっていく赤黒い血だまりがあった。その中心に、白銀狼が立っている。
彼女は、剣を一度だけ軽く振った。刃についた血が、床に細い線を描いて散る。それから、まるで何事もなかったかのように鞘へ納めた。
「失礼いたしました。続きをお願いします」
受付に向き直った声は、さきほどと少しも変わっていなかった。
「え、あ、はい……!」
受付の女が、裏返った声で応じる。その指先が震えているのを、アタシは見逃さなかった。
誰もが息を詰めて見守る中、受付はどうにか帳面を開いた。
「ギルド内での抜刀は、本来、禁じられています。ですが、先に剣を抜いたのはあちらの方でしたので……」
「問題ありませんか」
「は、はい。白銀狼様に、お咎めはありません。ただ、遺体は回収するために、お金をいただきます」
そのやり取りを聞きながら、アタシは小さく息を吐いた。
(アタシが同じことをやったら、事情聴取じゃ済まないだろうにね)
先に手を出したのは向こうだ、という理屈は通っている。実際に今回の件で討伐指名を受けることはまずないだろう。ただ、本来であれば、罰金の支払いなどの懲罰を課されてもおかしくない。けれど、この子の背後には、領主の子が控えている。ギルドは、それを分かっているのだ。
もちろん。ただの少男に何かができるとは思えない。
それでも金と権力への恐れは、人の命の重さを、こうも簡単に変えてしまうのだ。
報告を終えた白銀狼は、報酬の入った袋を受け取ると、数えもせずに懐へしまった。
そして、鑑定の終わった籠を背負い直す。見慣れない草の束が、籠の中でがさりと揺れた。
「それでは、失礼します」
誰にともなく頭を下げて、彼女は出口へ向かう。
その途中で、ふと、足が止まった。
顔がこちらを向いて、目が合った。
ほんの一瞬だった。けれど、アタシには、その視線が妙に長く感じられた。何かを確かめるような、あるいは、何かを待っているような目であった。
(……何だい)
アタシが眉をひそめた時には、彼女はもう視線をそらして、扉に手をかけていた。
外の光が差し込み、銀色の髪が淡く光る。扉が閉まると、広間の凍りついていた空気が、ようやく緩んだ。
「……化け物だな」
「関わるな。死にたくなけりゃな」
囁きが、あちこちから聞こえてくる。
ついさっきまで殺意を向けていたはずの視線は、いつの間にか、畏れに変わっていた。
アタシは、その声を背中で聞きながら、さっき見た光景を思い返していた。
あの子は、強い。それは疑いようがない。
けれど、あの強さは、危うい。何かを守るための強さではなく、命じられたことを遂行するための、刃のような強さに見えた。
そして、あの子は、これからも同じことを繰り返すだろう。
絡まれれば斬り、斬ったことを悔いもせず、また次の依頼へ向かう。その先で、いつか自分が斬られる日が来るまで。
——欲をかいて、奥まで入ったんだとさ。
かつて聞いた言葉が、耳の奥でよみがえった。
あの子が大森林の奥へ入っているというのは、噂で聞いたことがある。多分、欲のためではない。そう思う。けれど、欲があろうがなかろうが、大森林の奥は人を殺す場所だ。
(アタシには関係ない)
そう言い聞かせてみる。
あと少しで、貯金は目標に届く。そこまでたどり着ければ、それで終わりだ。余計な面倒に首を突っ込む必要など、どこにもない。
それなのに、気づけば、アタシは立ち上がっていた。
「……あー、もう」
頭を掻いて、壁に立てかけてあった剣を掴む。
受付が、不思議そうにこちらを見ていた。
「ベルナデットさん? どちらへ」
「ちょっと、散歩だよ」
それだけ言い残して、アタシはギルドの扉を押し開けた。
風が、頬を撫でていく。その先に、小さな銀色の背中が、遠く、大森林の方へと消えかけていた。




