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エテルネル・ラヴィ〜最狂錬金術師は不老不死の夢を見る〜  作者: りさ
1章 檻の中の少女 悪魔の誕生
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18話 初めての〇徳を教える

 連れてこられた中庭は、会場の喧騒から切り離されたように静かだった。


 美しい月が高い生け垣に囲まれた石畳を照らしている。噴水の水音と、遠くで鳴る楽団の調べだけが聞こえる。

 開式まではまだ時間がある。人が来る心配はない。

 まさに、何が起こってもすぐには気づかれないうってつけの場所であった。


「こ、こちらです、坊ちゃま」


 先導するアマリアの声が、わずかに上ずっている。振り返りもせず、早足で中央へ向かう。その背中が、ひどく強張っているのが分かった。

 明らかに挙動不審の様子である。


(……分かりやすいなぁ)


 僕は内心で苦笑しながら、足元の影にそっと意識を向けた。


(……大丈夫)

 

 影の底で、二つの騎士の気配が息を潜めている。何かあれば、すぐに動くことができる。


 だから死ぬことはない。理屈の上では。


(それでも、だ)


 胸の奥が、わずかに冷える。死ぬのは、もうごめんだ。あの感覚だけは、二度と味わいたくない。そのためならなんだってする。


 それでも、この賭けには、やる価値がある。


 中庭の中央で、足を止める。

 アマリアは僕から三歩ほど距離を取り、視線を逸らしたまま、噴水の方へ下がっていった。

 その時、噴水の向こうの暗がりで、何かが動いた。


(……あれか)


 黒い外套の女が、音もなく、こちらへ歩み出てきた。

 出てきた女は、僕の三歩手前で足を止めた。


 年は三十前後だろうか。特徴のない顔立ちに、感情のない目。懐に手を入れる動作にも、一切の無駄がなかった。


「侯爵家の御令息、エリウス・シュルナン・ド・アルセースだな」

「そうだよ」

「恨みはない。仕事だ」


 抜かれた短剣の刃が、月光を鈍く跳ね返した。

 僕は、動かなかった。

 足元の影が、ざわりと揺れる。騎士たちは、いつでも出られる。僕が一言命じれば、それで終わる。それなのに、僕は何も言わなかった。それに戸惑ったのだろう。

 しかし、アンデットは忠実だ。僕が命令するまでは出てこない。


(……来い)


 僕は心の中である少女が来ることを願った。

 彼女が来なければ、この賭けは成り立たない。


 その時、背後から、駆けてくる足音が聞こえた。

 石畳を蹴る、軽くて、必死な音。息が荒い。迷いながら、それでも止まらずに、こちらへ向かってくる音。


(来た)


 僕は思わずニヤリと笑みが溢れた。

 刺客は、わずかに眉を動かした。僕の笑顔に気づき、そして、足音に気づいたのだ。だが、それでもプロなのか、その一瞬の遅れを物ともせず、彼女の短剣が、僕の喉元へ伸びてきた。


 その瞬間、銀色の髪が、視界の端を横切った。


「――ご主人様ッ!」


 エティだった。


 僕と刺客の間に、体ごと割り込んでくる。伸ばされた細い腕が、短剣を握った女の手首を、素手で掴んだ。


 鈍い、何かが粉砕するような嫌な音がした。

 それは、骨が砕ける音だった。女の口から、短い悲鳴が漏れる。それでも、エティの手は止まらなかった。掴んだ腕ごと、全力で女の体を横へ振り払った。

 彼女からすれば、自身の主人が危機に陥っているのだから、一刻も早く、その危険を取り除こうとするのは当然であった。

 

 しかし、彼女の体はもはや凶器の域にある。

 

 その衝撃は強かったのか女の体が宙を舞った。高く高く打ち上げられた女は近くにあった噴水の縁に、後頭部から叩きつけられた。石の割れるような大きな音がなり、そして、小さなヒュッという息の吸う音が聞こえた。それきり、女は動かなくなった。


 水音だけが、変わらずあたりに響いていた。


 縁を伝って、血が水に溶けていった。女の胸元から、細い革紐のついた小さな護符が、ころりと零れ落ちた。


 エティは、その様子をみた後に、自分の両手を見つめて立ち尽くしていた。


「……あ」


 小さな声が、漏れた。

 掴んだ手首の感触が、まだ残っているのだろう。指先が、小刻みに震えている。


 僕は、静かに女の死体へ視線を向けた。

 エティは、力を抑えられるようになっている。盗賊たちを、半殺しにしたあの日のように。

 しかし、エティは気が動転し、必死に助けようとしたのだろう。いつもならできる力の加減が出来なかったのだ。

 

 ある種の事故である。

 

 けれど、それを口にするつもりはない。なぜなら、その事実は今、この瞬間なくなったからだ。

 僕は賭けが成功したことを心の中で嗤った。


 (ああ。エティ。ありがとう)


 僕は、死体から目を離し、エティの前に歩み寄る。可哀想なエティは自分がしでかしたことへの罪悪感で両手が震えていた。

 だから、僕は彼女の震える両手を、そっと包み込んだ。


「エティ」


 彼女の肩が、びくりと跳ねた。虚な瞳が僕を見る。


「ご、ご主人様……私……」

「怪我はない?」


 首を、小さく横に振る。

 僕は、できるだけそれはそれは優しい声で告げた。


「君が選んでくれたおかげで、僕は助けられたよ。よく僕を守ってくれたね。ありがとう」


 そう言うと、僕はエティを抱きしめた。

 

 エティの瞳が、大きく揺れた。

 彼女の中で、恐怖と、混乱と、罪悪感。そのどれもが、確かにそこにあった。けれど、その奥で、もう一つの色が、じわりと滲んでいく。


 嬉しさだった。

 彼女の口元が、ほんの少しだけ、緩んだ。


(――いい子だ)


 僕は、微笑みを崩さないまま、彼女の手を握った。

 そして……


「君は自分の力で僕の敵を打ち倒したんだ。君は自分で選び行動したんだよ」

「わ、私は」

「気にすることはない。アレは僕たちの敵なんだ。アレがどうなろうと僕たちには関係のないことだよ」


 そう言うと僕はエティの瞳を見つめながら、ささやいた。


「君は僕の敵を打ち倒したんだ。君は僕の従者として、正しいことをしたよ」

「正しい……こと……」


 僕はそう、囁いた。彼女の罪悪感を薄めるように、彼女の倫理感にヒビが入るように。


「ひっ……ひいぃぃ」


 こんなにも感動的なシーンであるはずなのにもかかわらず。無粋な声が響いてくる。

 僕は冷めた目でそちらの方を見る。


 そこには、あまりの恐怖に腰を抜かし、動けなくなっていたアマリアがいた。

 僕はアマリアの前まで向かった。


「やあ。アマリア。」

「そ、それは……わ、私は騙されたのです!アンリ様から命令されて——」

「ああ。君の話はどうでもいいんだ」

「え……」

「エティ。おいで」


 僕はそう言うと、アマリアの前にエティを呼び出した。エティは何ごとか分からないまま、こちらへと来た。


「エティ。彼女はね。僕たちの敵だよ」

「な、なにを……?」


 アマリアは間抜けな声を出して、呟く。彼女からしたら何をされるのか分からないのだろう。

 

「君は、アンリ姉様と共謀して、僕を殺そうとしたんだ」

「い、いや!ですか——」

「さて、エティ?」


 そう言って僕はエティの瞳をみる。今のエティならこと言葉で充分であろう。


「——どうする?」


 ————————————



 私はご主人様の後を追って廊下の角を曲がると、そこには誰もいなかった。


 石の床が、どこまでも続いているだけ。ご主人様の背中も、あのメイドの後ろ姿も、見当たらない。


(……見失った)


 足が止まった。胸が、嫌な音を立てる。呼ばれてもいないのに追ってきて、そのうえ見失うなんて。

 

 けれど、すぐに気づいた。


 深く息を吸う。香油の匂い、蝋の匂い、会場から流れてくる料理の匂い。その奥に、ご主人様の匂いがあった。薬草と、冷たい金属と、ほんの少し甘い、あの方だけの匂い。


 それを辿って、私は走り出した。


 廊下を抜け、扉をくぐり、生け垣の間を抜けた先で、私は目撃してしまった。


 そこに、ご主人様が立っていた。

 しかし、その近くに黒い外套の女が、一人。刃を抜いて、ご主人様の前に立っていた。


(――っ)


 ご主人様は、動かなかった。逃げもしない。声も上げない。ただ、刃を前にして、そこに立っている。


 どうして。

 考える前に、体が動いていた。


 石畳を蹴る。何も考えられなかった。ただ、あの刃が、あの喉元に届いてしまう、それが怖くて、ただ走り続けた。


「――ご主人様ッ!」


 私は必死だった。必死でご主人様の危機を振り払おうと考えた。

 あの方は私に力をくれた。私に居場所をくれた。私に目的をくれた。

 私は力をもらったあの日決めたのだ。この人の盾であろうと。

 女の短剣を握った手を必死で抑えた。何か音がした気がしたが、必死な私には気づかなかった。

 そして、一刻も早く、目の前の危機を取り除こうと腕を振り上げた。

 

 しかし、運命は残酷であった。私が投げ飛ばした女は宙を舞い、そして、そこにあった噴水の縁へと落ちていく。


 石の割れる大きな音と、小さく息を吸う音。それきり、その女から音が聞こえることはなかった。


 静かになった庭に、水音だけが響いていた。縁を伝って、赤いものが水に溶けていく。革製の小さな護符が、ころりと転がった。


(……あ)


 両手を見る。震えている。

 私が、あの女を掴んだ手首の感触が、まだ指に残っている。


 止めるだけのつもりだった。腕を掴んで、ご主人様から引き離せればよかった。それなのに、力が思った以上に出てしまった。


(ああ……)


 盗賊たちを、半殺しにとどめた日のことを思い出す。あのときは、ちゃんと加減ができた。今度も、できるはずだったのに。


「エティ」


 そんな中、誰よりも優しい声がして、両手が、あたたかいものに包まれた。それはご主人様の手だった。


「怪我はない?」


 ご主人様は私に優しく問いかける。私は首を横に振る。が声は出なかった。

 

「君が選んでくれたおかげで、僕は助けられたよ。よく僕を守ってくれたね。ありがとう」


 私は抱きしめられた。ミルクの様な甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


 胸の中で、いろんなものがぶつかり合っていた。


 人が死んだ。私が殺した。


 けれど。


 私は自分で選んだ結果、ご主人様(エリウス様)を助けられた。


 その言葉が、胸の奥に、じわりと染みていく。


(選んだ……?)


 ひっかかりが、ひとつだけあった。私は、選んだだろうか。ただ、体が動いただけだった。選ぶ暇なんて、なかった。

 けれど、ご主人様がそう言うなら、そうなのかもしれない。いや、そうなのだ。

 

「君は自分の力で僕の敵を打ち倒したんだ。君は自分で選び行動したんだよ」


 その声が、頭の中の濁った部分に、ゆっくりと染み込んでくる。それはまるで甘美な言葉であった。私の心にあった黒いモヤが晴れていく。


 敵。あの人は、敵だった。ご主人様を殺そうとした。憎むべき敵であった。


「君は僕の従者として、正しいことをしたよ」


(……正しい、こと)


 口の中で、その言葉を転がす。重くて、冷たくて、けれど不思議と、胸のつかえを溶かしていくような言葉だった。

 腕の、そして、体の震えが、少しずつ、小さくなっていく。


 役に立てた。ご主人様を、守れた。


 ——私は選んだ。自分の意思で。あの人形たちとは違うんだ。


 口元が、緩みそうになる。そんな自分が、少しだけ怖かった。それでも、この胸に芽生えた甘い感覚に少し浸ることにした。


 そのとき。


「ひっ……ひいぃぃ」


 情けない声が、庭の隅から聞こえた。


 腰を抜かして座り込んでいる、メイドがいた。あの人だ。見知らぬメイド。ご主人様を、連れ出した人。


 そして、あの暗殺者の近くにいて、襲われなかった人である。


「やあ。アマリア。説明できるよね」


(アマリア……)


 それが、あの人の名前なのだ。


「わ、私は騙されたのです!アンリ様から命令されて――」

「ああ。君の話はどうでもいいんだ」


 ご主人様の声は、変わらず穏やかだった。


「エティ。おいで」


 呼ばれて、私は、ご主人様の隣に立った。私はまるで熱に浮かされた様な現実感のない足取りであった。


 ふと、視線がこちらに来たのに気づいた。

 アマリアが、私を見上げている。青ざめた顔で、震える唇で、そして、濡れた目で。


 その目を、私は知っていた。


 洞窟で出会ったあの女の目だ。武器を折られ、怯えていた人の目。あの目から逃げて、私はあの時、ご主人様の期待を裏切った。


「エティ。彼女はね。僕たちの敵だよ」

 

「君は、アンリ姉様と共謀して、僕を殺そうとしたんだ」


 アマリアという女が、何か叫んでいる。耳に届くのに、意味が頭に入ってこない。

 ただ、頭の中に敵という言葉だけが反芻される。


 ——敵?この人は敵。


「さて、エティ?」


 ご主人様が、私の目を見た。その瞳は吸い込まれそうなほど美しいブルーサファイアの色をしていた。

 私はグッとご主人様に吸い込まれそうになる。


「――どうする?」

「…………」


 どうする?……その言葉が何を意味するは分かり切っていた。

 

 ご主人様は選ばせてくれるのだ。

 私が、ご主人様の盾であれるのかを。

 

 だが、心の中の何かが叫んでいる。それは良くない。それは取り返しがつかないと。


「エティ、さあ。選ぶんだ。……それとも、僕から命令した方が良いかな?」


 私はそれを聞いて、ご主人様の顔をみる。その美しい顔は普段と変わらずに優しく私に微笑みかけてくれる。

 しかし、言葉は残酷だ。

 命令される。それは私の意思の剥奪だ。それでは——


(あの人形たちと一緒だ)


 ご主人様によって生まれ変わったあの人形たちと一緒になってしまう。それでは、私の意思でご主人様に仕えられない。

 

 ——それだけは、絶対に嫌だ。


 気づいた時には私の手に短剣が握られていた。私は自身の持つ剣を見つめる。剣は月光によって鈍く輝きを放っている。

 その光の反射により、私の顔が映る。その顔は———


 笑っていた。


 そう。笑っていたのだ。自身が与えられた役目に対して、私はある種の倒錯的な使命感の様な何かを感じていた。

 その顔をみた時、私は覚悟が決まった。

 自身はご主人様の盾であり、剣であるのだと。

 だから、私は自身の手に持つ、剣を躊躇なく振り上げる。多分、側から見たら酷く歪だろう。

 なぜなら、私は自身の持つ使命感と……そして、力に酔っているのだから。


 月光に彩られた鈍色の線は一直線に振り下ろされ、その輝きはくすんだ色へと変わっていった。


 ————————————


「嬉しいよ。エティ。さあ、会場に戻ろうか。みんな、僕たちを待っている」


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