15話 踊り子たちの終幕、天使は微笑む
なるほどね。大体読めたよ」
ネズミたちが集めてきた"土産話"に一通り目を通し終えた僕は、思わずそう漏らしていた。
グレタとアマリアの一件を皮切りに、他のメイドにも、集めた情報を下に《話し合い」をしてきた。横流し、サボり、――どれも大した悪事ではなかったが、弱みとしては十分だ。おかげで、屋敷の使用人たちの大半は、もう僕の話をしっかりと聞いてくれて、滞っていた仕事をすることに同意してくれた。
しかし、問題があるとすると彼女たちから聞いた話の中で、その全ての話の中心に、必ず同じ名前が出てきた。
――スジャータ。
妨害を主導していたのも、メイドたちの口裏合わせを取り仕切っていたのも、全て彼女だ。アンリ姉様への忠誠、あるいは打算。理由はどうあれ、彼女が今回の妨害工作の"要"であることに、もう疑いの余地はなかった。
「んー。だとすると困ったな。」
ネズミを使って調べてみたが、少なくとも見える範囲でのスジャータには、これといった弱みがない。
横流しも、借金も――彼女自身に関しては、何一つ引っかかってこなかった。真面目、実直、清廉潔白。勿体無いくらいの美徳を、律儀に体現している女だった。
だからこそ、こちらの付け入るスキが全くない。ゆえに、現状、どうするべきか悩んでいた。
(さて、どうしようかな。)
弱みがないなら、時間をかけて作るという手もある。だが、正直、時間がない。デビュタントまで、後、2週間程度である。それに、生半可な弱みで縛ったところで、いつか綻びが出るのは目に見えている。
(――なら、あの手でいくしかないか)
幸いなことに少し前に、僕の心に安寧をもたらす技術を体得したばかりであった。あの実験以降、数人の人間を完全に制御下に置くことができている。
であるならば、中途半端に脅して従わせても、後で裏切られるくらいなら、最初から魂の底まで僕のものにしてしまった方が、よっぽど確実だ。
正直、人格の変容が強く見られるので、連発してやるには危険だが、メイド長という駒を得れるなら、今使うべきだろう。
僕は小さく息を吐くと、スジャータの動向を探るよう、控えていたエティに視線を送った。
——————————
「——何ですって?」
私は目の前のメイドの話につい、声を荒げてしまった。
「え、あ……その、坊ちゃまから直々に、仕立て屋への催促を頼まれまして……」
グレタは気まずそうに目を逸らしながら、不愉快な愛想笑いでそう答えた。
「頼まれた、じゃないでしょう。私はあなたたちに、何を指示したか覚えてる?」
「も、申し訳ありません……」
彼女は口ごもりながら、ちらちらとこちらを窺うような視線を寄越す。
その姿は何かありますという態度ではあったが、明らかな答えは出さない。
それどころかこちらの怒った姿を見て、より不愉快な愛想笑いを強めていた。
「すいません……ぼ、ぼっちゃまの頼み……ですし。……その……メイドとしての業務ですから。」
(――メイドとしての業務ですって?)
その言い方に、私は僅かな引っかかりを覚えた。今までグレタは、私の指示には忠実だったはずだ。それがここにきて、急に態度を変えるとは。
「あのね!私のした指示に——」
「おや、スジャータメイド長?何かあったのかな?」
「……エリウス坊っちゃま。」
私が改めて指示を出そうとした時、まるでタイミングを見計らったかのように坊っちゃまが現れた。
あまりのタイミングに心の中で舌打ちをする。
「……なんでも、ありません。ただ、このメイドの勤務態度に問題があったので、少し注意をしていただけです。」
「そう?なら、もういいかな?彼女にはレビュタントのことで聞かないといけないことがあるんだ。」
「……お待ちくださ——」
「デビュタントも近いし、彼女の担当している仕事について、色々と聞かせてもらわないとね。」
――つまり、見逃せということ?
分かっていながらも、私にはそれ以上何も言えなかった。この方の目を見ていると、なぜか、喉の奥が渇いてどうしようもなくなる。
「……承知いたしました」
私がそう答えると、坊ちゃまは満足そうに微笑み、グレタを連れて歩き去っていった。
グレタは一度だけ、こちらを振り返った。その顔に浮かんでいたのは、申し訳なさよりも――どこか、安堵に近いものだった。
拳を握りしめたまま、廊下に立ち尽くしていると、背後から冷ややかな声がかかった。
「見苦しいこと」
「……アンリ様」
振り返らずとも分かる。この底冷えのする声は、アンリ様以外にありえない。
「メイド長ともあろう者が、たかがメイド一人、御せないなんて。それとも――」
アンリ様は、ゆっくりと私の前に回り込み、値踏みするような目でこちらを見た。
「まさか、あなたもエリウスに寝返ったんじゃないでしょうね」
「そ、そんなことは――」
「だといいけどねぇ」
アンリ様はくすりと笑うと、私の顎に指をかけ、無理やり顔を上げさせた。
「私は、あなたのこと買っているのよ。せいぜい、私を失望させないでちょうだい」
その言葉に込められた意味を、私は誰よりもよく分かっていた。
「かしこまり、ました」
絞り出すような声でそう答えると、アンリ様は満足げに頷き、興味を失ったようにその場を去っていった。
一人残された私は、しばらくその場から動けなかった。
(――なんで、こんなことに)
苛立ちと悔しさが、腹の底でぐつぐつと煮えたぎっていた。
そういえば、昨日あたりからメイドたちがやけに仕事熱心であることに気づいた。
最初は気にも留めていなかったが、こちらが止めさせていたデビュタント関連の仕事まで、行い始めていた。
流石におかしいと思い、今日問い詰めたら——このザマである。
私は叱責の余韻を引きずったまま、私は誰もいない裏庭へと足を向けた。少しでも、頭を冷やしたかった。
「精が出るね、スジャータ」
不意にかけられた声に、私は肩を跳ねさせた。振り返ると、いつの間にか先程別れたはずの坊ちゃまが、すぐ後ろに立っていた。
「――え、坊ちゃま。いつからそこに」
「ついさっきだよ。一人にしては、随分と怖い顔をしていたから、声をかけようか迷ってたんだ。」
坊ちゃまは、いつもと変わらない、あの人当たりの良い笑顔を浮かべていた。先ほどのアンリ様との一件を、見られていたのだろうか。分からないが、聞かれたところで答える気はなかった。
「――何か、ご用でしょうか」
「いや、大したことじゃないよ。さっきは仕事の邪魔をしちゃったみたいだし、話でもしようかと思って探してたんだ。」
坊ちゃまは、私の隣にゆっくりと腰を下ろした。私はその態度に疑問はあったものの、何か逃げられるきっかけもないので、坊っちゃまの隣に座ることにした。
「スジャータは、この屋敷に勤めてどのくらいになるの?」
「……もう、十五年になります」
「そんなに。じゃあ、僕が生まれる前からいるんだね」
「はい、そのぐらいの頃からお仕えしております」
他愛のない世間話。それだけのはずなのに、なぜか、背筋に嫌な汗が伝う感覚があった。
「十五年か。長いね。――だからこそ、聞きたいことがあるんだ」
坊ちゃまの声色が、僅かに変わった。
「君は、僕とアンリ姉様、どちらが当主に相応しいと思う?」
その問いに、私は思わず言葉を詰まらせた。
「な、何を――」
「別に、正直に答えてくれて構わないよ。責めたりはしないから」
優しい声色とは裏腹に、その目には、これまでにない静かな圧力があった。
「…お戯れが過ぎます。そもそも、坊っちゃまは男なのですから当主などなれるわけが——」
「そう」
坊ちゃまは短くそう答えると、小さく頷いた。
「なるほどね。十五年、仕えてきた甲斐があったのかな。それとも――」
言葉を切ると、坊ちゃまは私の顔を覗き込むように、ぐっと距離を詰めてきた。
「それとも、何が大事な約束でも、姉様としてるのかな?」
――何故、それを。
声も出せずにいる私の視界が、急に霞み始めた。まるで、深い霧の中に沈んでいくように、意識がゆっくりと遠のいていく。
「あ、れ……」
「大丈夫。何も心配しなくていいよ」
坊ちゃまの優しい声が、遠く聞こえる。しかし、私は見てしまった。その目に。
まるで、路傍の石に向けるような冷たい無関心の目に。
(何が……?)
そう考えたのも束の間、私はそのまま、崩れ落ちるように意識を失った。
——————
私が目を覚ますと、そこは薄暗い石造りの部屋であった。
「んんー。んん!」
私は助けを呼ぼうと声を出そうとした。しかし、口に何かをつけられているからか、声を出すことはできない。仕方なし、私は体をゆすってみたが、しっかりと拘束されているからか動くとは無かった。
「おや、目覚めたみたいだね。」
「————!」
そんなことをしていると近くから声が聞こえた。私はそちらに顔を向けるとそこには先程まで、話していた坊っちゃまがいたのである。
「いやー。悪いね。苦しいでしょ?でも、もうちょい待ってて。もう直ぐで準備が終わるから」
「んー! んんーっ!」
私は必死に首を振り、声にならない抗議をぶつけた。だが、坊ちゃまはそれを気にする様子もなく、手元に何かの道具を一つずつ並べていく。
(――なんで。なんで、私が)
十五年、この屋敷に尽くしてきた。誰よりも真面目に、誰よりも忠実に。それなのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか。
いや、違う。理由なら、分かっている。
私が、アンリ様の側についたからだ。坊ちゃまに、逆らったからだ。だとしても、そんな理不尽なことでこんな目にあって良いはずがない。
私は力の限り暴れた。叫び、助けを呼ぶ。
(――誰か。誰か、助けて)
しかし、声にならない叫びは、誰にも届かない。なぜなら、気づいてしまったからだ。
この地下室の壁あたりには、古く乾いた血がこびりついているのに、それが、なぜついているのかに。
最近、メイドや下女が消えたということは聞いたことがない。ということは、屋敷ではないのだろう。
「落ち着いてよ。大丈夫だから。……あ、そうだ気分を落ち着かせるために歌でも歌わせようか?……おーい」
「はい。ご主人様」
そう声が聞こえると、誰かが奥の方から現れた。最初は坊ちゃまのお付きだとか言ったあの獣人のガキかと思ったが、違っていた。
目の前に現れたのは3人の見たことない女たちであった。3人とも、笑みを浮かべ、姿勢を正した状態で、きちっと立っていた。
それはあまりにも、不自然なほど、きっちりと一瞬の揺らぎもない姿であった。
その姿に、どこか違和感を感じた。
「その子たちはこれから|君が採用することになる《・・・・・・・・・・》メイド見習いたちだよ。さあ、君たちの上司になるスジャータメイド長だよ。挨拶して。」
「「「はい。よろしくお願いします。スジャータメイド長様」」」
3人の女たちは同じタイミングで、挨拶をしてくる。それはまるで、同じ人間であるかのようであった。
何を言ってるのか全くわからなかった。いや、もはや、この状況そのものが悪夢のようであった。
「さて、始まるまで、暗い雰囲気になっても嫌だろうし、歌でも歌ってもらおうかな?よろしく。」
「「「はい。かしこまりました。ご主人様」」」
そう言うと、3人の女たちは一斉に讃美歌を歌い始めた。神の偉大さをたたえ、聖人ヨハンナの偉業を賛美するその歌は本来であれば、神聖で、心震わせられる曲であった。
しかし、今は違う。薄暗く、乾いた血の匂いがこびりついた地獄のような場所で歌われるのだ。そして、目の前にはまるで人形のような女たちがいる。
(——そう。人形……人形なのよ)
なぜか彼女たちを見た時に感じた違和感。その答えが出た気がした。
彼女たちは人形なのだ。
私の背後で、何かを準備している坊ちゃまが作り出した人形。できがわるく、人間のふりをしようと一生懸命に踊る人形たち。
それがまさに、目の前で繰り広げられるおぞましい様子であった。
そして、私の後ろにいる存在は悪魔であった。
この地下室には、生きた人間は私と、この笑顔の悪魔しかいないのである。
「さて、と」
坊ちゃまは、使い古したナイフを手に取ると、私の側頭部にそっと触れた。冷たい感触に、全身の神経が凍りついた。
そして、自身の頭の毛が剃り落とされていく。何をされるのかは見当もつかない。
しかし、ロクなことにならないことだけはわかってしまった。
「じゃあ。やるから。最初は痛いけど我慢してね。直ぐ終わるから」
「んー!んんー!!」
私は小さく、懇願した。
ああなりたくない。あんな人間のふりをした人形にはなりたくない。
しかし、そんな懇願も後ろにいる悪魔は決して聞きはしない。
ただ、粛々とおぞましい行いをするのだろう。
やがて、冷たい鉄の感触が消え、頭がやけに涼しく感じるようになる。多分、毛を剃り終えたのだろう。
しかし、次の瞬間、自身の頭に何かを刺す様な強烈なな痛みが走った。声にならない悲鳴が喉の奥で潰れた。
頭の内側で、硬いものが削られる音がする。自分の身体の中から聞こえているという事実が、痛みより先に吐き気をもたらした。
「うん、ここだね。痛覚は先に潰しておくから」
坊ちゃまの声は、まるで夕食の献立を告げるような気軽さだった。
次の瞬間、痛みが消えた。
消えたのだ。あれほど暴れていた激痛が、蝋燭を吹き消したように。
代わりに、頭の奥を冷たいものが這い回る感覚だけが残った。痛くはない。ただ、触られている。私の中の、私でしかない場所を。
背後で三人の讃美歌が続いている。旋律は少しも乱れない。
「次は奥。少し、変な感じがするかもしれないよ」
(――変な、感じ)
その意味を考えている間に、胸の底で燃えていたものが、すっと遠のいた。
恐怖だ。さっきまで全身を締め上げていた恐怖が、まるで他人の感情のように薄れていく。
(待って。だめ。これは、私の――)
必死に掴もうとした。十五年、この屋敷で積み上げてきたもの。覚えている。全部、覚えているのに。
――それが、どうでもよく思えてきた。
怖いはずなのに、怖くない。それが一番怖いはずなのに、それすら遠い。
「うん、いい感じ。繋ぐよ」
何かが、ぱちん、と接続された。
途端に、温かいものが流れ込んできた。
坊ちゃまの声。坊ちゃまの気配。坊ちゃまがそこにいるという事実。それだけで、胸の奥がほどけるように緩んでいく。ずっと張り詰めていた何かが、やっと休めるとでもいうように。
(ああ……)
私はこの人を怖がっていたはずだ。憎んでいたはずだ。その理由も、ちゃんと思い出せる。
思い出せるのに、そこに何の感情もついてこない。
そして、ふと気づいたことがある。それは今流れている讃美歌が、綺麗だと思った。
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「ねぇ。君は、僕とアンリ姉様、どちらが当主に相応しいと思う?」
「それは、比べるまでもありません。当然。ご主人様であるエリウス様です。」
「そう。なら、よかったよ。」
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