10話 狂宴の幕開け
——刃が交差した瞬間、鈍く、響くような音が練兵場に響き渡った。
「嘘……イタッ!」
目の前で剣を弾かれた女は自身のされたことが信じられなかった。しかし、自身の手にはしる痛みがそれを現実だとわからせるのに十分であった。
「エ、エレナード先生!!」
そう大きな声で叫ぶと、近くで見ていた長身の女——アンリ姉様が駆け寄ってきた。
「……大丈夫です。……しかし、まさか急にここまで強くなるとは」
そう言うと、エレナード殿は自身の手に包帯を巻きながら自分の剣を弾き飛ばした女を見た。その視線の先には澄ました顔をしたエティの姿があった。
昨日の筋力増強薬の実験が成功し、早速、その成果を試すために今日、この練兵場へやってきたのだが――期待以上の結果だ。
筋力増強薬は肉体の筋力をこちらが想定した通りに作用し、筋繊維密度が飛躍的に太く、強靭になり、肉体が出せる基礎筋力が上がっているのが確認できた。
この世界において、女性の肉体が持つ魔法聖体強化は元より高い肉体強化がされる。そこに血のにじむ訓練と僕の基礎筋力をあげる薬物が噛み合った結果、今のエティの力は、ただの「獣人」ではなくなっていた。
格上の武芸者であるエレナード殿の木剣を、力任せに手の骨ごと破壊するだけのパワーを備えていた。
ましてや、足の筋肉も強化されているのだ。エレナード殿には一瞬のうちに踏み込まれたと感じるほどの速さであっただろう。
「エリウス! 貴様、あの獣人に一体何をした!? 打ち所が悪かったら、エレナード先生の手骨が砕けていたのだぞ!」
血相を変えたアンリ姉様が、僕を睨みつけながら捲し立ててくる。
相変わらず口がよく回る。僕は表情一つ変えず、静かに首を傾けてとぼけた。
「何を、と言われましても。彼女は僕の指示通り、毎日訓練を重ねていただけですよ、アンリ姉様。才能が開花した……それだけのことではありませんか?」
「そんなわけないだろ!ほんの数ヶ月前まで剣の持ち方すら怪しかった獣人のガキが、我が家の剣術指南役に勝つなんて……!」
「――静かになさい、アンリ」
練兵場の入り口から響いた、低く重厚な声。
その場にいた全員の背筋が伸びる。ゆっくりと歩み寄ってきたのは、我が侯爵家の主であり、僕たちの母上だった。
母上の冷徹な視線が、手に包帯を巻くエレナード殿と、その傍らで木剣を構え直すエティへと向けられる。
「……エレナード殿。手加減をしていたわけではなさそうですね」
「……お恥ずかしい限りです、侯爵様。昨日に比べて飛躍的なまでに筋力が強化されており、こちらが予想できないスピードで強力な一撃をもらってしまいました。」
エレナード殿の報告を聞き、母上は眉をひそめた。
そして、その冷ややかな眼差しが、ゆっくりと僕へと注がれる。
「エリウス。あなたがこの獣人に『何か』を施したのは今の話から明白です。」
そう言う母上を横目にアンリ姉様は「ほら見たことか」と言いたげな顔で僕を見下していた。
「何をしたのか、まさかこの母に言えないなどとは言わないですよね。」
その言葉には圧倒的な「圧」があった。聞くものによっては恐怖するほどに。
だが、僕の心の中にあったのは、恐怖ではなく冷ややかな達成感だった。
(……いいぞ。食いついてきた)
僕が欲しかったのは母上のこの反応であった。
僕の創り出した『作品』の価値を認めさせ、僕自身の安全と立場、そして今後の実験のための自由を勝ち取ること。
その為には更なる優秀さを見せる必要があった。
「もちろんです。母上」
僕は胸に手を当て、完璧な作法で一礼してみせた。
「もちろん。エティのたゆまぬ努力の甲斐でもありますが、それに加えて、僕が独自に調合したポーションの『成果』のおかげでもあるのです。」
「……ポーション?」
そう言う母上の顔はどこか怪訝な顔であり、ありていに言えば、とても胡散臭いものを見る顔であった。
「ええ!母上も常日頃から僕があの教会で貧民達相手に自作の回復ポーションを配っているのはご存知でしょう?」
「……まぁ、そうですね」
「その際に、ふと貧民達が言うのです。肉体作業が多く、疲労感が溜まると。母上もご存知だとは思いますが、回復ポーションは治癒力を少しばかり高めるためのものであり、疲労感を消すことはできません」
「だからこそ!少しでも疲労を感じないように、基礎筋力を引き上げる薬を開発したのです!」
「……基礎筋力を引き上げる薬、ですか」
母上の瞳が鋭く細められた。その冷ややかに澄んだ視線が、僕と、その傍らで木剣を構えるエティを往復する。
我が侯爵家の次期当主たる長女――アンリ姉様は「ほら見たことか」と勝ち誇った顔で僕を見下している。
多分、彼女の目には母上が怒って見えているのだろう。だが、母上の顔に浮かんでいるのは怒りでも感心でもない。ただ静かに、何かを推し量るような表情だった。
「ええ。母上、そこでこの素晴らしい『成果』を、我が家の威光と共に社交界へ知らしめる機会をいただけないでしょうか」
「何が言いたい?」
不機嫌そうに割り込んでくるアンリ姉様を無視し、僕は母上だけを見据えて言葉を重ねる。
「ぜひとも、僕が7歳の誕生日にデビュタントを開催させて欲しいのです。」
「……何ぃ!?」
練兵場にアンリ姉様の素っ頓狂な声が響き渡った。
「……貴様、正気か?そもそもデビュタントとは、社交界のお披露目であり、自領の後継者候補のお披露目だぞ?男の貴様がそんなものに出れるわけないだろ。」
「……正気ですよ、アンリ姉様」
僕は表情ひとつ変えず、穏やかに言い放つ。
「当然、男である僕にデビュタントなど存在しないことは理解しています。本来なら陰で慎ましく生きていくのが男の定命でしょう。……ですが」
僕は静かに微笑み、わざとらしくアンリ姉様へと視線を向けた。
「存在しないはずの『男のデビュタント』を敢えて開催し、そこに大勢の貴族を招待するのです。そして我が家の威光を誇示するような盛大な催し物にする。かつてアンリ姉様が挙げられたお披露目会よりも盛大なものをね……最高の夜にしてみせますよ」
そう言った時のアンリ姉様の顔は愉快なものだった。真っ赤だと思っていた顔がさらに赤くなる。もはや顔の血管が切れ、倒れるのではないかと思うほどであった。
「なっ……! 貴様!!私を馬鹿にしてるのか!? 男の分際でデビュタントを開くだなんて、正気の沙汰じゃないぞ! 私のお披露目を愚弄するつもりか!?」
顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべるアンリ姉様。
女尊男卑のこの世界で、後継者たる己のデビュタントを「男の存在しないはずのパーティー」で上書きされようとしているのだ。次期当主としてのプライドを完璧に打ち砕かれ、激しい屈辱と嫉妬で瞳が血走り始めていた。
「滅相もありません。ただ、僕は侯爵家のため、母上に進言しているのです。」
「〜〜っ! 母上! こんな頭のおかしくなったやつの妄言、耳を貸す必要などありません! 男のデビュタントなんて我が家の歴史に対する汚点です!」
アンリ姉様がしがみつくように母上へと助けを求める。
だが、母上は眉一つ動かさず、冷徹な瞳で僕を見つめ続けていた。
やがて、母上は静かに口を開いた。
「……いいでしょう。好きになさい、エリウス」
「母上!? 本気ですか!?」
「黙りなさい、アンリ。……エリウス、我が侯爵家の名と予算を使って、前代未聞の『男のデビュタント』を執り仕切ることを許可します。好きに貴族を招き、ポーションのお披露目をしてみせなさい」
「……感謝いたします、母上」
「ただし。我が家の名を借りておきながら泥を塗るような真似はしないように。よろしいですね」
「もちろんです」
僕は深く、完璧な一礼を捧げた。
(ふむ……思った以上にあっさりと許可が出たな)
男のデビュタントなど前代未聞であり、本来なら一蹴されて当然の狂行だ。それを我が家の看板ごと使わせて許可した母上の態度に、僕はわずかな違和感を覚える。
(まあいい。理由は何であれ、舞台は整った)
背後でエティが僕を守るようにそっと一歩踏み出し、鋭い瞳で母上たちを見すえているのが分かった。その横では、アンリ姉様がこちらを殺気立った眼差しで睨みつけている。
(……本来存在するはずのない『男のデビュタント』が、自分のデビュタント以上の規模で執り行われる。プライドの高いアンリ姉様にとっては、狂うほどの屈辱だろうな。さて……最高のデビュタントを演出するとしようか)
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