9,初めての軽口
部屋の扉がノックされ、また取り調べなのね――と憂鬱な気持ちで扉を開くと、そこにはシモナさんではない女性担当官が佇んでいました。
「急ですが、シモナ・レグリー担当官に代わり、私――アウレア・マーレインがあなたの伝達兼管理の担当官となりました。どうぞ、アウレアとお呼びください」
「そうなんですの?宜しくお願いしますわ」
表情はお世辞にも明るいとは言えませんが、アウレアさんからはシモナさんのような嫌悪感や刺々しさは感じません。それどころか、こんなにも丁寧に挨拶されるとは思わず、目を瞬いてしまったほどです。
ちらりと目線をずらすと、外には担当官二人が控えていました。表情が強張っている気がするのですが……気のせいでしょうか?
「手枷に鎖を付けます。手を」
「はい」
素直に両手を差し出すと、控えていた担当官が急いで鎖を繋ぎました。アウレアさんは、何故かじっとわたくしの手元を見つめています。
「……あの?」
「失礼しました。参りましょう」
「こちらの担当官達が、大変申し訳なかった」
「え……?」
取調室に入った途端、謝罪と共に綺麗な姿勢で頭を下げられ、わたくしは面食らってしまいました。今日は驚くことが多いですわね。
そのまま、閣下はエスコートのように椅子を引いてくれました。自然な動作につられて座ってしまってから、ハッと意識を取り戻します。
い、一体何が……?ファルスキーといえば格上も格上。名家のご令息でしょう?だというのに……。
――今、わたくしに頭を下げた?
それだけで、嫌でも期待と不安で心はざわつきます。けれど、誰かを安易に信じるなんて出来るはずもありません。一度軽く顔を振り、視線を上げました。
正面には、やはり冷たさを感じさせるアイスブルーの瞳がありました。けれどそこに悔恨の念が滲んでいるように思えて、つい祈るように胸の辺りで繋がれた両手を握りしめてしまいます。
「先程、君の取り調べや管理にあたっていた担当官達から話を聞いた。無思慮で杜撰な対応だったことだろう。留置局の局長として謝罪する」
向かいに座ってからも閣下は真剣な顔でそう言うと、一度きつく瞼を閉じました。
まさか、昨日の今日で、本当に確認なさったのですか?わたくしの話を聞いて、部下であるはずの担当官達に?
「君の話を聞かせてほしい。勿論、今の時点で君が被疑者であることに変わりはない。家族や使用人の証言もある。だが、それが真実なのかを見極めるのが私達の仕事だ」
「真実……」
わたくしは、ついぽつりと呟いてしまいます。
“真実”という言葉の重みを、この方はどれだけ背負ってくださるのでしょうか。
「確固たる証拠もなく、君を犯人として決め付けて問い質し、脅迫まがいの尋問をするなど……本来あってはならない。君の尊厳を無視した行いだった。だからこそ、君の言葉で聞かせてくれないだろうか」
閣下の低い声に棘はなく、それどころかこちらを気遣うように問いかけられ、じわりと心に沁みていきます。
ぐっと唇を噛み締め、わたくしは前を向いていられず、少し視線を下げました。
閣下は暫くの間、何も話さないわたくしを見ていたようですが、一度取調室から出ていきました。
そして戻ってきた閣下の手には、湯気の立つティーカップが握られていました。いい香りの紅茶を差し出され、わたくしはおずおずとそれを受け取り、そっと口を付けました。
――あぁ、なんて。
「……美味しい。紅茶なんて、いつ以来かしら」
ひと口ひと口、香りを楽しみながら喉を潤します。少しだけ鼻がツンと痛みましたが、ラウラと同じような振舞いをするわけにはいきませんわ。
それに、鼻が詰まってしまってはせっかくのお茶を楽しめませんもの。わたくしは、久々に口にした紅茶の味が嬉しくて、ゆっくりと味わうように飲み干しました。
「……わたくし、犯人ではありませんのよ」
まだほのかに温かいティーカップを両手で握りしめながら、わたくしは静かに呟きました。ずっと黙ったままでしたのに、閣下はわたくしを急かすことなく、続きを待ってくれています。
「噂も、決してわたくしのことではありませんわ。ですが、わたくしがそう言っても目撃証言があるのでしょうから、信じていただけないのでは?」
小さく息を吐くと、閣下は難しい顔でこちらを見つめています。証言がある以上、すぐ頷かれると思いましたのに……。
この方、本当にわたくしの言葉を聞いてくださるつもりなのでしょうか。
「そもそもわたくし、オルドラーク伯爵令息ときちんと顔を合わせたこともなければ、話したこともありませんのよ?お慕いしているなんて……あるはずもないでしょうに」
「……世の中には一目惚れというものもあるらしいから、否定はしてやれないが」
「まぁ。閣下の口から“一目惚れ”なんて言葉が出てくるなんて、意外ですわ」
わたくしは驚いて目を丸くしてしまいます。閣下は気恥ずかしかったのか、フイと顔を逸らしました。
「……事象として述べているだけだ」
「そうなのでしょうね。では仮に、わたくしがラウラの婚約者に一目惚れをしたのだとしましょう」
取調室の机に頬杖をつき、首を傾げてみせます。わざとらしく、悪びれたように。
「夜会を渡り歩き、数多のご令息と戯れていると噂されるわたくしが、一目惚れをした殿方には恥じらって一言も声をかけられないと?それこそ、どんな手練手管を使ってでも籠絡しようと行動するのではありませんこと?」
「真の恋の前では、噂の令嬢も初心になってしまったとか?」
閣下はそう言って肩を竦めます。
……なんでしょう。わたくし、もしかしてからかわれているのでしょうか?
「閣下は、案外ロマンチストなのですか?」
「可能性として述べているだけだろう」
「意地悪ですのね。やはりわたくしを犯人にしたいのでしょうか」
「ふっ、そうではない。あくまで可能性の話だ」
その一瞬、伏せられた瞳と弧を描いた口元をわたくしは見逃しませんでした。予想外の表情に目を瞬いてしまいます。
この方、こんなふうに笑われますのね……。
こんな何気ない会話を赤の他人と交わすなんて、初めてではないでしょうか。その相手が留置局の局長様だなんて……なんて皮肉なことでしょう。
それと同時に思い出した自分の過去、そしてプラーシル家での生活に――わたくしは目を閉じました。
――許さない。絶対に、許さない……。
幼い頃、呪詛のように聞かされた声が脳裏に響きます。……そうですわね。このような会話を楽しんでいる場合ではありませんわね。
わたくしは一度息を整えて、今後の予想と提案を口にします。
「閣下。恐らくですが、わたくしは近日中に、父が面会に来ると予想しています。その面会の様子を、どなたか……もし可能でしたら閣下ご自身に、密かに聞いていただきたいのです」
「面会を……?」
閣下は怪訝そうに眉を寄せました。普通は、面会中の会話を聞かないでほしいとお願いするところなのでしょうね。
「それと、わたくしのことは好きにお調べくださいませ。もし再びプラーシル家を調査なさるのであれば……そうですわね、どうぞ“わたくしの部屋”をお探しください」
わたくしは言いたいことを伝え終えると、固く瞼を閉じました。今はまだこれ以上話す気はないと示します。
「……検討しておこう」
少しの間を置いて返ってきたのは、拒否でも否定でもありませんでした。それだけで十分です。
わたくしは閣下に対し、丁寧に頭を下げました。
部屋に戻る前、アウレアさんに声をかけられました。
「何か必要な物はありますか?肌寒いからブランケットがほしい、備え付けのもので足りなくなったものがあるなど、何かあれば言ってください。こちらで用意出来るものなら準備しますので」
「ほしいもの……」
わたくしはつい復唱してしまいました。本当にお願いしてもいいのでしょうか……。
「その……絵本でもいいので、時間を潰すための書物を借りられませんか?一気に貸し出せないのであれば、読み終わり次第返却しますので……」
「本……ですか?確認してみますね」
与えられた部屋に戻ってきてすぐ、食事が届く小窓から数冊の本が差し入れられました。アウレアさんが迅速に対応してくれたのでしょう。
その内の一冊のタイトルを見て、わたくしは首を傾げてしまいました。
この『一目惚れから始まる恋患い』って……恋愛小説かしら?えぇと、この本を閣下が選んだ……なんてことはありませんわよね?
本の表紙をなぞり、ふと家族のことを思い浮かべました。
「……あちらは上手くやれているのかしらね」
わたくしの消えたあの家は、今頃どうなっているのでしょうか。邪魔者が消え失せ、清々している頃でしょうか。それとも――
「考えても仕方ありませんわね。せっかくご用意いただいたのですから、こちらを読ませていただきましょう」
恋愛小説などに興味はありませんが、いい暇潰しにはなるでしょう。わたくしは他の書物よりも先に、その本を読み始めました。




