E1-3,人生をかけて学んだこと
閣下がおっしゃった通り、夕方よりも少し早いくらいの時間に五人の使用人が来てくれました。
あまりに手際よく仕事をこなしてくれて、掃除や食事の準備まで、こちらが何も指示せずとも対応してくれたのですわ。
公爵家の使用人だから出来がいいのか、それとも我が家にいた使用人達があまりにも不出来だったのか……。きっと両方なのでしょうね。
美味しい食事。温かなお風呂。柔らかいベッド。
そのどれもが他者にとっては当たり前で、わたくしには与えられなかったものでした。
「……閣下が、わたくしの声を聞いてくださったから」
捕らえられた日。警騎士達は、わたくしを犯人と信じて疑いませんでした。
担当官達も、シモナさんも。自供しろと、お前がやったんだろうと、そう言っていましたね。
――君は、“火があったから煙が立った者”なのか、それとも“根もないのに花が咲いてしまった者”なのか、どちらなんだ?
思ってもみませんでした。家の内情を知るミルズやラウラではない、何も知らない方からそんな言葉を向けられるなんて。
「……閣下」
わたくしは布団に包まりながら、今日の真剣な眼差しを思い返していました。
翌朝目を覚ますと、既に二人の使用人が待機していて、驚きのあまりベッドから落ちそうになりました。
「!?」
「まぁ、いけません、レニエラ様。もう少しお休みになってください」
「ルドヴィーク様のおっしゃっていた通りだわ。屋敷のことはわたくし共がいたしますから。さぁさぁ」
寝起きで頭が働いておらず、使用人が来てくれたこともすっかり忘れていたのです。お恥ずかしい……。
目を白黒させている間に再びベッドに押し込まれ、よく眠れるようにと香を焚いてくれました。
考え事をしていたせいか、上手く眠れなかったわたくしは、とてもいい香りに……見事に熟睡してしまいましたわ。起きてみれば、日があんなにも昇ってしまっているではありませんか!
あぁっ、執務をしませんと!いえ、閣下をお迎えする準備も必要ですのに!なんてこと……っ!
わたくしが頭を抱えていると、使用人達がきびきびと動き出しました。
「レニエラ様、ご安心ください。我々がお手伝いいたしますので」
「まずは手早く湯浴みを。化粧や髪を整えている間、書類に目を通していただけるよう、執事に頼んでおきますね」
「あ、ありがとうございますわ……」
その配慮が心強くて、わたくしは何気なく返しました。すると、二人はぴたりと立ち止まってしまったのです。
何かしら?と目を瞬いていると、二人はすぐ側に寄ってきて跪きました。
「なっ!?ど、どうしたの?」
「レニエラ様。あなた様は、この伯爵家の当主となられるお方です。我々にそのような丁寧な言葉をかける必要はないのです」
「わたくし共は、ルドヴィーク様からお聞きした話以上に詮索するつもりはございません。ですが、主人にそのような態度を取る使用人達がいるなど……耳を疑いました」
二人は主従関係を明らかにするよう、深々と頭を下げています。これまで、使用人にすら踏み付けられてきたわたくしに。
「あなた様は今、我らの主人です。そのように諂う必要はございません」
「わたくし共は、レニエラ様の手足です。存分にお使いくださいませ」
本来、使用人とはこのような気持ちで主人に仕えてくれるものなのでしょうか?それすらわたくしにとっては普通ではなく、このような対応をされることに違和感を覚えてしまうのです。けれど――
――お嬢様。レニエラお嬢様はいつか、立派な伯爵家のご当主になるのですぞ。
そう言って頭を撫でてくれた執事は、わたくしに堂々とした振舞いを何度も教え込んでくれていましたね。
ミルズと対面し、その立場を奪われると分かってしまったあの日から、わたくしは己の振舞いに自信を失ってしまいました。
どのように振舞っても、悪女と言われてしまうから。奪われ、踏み躙られてしまうから。
悪女らしく振舞っている方が、相手の求めているものに応えているようで、いつしか正解など見失ってしまったのです。
――だからこそ、執事やミルズ、ラウラ。クレイゼア様やアウレアさん、そして……閣下。わたくしにとっては、彼らの存在が奇跡のようで、感謝してもしきれないのです。
「……確かに今のわたくしは、伯爵家当主らしくないかもしれませんわね」
「……!出すぎた真似をいたしました」
「申し訳ございません」
「違うの。違うのよ。……わたくしは、あなた達の働きが嬉しいの。だから感謝したいのよ。これは、わたくしの人生をかけて、学んできたことだから」
わたくしは少し背を丸め、跪く彼女達の肩に手を添えました。二人は目を丸くしながら、こちらを見つめています。
「至らないところがあれば、今のように指摘して。直さなければいけないところは直すわ。でも、感謝の言葉を口にするのだけは変えられないと思うの。分かってちょうだい」
「……それは」
「“ありがとう”と、言わせてほしいの」
これまで、誰も信用出来ない人生でした。ミルズやラウラ、執事にすら何処か一線を引き、これ以上傷付かないように、心を守って生きてきました。
これからも、心から誰かを信じるなんて容易ではないでしょう。
こんなふうに丁寧な対応をしてくれる二人でさえ、いつ手のひらを返されたっておかしくないと疑っている自分も、まだ胸の内にいるのですもの。
でも、だからこそ。
こんな人達との縁を、手からこぼれ落とさないように。もう二度と、誰にも奪われないように。
感謝しながら生きていきたい。あなたがいてよかったと、みんなに伝えていきたい。
――何よりも、あなたに。閣下に。
「……この屋敷に、わたくしに合うドレスはあまりないの。でも、少しでも綺麗に見えるよう、支度をしてくれる?」
わたくしの声に、二人は表情を引き締め、再び頭を下げました。
「勿論でございます」
「お嬢様を最上級のご令嬢に仕立ててみせます」
「宜しくね」
それからわたくしは、二人に導かれるまま支度を始めました。勿論、合間に執務をこなしながら。
「…………」
「あの、閣下……?」
「……いや、すまない。あまりに……いや……」
閣下をお迎えしたのは、昼を過ぎた頃。
来訪を聞いて出迎えに向かうと、閣下が何故か立ち止まったきり動かなくなってしまったので、首を傾げてしまいました。
使用人達の支度に問題はないと思うのですけれど、なにぶん自信がありません。お洒落に疎く、流行も知らないわたくしは、この格好が正解なのかも分からないのですから。
これからはそちらも勉強しなくてはいけませんわね……。
頭の中のやらねばならないリストに追記していると、閣下に「少しいいか」と声をかけられました。
「どうなさいましたの?」
「手を」
わたくしは差し出された手に、自身の手を添えました。取調室でエスコートされた時のことを思い出してしまいます。
あの頃から……いえ、閣下は最初から丁寧な対応をしてくださっていましたね。被疑者であるわたくしを、加害者と断定せずに。
そうして手を引かれるまま外に出て、わたくしは目を見開きました。
――庭一面に広がる、真っ赤な絨毯に。




