E1-2,差し入れよりも甘いもの
「トゥルヴァン侯爵家の分家筋であるティーメ子爵家は、現在、当主が不在だそうでな。侯爵家で管理しているそうだ」
「その家を利用なさると?」
「あぁ。ティーメ子爵家の前当主には、行方不明になった甥がいたが、孤児院に流れ着いていた。髪色から血族だと判断して密かに保護し、育てていた……ということにさせた」
なんとまぁ。実際には、侯爵家の先代当主の弟の子ですから、近いような惜しいような……。
「だが、もう数年で成人になる。ミルト自身が当主の座に興味を示さなかったため、自分で食い扶持を探させることにした。そこで、伯爵家の大規模な使用人募集を見て、ミルト・ティーメの名で応募した……という筋書きだ」
「……ミルト」
わたくしは聞き慣れない名前に胸を痛めつつ、その名前を指でなぞります。
処刑は近日中に行われると聞いておりますから、その時にミルズも亡くなったことになります。あの子の名前が、伯爵位簒奪を目論んだ者として残されてしまうのです。
わたくしは悔しくて遣る瀬ないのですけれど、当人は「簒奪を前提に与えられた命と名前ですし、捨てて生まれ変われた方が本望です」と言っていましたから……清々しいとさえ思っているかもしれませんわね。
「厳格な家だが、情のない家ではない。生まれてすぐ思惑に利用された彼について、現当主は大層胸を痛めていた。『我が家が早く対処出来ていれば、彼がそのような境遇に置かれることもなかっただろうに』とな」
その侯爵家の言葉に、わたくしは苦笑するしかありません。
トゥルヴァン侯爵令息との子が生まれなかったとしても、父と義母の間に子が出来ていた可能性は大いにあります。結局は、別の命が利用されていたでしょう。
それに、その過去がなければ、わたくしを支えてくれた義弟はいなかったでしょう。それどころか、あの子が生まれなかったかもしれませんから。
「侯爵家は彼の支援をすると言っていた。それに、伯爵家復興にも水面下で助力するとな」
「何から何まで……ありがとうございます」
「いや。君にとっては不愉快極まりない話だろうが、こちらの担当官達にとってもいい教育になった。今回の一件で、噂や悪評に踊らされる恐ろしさを痛感したことだろう」
「それは……皆様ご愁傷様ですわね」
閣下のことですから、こっぴどくお説教なさったのでしょうね。ですが、あのような扱いを受ける令嬢が一人でも減るなら、よいお勉強になったでしょう。……冤罪の場合に限り、ですけれど。
「使用人や彼のことは一旦気にしなくていい。あと、何か困っていることはないか?」
「困っている……?言い出したらきりがありませんけれど、そうですわね……」
わたくしはリストを頭の中で思い浮かべ、ふと困り果てていることをこぼしました。
「社交界への復帰と、婚約についてでしょうか……」
「は?婚約?もうそんな話が上がっているのか?」
「えぇ、実は……。って、閣下、どうなさったのですか?」
ほんの少し考え込んでから視線を戻すと、閣下は鬼のような形相を浮かべていらっしゃいました。
「事件が公になったのはつい先日だぞ?」
「えぇ。わたくしも驚きましたわ。屋敷に戻ってきてみれば、わたくし宛に招待状や釣書が山ほど届いていたのですもの」
つい小さく溜息を吐いてしまいます。こちらはそれどころではありませんのに……。
わたくしにかけられていた殺人の容疑が晴れ、屋敷の全員が連行された数日後。長年囁かれていたわたくしの悪評が全て嘘偽りであり、今回の件も冤罪だったと公表されました。
すると、呆れるほどの手のひら返しに加え、伯爵家の婿の座を狙って、各家が次男や三男の釣書を送ってきたのです。
届いた招待状からは、わたくしの話を面白おかしく聞きたい者達と、お茶会と称して屋敷に招待し、わたくしをその家のご令息と引き合わせたい者達の思惑が見え透いていましたから。
「少しくらい配慮して静観出来んのか」
「出来ないからこうして手紙が届いているのでしょう。虐げられていた娘と知って、少し優しくすれば懐柔出来ると思っているような文章の多いこと……」
「くくっ、それはまた。君相手に碌なことを考えんな」
……あら、それはどういう意味ですの?
「伯爵家と親しい方々からもご連絡がありましたわ。ですが、母の亡き後に伯爵家と懇意にしていた方々は特に信じられなくて……。義母は元嫁ぎ先の商家を抱き込んで、彼らと裏取引をしていたようですから」
「そのようだな。そちらは捜査中だが、小狡いことを手広く行っていたようだ」
いくらわたくしやミルズが長年調査してきたと言っても、父や義母が勝手に行っていたことの全てを、把握出来てはおりません。
しかし、分かっているだけでも、貴族を相手に、贈答品の評価額操作や招待状の売買を行っていたようです。
実際より高い金額を記した鑑定書を付け、高価な贈り物に見せかけられるよう計らったり、家計簿上の支出や愛人や私生児への金品提供を隠せるよう便宜を図ったり。
人を紛れ込ませやすい大型のパーティーや夜会の招待状を買い取り、それを高値で売り捌いていたそうですわ。格下貴族が格上のパーティーに入り込むため、もしくは、秘密の夜会へ令息令嬢を押し込むために利用されていたとか。
それにはきっと、例の代筆屋も噛んでいるのでしょう。なんて狡賢いこと……。
「領主としての執務はこなせばいいだけですけれど、いずれは社交界で名誉回復もしなくてはいけないでしょう?今ある伝手を頼ると、それこそ碌なことにならなさそうですし……」
「ふむ」
「ですが、今のお話でしたら、トゥルヴァン侯爵家のご助力を受けられれば……」
「それなら、俺と婚約するか?」
………………ん?こんやく?……コンヤク?
「えっ?」
「俺ならファルスキー公爵家の名と、留置局局長の肩書きがある。そういう者共も、安易に近寄って来れんだろう」
「いえ、あの……」
「君の義姉や義弟についても理解がある。色々と配慮してやれると思うが?」
……えぇと、なんですの?その、『名案だろう』というお顔は。
理解が追い付かないから執事に視線を向ければ、執事が乙女みたいに頬を染めて歓喜していましたわ。何故あなたがそんな顔をしているの!
「……思うが?ではなく、ご自身がおっしゃっていることをご理解なさっていますの?」
「理解、とは?」
「わたくしと閣下が、こっ、婚約するだなんて……いずれ、その……夫婦になるということですわよ?」
「……?分かっているが?」
分かっていらっしゃるんですの!?
「ど、同情でそんなことをなさるのはおやめになった方が……」
「同情?俺がそんなもので人を選ぶとでも?愚かな連中も多く見てきたが、君ほどではなくとも気の毒に思う者達も見てきたぞ?」
「え?では、何故……」
まるで閣下の考えが分からず、首を傾げます。だって、同情でなければなんだと言いますの?
「そうだな……。君と落ち着いて話す時間が好ましかった、というのが素直な感情だろうか」
「こ、好……っ!?」
「被疑者もだが、仕事中だろうがパーティーだろうが、俺に寄ってくる令嬢は煩くて敵わんのだ」
その光景なら大いに想像が付きますわね。
有力公爵家の三男であり、若くして局長を務めるルドヴィーク・ファルスキー。
ラウラは演技で閣下にアピールしていたのでしょうけれど、周りのご令嬢達は本気も本気でしょう。この方なら、公爵家の所有する爵位を継ぐことも、ご自身で爵位を買うことも出来るでしょうから。
「ただ話せる時間がよかったと……?」
「“ただ”などと軽んじないでくれ。まともに会話出来る令嬢の方が希少なんだ。君とは随分と静かに会話が出来て、心地よかったからな」
「は……っ!?」
そこでそんな柔らかな笑みを浮かべるなんて、反則ではありませんこと!?
そもそも、取調室での会話を“心地よかった”……?あぁもう意味が分かりませんわ!
「それに君は、一人にするとまた無理をするだろう」
「そ、そんなことはっ」
「敵意や害意には敏感だろうが、善意や好意には疎いようだからな。近付いてくる者達に不用心な対応をしないか心配になる」
「えっ?えぇっ?」
善意や好意に疎い……?ど、どういうことでしょう?わたくし、閣下の前でそんなことをしたでしょうか……?
すると、みるみる閣下の顔がまた鬼のような形相になっていきます。閣下!落ち着いてくださいませ!
「……自分で言ってて不安になってきたな」
「か、閣下……?」
「レニエラ嬢。俺は前々から令嬢が嫌いでな。そのせいで見合いも断り続け、母上から『気になる令嬢はいないの?』と何度も言われてきた」
「はぁ……」
突然の話に、わたくしは呆けた相槌しか打てません。
「これまで気になる令嬢などいなかった。三男の俺は、婚約や結婚などせず独り身でかまわんだろうと思い続けていた。……だが、君は別だ」
「……わたくし?」
それは、一体どういう意味ですの……?
わけも分からず首を捻ると、閣下は立ち上がってしまいました。
「今日は、その報告と手土産を渡すだけのつもりだった。……まさかもう婚約の話が来ているとは思わなかったから、つい早まってしまったが」
「え?えぇと……お帰りになるのですか?」
「今日のところはそうしよう。……君が今忙しいのは重々承知の上だが、明日また訪れてもいいだろうか?」
見送りのためわたくしも立ち上がると、閣下は気遣うように眉を下げ、わたくしの表情を窺っているようでした。なんだか少し擽ったくて、閣下を直視出来ません。
「か、かまいませんわ」
「そうか、ありがとう。では明日、仕切り直しをさせてくれ」
閣下はそう言ってわたくしの前に立つと、少し屈んでわたくしの髪をひと房掴みました。
他の令嬢達と比べれば、肩くらいの長さしかない髪。そこへ閣下の唇が触れたのです。
頬に吐息がかかる距離で、伏し目がちなアイスブルーの瞳がゆっくりとこちらを捉え、視線が絡んだ瞬間――
わたくしは腰を抜かしました。執事が慌ててひょこひょこと壁際から寄ってきます。
「お、お嬢様……!」
「〜〜〜〜っ!?なっ、なっ、なっ!?」
「ふっ。屋敷の中は捜査で把握しているから、見送りは不要だ。また来る」
閣下は満足そうに笑うと、悠然と立ち去っていきました。
そのあと、執務室に戻ったものの、仕事が捗るはずもなく。いただいたケーキよりも遥かに甘い閣下の対応を思い出しては、顔を覆うしかありませんでした。




