E1-1,帰ってきた伯爵家とケーキの箱
END1は、レニエラの選んだハッピーエンドの一つです。
END1~4は、特定のエンディングを読まなくてもお楽しみいただけるよう執筆しております。お相手がお望みの方でなければ、読み飛ばしていただいて問題ありません。
あの後、わたくしは暫く留置局に滞在していましたが、ついに伯爵家へと帰ってきました。
父や義母、その他の使用人達の供述に齟齬がないかの確認も終え、本当にそこにいる必要がなくなってしまったので。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、セバス」
伯爵家のタウンハウスは、貴族の中でも大きすぎず小さすぎず、標準的な建物ですわ。
けれど、それにしたって、ここに住んでいるのが執事とわたくしだけ……というのは、あまりにも閑散としていて寂しいですわね。
「お嬢様が捕縛されてから、ミルズ坊ちゃまが執務をこなしておられました。問題ないでしょうが、念のために確認を」
「えぇ、分かっているわ」
「お部屋は整えてございます。かつての、奥様のお部屋を」
「……!ありがとう、セバス」
お母様のお部屋。当主としての執務室ですわね。
定期的に掃除するために入っておりましたけれど、当主を失ってからはいつも薄暗く、湿気のこもった臭いのする部屋という記憶が強いのです。
わたくしは、ドレス姿で我が屋敷を歩いていることに違和感を覚えながら、その部屋を開きました。
「……綺麗ね」
「そうでございましょう」
常に締め切られていた窓から日が差し込み、新調された淡い水色のカーテンが揺れていました。
「奥様は、先々代当主であるお父君が使っていらした黒檀の家具がお好きでしたから。お嬢様にとっては少々渋すぎるお部屋でしょうが……」
「いいのよ。ここでお母様や、先々代も執務をしていたのでしょう?それならわたくしも、ここで当主として励みたいわ」
「お嬢様……!うっ、うう……っ」
どうやらこの執事も涙腺が緩くなってしまったようね。わたくしは年々小さくなっていく背中をゆっくりと擦り、涙が落ち着くまで宥めていました。
そうして伯爵家に戻ったはいいものの、やらねばならないことはあまりにも多すぎました。
まずは、伯爵位継承の手続き。父が当主代理として振るっていた権限の停止と、過去書類の精査。領地財政の立て直しに、オルドラーク家との示談、トゥルヴァン侯爵家との交渉。使用人の募集も行わなくては……。
それに、伯爵家当主として生きていく以上、社交界での名誉回復だって必要になります。
やるべきことを整理するだけで、膨大な時間がかかりました。だからといって、生活を疎かにも出来ませんから、炊事洗濯も自らこなさなくてはいけません。
こればかりは使用人としての経験を積んでいてよかったと心から思いましたわ。
翌日。かつてのように朝早く目を覚まし、朝食の支度や洗濯を済ませ、黙々と執務をこなしていきます。
執務に没頭していると、入口で鐘の音が鳴りました。ハッと顔を上げた頃には昼前に差しかかっていました。
「もうこんな時間……!この書類を終わらせたら、昼食の支度をしないと」
郵便の受け取りや来客は執事が対応してくれるので、そのまま机に齧り付いていたのですけれど、執務室の扉がノックされました。
「何かしら?」
「お嬢様。警騎士貴人留置塔管理局局長がお見えですよ」
「……えっ?閣下が?すぐに向かうわ」
わたくしは書類を片付け、すぐに来客室へ向かいました。
「ごきげんよう、閣下。どうなさったのですか?まさか、ミルズやラウラに何か……」
「いや、違う。そうじゃない」
「……?では、他に聴取したいことでも出来ましたの?それなら召喚状をくだされば伺いましたのに」
「いや、それも違う。……ほら」
ずいと手を突き出され、両手で抱えてもはみ出るほどの箱を渡されました。なんですの?これは。
「あの、閣下?これは一体……」
「は?……君、ケーキの箱も知らないのか……?」
「ケーキの箱……?ケーキって、あのケーキでしょうか?」
わたくしが聞き返すと、閣下は頭が痛そうに眉間を押さえてしまいました。
……そうなのですわよね。わたくし、当主として必要な教養は執事から学びましたから、礼儀作法や勉学は問題ないのですけれど……なにぶん外の世界を知らなさすぎるのです。
「あの、閣下。その……」
「いや、いい。これは俺の言い方が悪かった。まずは座りたまえ」
「え、えぇ……」
なんだか閣下がこの家の主のような言い方ですけれど……まぁいいでしょう。素直にソファへ腰かけます。
閣下が箱を開くと、中から可愛らしいケーキが現れました。ショートケーキにチョコケーキ、それとレモンのタルトでしょうか?
「ケーキを見るのは流石に初めてではないな?」
「えぇ。あの人達に強制的に連れられたパーティーで、美味しそうな食事やお菓子が並んでいましたから」
パーティーへ行く楽しみといったら、それくらいでしたもの。
けれど、パーティーではあまり食事をしてはいけないのでしょう?伯爵令嬢としての矜恃がありますから、節操なく食べることは叶いませんでしたけれど。
「その、それで?こちらのケーキはどうされたのですか?」
「君に買ってきたんだが?」
「え?何故?」
つい聞き返してしまうと、閣下は目を丸くして固まったあと、口元を押さえて顔を背けてしまわれました。
「わ、わたくし何か失礼を!?その、えぇと……」
「……ぶっ!くくっ」
「え?閣下……?」
よくよく見ると、閣下の肩が僅かに震えています。もしかして、笑っていらっしゃるのですか?
「……いや、すまない。天然でやっているのだろうから、末恐ろしいな。くくくっ」
「あの……何か?」
「ふっ。これがあの噂の悪女だとは、誰も思うまい」
……あの、もしかしてわたくし、馬鹿にされているのでしょうか?
どう反応していいか分からず、むっと口を尖らせると、更に面白そうに、閣下は口の端を上げました。
「君は可愛いな」
………………はっ!?なんですって?
「え……っと?えっ!?」
「このケーキは、君への差し入れだ。使用人が執事だけだと手が足りず、これまで通り使用人としての仕事もしているのだろう?」
「えっ?えぇ……そうですわね」
何でしょう……。わたくしの聞き間違いでしょうか?閣下は普通ですし、別の言葉を聞き間違えたのかもしれませんわ。お恥ずかしい……。
執務に集中したい気持ちはありますけれど、執事以外の使用人がいない今、仕方がありませんもの。それに、殺人が起きた屋敷で働きたいと希望してくれる稀有な方なんて、すぐには見付からないでしょう。
当然のように返事をすると、閣下は何故か傷付いたような顔をなさいました。
「私がもう少し早く動けていれば、色々と手配出来たのだが……こちらも色々と立て込んでいてな。気にかけてやれなくてすまない」
「そんな!閣下は何も……」
「君が人を頼ることを知らぬ令嬢だと知りながら、何の準備もせず帰してしまった俺の失態だ。今日の夕方頃には、五人の使用人がこちらに来るよう命じてある」
「えっ?」
わたくしは驚いて、控えていた執事に目を向けました。執事も聞いていないようで、ふるふると首を左右に振っています。
「あの、その使用人というのは……?」
「我がファルスキー公爵家の者達だ。仔細は伝えてあるし、仕事の出来る者達ばかりだ。安心してくれていい。雇用契約書はこちらだ」
公爵家の使用人が、我が屋敷で働いてくださる!?どうして!?しかも雇用契約書だなんて、なんて準備のよさ……!
給金はこれまで通り公爵家が支払い、その一部を伯爵家が公爵家へ納めるよう書かれていました。その出費も、伯爵家の負担にならない金額です。
「閣下、これほどの待遇をしていただくわけには……!」
「あと、トゥルヴァン侯爵家との話は付いた。丁度その帰りでな。こちらが彼の戸籍に関する書類だ」
「……!?」
新たな情報に、わたくしは目を白黒させます。
ひとまず使用人の話は後で詰めるとして、書類に目を通しましょう。今後、あの子がどうなるのかの方が重要ですもの。




