E2-4,同じ空の下、同じ道を
ミルストルと暫く泣いてから体を離すと、わたくし達とは別のところから啜り泣く声が聞こえて、揃ってそちらに視線を向けました。
そこにはハンカチを握りしめ、ぐすぐすと泣く執事の姿が。わたくしはミルストルと顔を見合わせたあと、立ち上がって執事の側に寄りました。
「思えば、セバスにはずっと気苦労をかけていたわね。あなた以外に長く仕えてくれた使用人は、全員解雇されてしまったのだもの。屋敷中が敵だらけの中、この子を恨まず諭してくれた。一番の功労者は、間違いなくセバスだわ」
「いいえ、いいえ……!あの時、私めがお嬢様をお守り出来ていれば!そもそも屋敷があの者達に乗っ取られてしまう前に、我々がレヴリン様に忠言すべきだったのです……!」
執事の悔恨に、わたくしは眉を下げました。
父が愛人の元から屋敷に戻ってくるようになった時、母は初めて恋を知った少女のようだったと聞いています。
両親を突然失い、伯爵家を継がなければいけなくなった母に訪れた幸せ。本当に父が心を入れ替え、母に優しくし始めたのなら、何ら問題なかったのです。
その結果、こんな事態にまで陥るなど、誰が予想出来ましょうか。
その幸せを壊すような発言など、容易に出来なくて当然です。みな、母の幸せを願っていたのでしょうから。
かつて大きく感じていた執事の背中が、随分と小さく、そして細くなっているのを見て、長い年月を感じました。この家の罪を暴くことも、わたくし達を見殺しにすることも出来たでしょうに。
その背に手を添えると、ミルストルも反対側に立ち、執事を挟むように寄り添いました。
「セバス。あなたやかつて仕えてくれていた使用人達は、皆お母様の幸せを願ってくれていただけ。誰も悪くないわ。悪いのはあの人達だもの」
「そうです。私はセバスがいなければ、ずっとレニエラ様を誤解したままだったはずです。こうしてお側にいられる未来もなかったでしょう。ありがとう、セバス」
「一緒に領地に戻って、みんなでゆっくり過ごしましょう、セバス」
「お嬢様っ、お坊ちゃまぁ……!」
わたくし達の言葉に感極まった執事の目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出してしまいました。わたくし達は笑いながら、また少しだけ泣いてしまったのですわ。
後日、トゥルヴァン家への訪問の許可をいただいてご挨拶をし、ミルストルとの婚約が正式に決まりました。
その際、侯爵様は領地までの護衛や使用人を用意しようと申し出てくださいました。
有難いご配慮ではあります。けれど、どうしても侯爵様……いえ、侯爵家の方々のことも疑ってしまうのです。侯爵様の意思はともかく、護衛や使用人の心情はどうか分かりませんもの。
格下の伯爵家のために同行させられるなんて――と考えてもおかしくありませんから。
そんな時、ミルストルが対応してくれました。
「侯爵様、以前お話しした通り、私達は他者を心から信用することが出来ません。侯爵様のことを疑っているのではなく、護衛や使用人は快く同行してくれるのか、分からないのです……」
この時、わたくしは驚いてしまいました。だって、まさにわたくしが抱いた気持ちをそのまま代弁してくれたのですもの。ミルストルがこれほどわたくしを理解してくれていることに感動しました。
侯爵様に失礼な物言いだったでしょう。けれど、わたくし達の境遇を理解し、何も問い詰めることなく「そうだな」と納得してくださいました。
元々、帰省の際には閣下が手配してくださった護衛がつく予定でした。ですから、侯爵様からはわたくし達それぞれの世話をしてくださる方として、使用人を二人だけお借りすることになったのです。
来客室を去る時、侯爵様はこうおっしゃってくださいました。
「君達はまだ若い。若過ぎるとも言えるほどに。本来なら、まだ大人の手を借り、先人を見て学んでいる時期でもおかしくない。それを奪ってしまったのが他でもない君達の肉親で、そのうちの一人が私の叔父でもある。本当にすまない」
「そんな……。侯爵様の責任ではございません」
「それなら尚のこと、君達二人にも何の責もないことを、どうか理解してほしい」
「「!」」
わたくし達はその言葉に目を丸くしました。わたくしはミルストルに、ミルストルはわたくしに、ずっと贖罪を抱き続けていましたから。
「君達は、もっと大人や周りを責めていいくらいだ。内に溜め込むことばかりを覚えて、自身の未熟さや不甲斐なさを憂うことが多かったのだろう。だが、君達は被害者だ。……君達の“姉”もな」
「……ラウラ」
「……」
わたくしは、ここにいないラウラを思い浮かべ、ぽつりと呟きます。きっと、ミルストルも心の中で思い描いていることでしょう。
両親の前では居丈高に、外では可愛らしく純粋に、夜会では高慢でふしだらに振舞ってきたラウラ。わたくしを守るために加害者となり、一人留置局に留まっています。
「同じ年頃の娘を持つ身としては、君達姉弟が不憫でならないんだ。こんな気持ちを向けられても、気味が悪いだけだろうが……」
「そんなことは……」
「無理も気遣いも不要だ。君達二人が結ばれれば、私達は一応家族になるのだから」
「……家族?」
わたくしは復唱しながら、呆気に取られていました。
考えれば当然のことです。ミルストルがトゥルヴァン侯爵令息になり、婚約の許しを得に来たのですから、わたくし達がこのまま結婚すれば、トゥルヴァン家とは家族になるのです。
ですが、そんな当然のことも抜け落ちていました。『家族』というものが、あまりにも遠すぎて。
侯爵様は立ち上がり、わたくし達の元まで歩み寄ってきました。「触れてもいいか?」と問われ、ミルストルと共に静かに頷くと、侯爵様は両手を大きく広げてわたくし達の肩を抱きました。
「私達は初対面のようなものだ。信じられなくて当然だ。だが、これから何年、何十年もの付き合いになるだろう。家族になるのだから」
「そう、ですわね」
「はい」
「これからの人生の中で、君達の脳裏に私やトゥルヴァン家がよぎらなければ、私達の力不足だったということだ。君達が気に病むことではない。だが、少しでも我が家を思い出すことがあれば、いつでも訪ねてきなさい。頼ってきなさい。いいね?」
わたくし達は侯爵様の言葉を噛みしめました。
親というものは、本来こうして子供を思い遣ってくれるものなのでしょうか。こんなにも温かく包み込んでくれるような、安心させてくれるような……大きな存在なのでしょうか。
わたくし達には、その答えも分かりません。侯爵様の言葉を真に受けていいのかも、何も……。
ですが、わたくしは確かに、愛情に触れているはずなのです。覚えてはいませんが、執事から聞かされた母の無償の愛に。
「……胸に留めておきますわ」
「私もです」
「あぁ。君達の未来に、幸多からんことを」
わたくし達は同時に頷き、侯爵様に一礼して部屋を後にしました。
今はまだ、その優しさに応えることは出来ません。でもいつか……と思えただけでも、前に進めているのでしょう。
きっと、ミルストルも同じ気持ちを抱いているような気がしました。
これから先、こうして歩いていく中で、わたくし達だけではない誰かと、心穏やかに過ごせる日があるのかもしれません。今の自分達も驚くような、そんな未来が――。
そうして出発の日。
お忙しいはずですのに、わざわざ閣下やクレイゼア様、アウレアさんが見送りに来てくださいました。
閣下は、わたくし達の願いを聞き入れ、ラウラの行き先をプラーシル領内の修道院にしてくださったのです。彼女はもう先に出発していると教えていただきました。
「王都に戻ってくる時は連絡してくださいね。美味しいお店をご案内しますから」
「あっ、それなら僕も付いていこうかな!令嬢二人だと危ないでしょ?」
「お前はアウレアと出かけたいだけだろう。彼女達の邪魔をするな。……だが、そうだな。レニエラ嬢がもう少し食べられるようになっていたら、色々と店を紹介しよう。その時は、トゥルヴァン侯爵令息も共に案内させてくれ」
皆さん相変わらずで、つい苦笑してしまいます。まったく……今となってはこんな方々が留置局の局長様や補佐官様、担当官とは思えませんわ。
けれど、紛れもなく、この方々のおかげで、わたくし達は自らの人生を歩んでいけるのです。
「本当にお世話になりました。このご恩は忘れませんわ」
「レニエラ様を、私達を救ってくださって、ありがとうございました」
わたくし達は深々と頭を下げました。
たった半月ほどの勾留期間でしたけれど、不謹慎なことに、楽しかった……と感じていました。
最初は、警騎士や担当官達の対応に呆れ果てていました。けれど、この方々がわたくしの話を聞いてくださって、“わたくし”を取り戻せる気がして。
「レニエラ嬢」
「……なんでしょう?」
「君は今、幸せか?」
「えぇ。閣下があの部屋を暴いてくださったおかげで……」
わたくしは心から笑みを浮かべます。生まれてこの方、笑うことがなさすぎて、きっとぎこちない笑顔でしょうけれど。
「それならよかった。道中気を付けるんだぞ」
「ありがとうございます。……では、皆様。行ってまいります」
わたくしが挨拶すると、ミルストルが手を差し出しました。それに自然と手を重ねます。
「行きましょう、レニエラ様」
「えぇ」
馬車に乗り、わたくし達は並んで腰かけます。執事は気を利かせて、荷物を積んだ馬車へ乗ってくれたので、こちらは二人きり。……なんだか気恥ずかしいですわね。
そんな馬車の中、向かい側の座席の上には箱が一つ置かれていました。ミルストルはそれを手に取り、わたくしの方を向きました。
「レニエラ様、その……これを」
「……?なにかしら」
「これからは髪を気にせず伸ばせるでしょう?それに、今後は領地の視察にも多く行かれると思って、こちらを……」
そう口にしながら、ミルストルが箱を開きました。中には可愛らしい薄紫色の帽子が収められているではありませんか。
「ふふっ。あなたの髪と同じ色ね」
「……!ど、独占欲のようでお恥ずかしいのですが……その……」
「嬉しいわ。だって、とても綺麗な色だもの」
わたくしは帽子をそっと撫でました。他の方々にはまだぎこちなくなってしまう笑みも、ミルストルには悩むことなく浮かべられるのです。
「ありがとう、ミルストル」
「……その、もう一つ我儘を言ってもいいでしょうか?」
「なぁに?」
「二人きりの時は、“ミルス”と呼んでいただけませんか?前の時のように……」
恥じらうミルストルに、わたくしは目を細めました。少し顔を赤らめて、そんな可愛らしい我儘を言うなんて。
「では、わたくしのことも“レニィ”と呼んで。ミルス」
「……はい、レニィ」
これからの未来がどうなるか、わたくし達には分かりません。領地でもやらなければいけないことは山ほどあるでしょうし、いつかは王都にも戻って来なければいけません。
けれど、ミルスとなら……支え合って生きていけると信じられるのです。これまでもそうだったように。
「戻って暫くしたら、一緒にラウラに会いに行きましょう」
「そうですね」
あの屋根裏部屋で、わたくし達は互いの声を潜めて生きていました。けれどこれからは、同じ空の下、同じ道を選んで歩いていくのでしょう。
自分達が望み、選び取った『家族』という関係を、今度こそ二人の手で築いていくために――。
『END2,わたくしの側に居続けてくれた人 』は、これにて終了です。
このエンディングは、レニエラが自分の罪と向き合った結果、母の愛した伯爵領を立て直す選択をした未来でした。
そして、私が分岐エンディングを書こうと決めたきっかけでもあります。彼――ミルズ改めミルストルの存在が大きすぎたんですよね。
執筆を続けていく上で、レニエラとミルストルの関係を考えた時に、二人をただの家族として終わらせることが出来ませんでした。
誰かに恋心を抱く余裕なんてなかった二人。だからといって、お互いに恋することもなかったはずです。長年二人の心にあったのは、作中にもあった通り『贖罪』でしたから。
ですが、全てから解放された時、レニエラに向かうミルストルの感情が特に大きいだろうなと思い、この結末が書きたくて分岐エンドを執筆しました。
二人の感情を『恋』や『愛』なんてありふれた言葉では説明出来ないでしょう。閉鎖的な環境で育ってしまったが故に、協力者であり共依存のような関係でもあったと思うので。
真面目で我慢強い二人ですから、領地に行っても当主として、その補佐として、執務に明け暮れる日々が目に浮かびます。少し休むためにと領地へ向かったはずなのに。
でも、執事に鍛えられてきた二人ですから、大丈夫。忙しない、けれどずっと手に入れたかった平凡な日常の中で、二人はこれから沢山の人間らしい感情を見つけていくのでしょう。二人で支え合いながら、ずっと。




