E2-3,掴んでもいい未来
わたくしはミルストルの真剣な瞳を見ていられず、その視線から逃れるように目を逸らしました。
「わ、わたくし達は実の姉弟ではないし、血も繋がっていないわ。侯爵様に言われて、妙案だと思ったのでしょうけれど……これ以上、あなたの人生を投げ打つ必要なんてないのよ」
わたくしは言い聞かせるように告げました。すると、ミルストルは何かを堪えるように唇を引き結び、そしてわたくしを引き寄せたのです。気付けば抱きしめられていました。
「ち、ちょっと!?」
「前に言ったことを覚えていますか?」
「……?一体いつのこと?」
「トールとして、留置局へ面会に行った時のことです」
ミルストルの言葉にハッとします。
「あなたがこのまま罪を着せられるなら、私が全てを壊してあげる。あなたが閉じ込められるなら、私が攫って逃げてあげる。仮にあなたが処刑されるなら、私が全てを殺して、一緒に死んであげる」
「み、ミルストル……」
「レニィを、一人にはしないから」
「……っ」
熱を帯びた声で囁くミルストル。わたくしは、あの時のように聞かなかったことにしなければ、突き放さなければと……そう思いました。
けれど、出来ませんでした。あまりにもきつく抱かれて、二度と離すまいとしているかのようで。
こんなにも必死に繋ぎ止めようとするこの子の腕を、わたくしには振りほどけませんでした。
「あの時の言葉に、偽りなどありません。先程は、侯爵様に言われた……と言いましたが、その上であなたとの婚約を望んだのは私自身です」
「そ、そうなの……?」
「私の人生において、レニエラ様以上の女性と出会えるなど到底思えません。あのような境遇に耐え抜き、忌むべき女の子供である私やラウラのことを見放さず守ってくれた、あなた以上の方なんて……この世にいません」
随分な褒め言葉に、わたくしは肩を竦めました。
「あの環境が異常で特殊だっただけよ。わたくしのように人を疑ってばかりではない、もっと穏やかで可愛らしい、素敵な令嬢が沢山いるでしょう?」
「蝶よ花よと育てられた、世間知らずのご令嬢などに興味はありません。それに、同情されても虫酸が走るだけです。……誰も、私達の痛みを理解することなんて出来ないのですから」
えぇと……どういうこと?既に令嬢達から何か言われたことがあるような言い回しだけれど、何があったの?
怒っているらしいミルストルを宥めるよう、そっと背中を摩ります。
「……ラウラの言葉を借りると、どうして誰もラウラや当主代理、母の言葉を疑わないのか、どうして簡単にレニエラ様を悪く言うのかと……ずっと腹立たしくて仕方がなかったんです」
「そうだったの」
ミルストルは三人と一緒にパーティーへ参加していることも多かったでしょうから、この子を気遣うように声をかけてきたご令嬢がいたのでしょう。
要らぬお世話どころか、何も知らないくせにと怒ってしまったのね。
ミルストルは腕の力を緩め、わたくしから少し距離を取ると、優しく両肩を掴んできました。
「レニエラ様、目を逸らさないでください」
「!」
先手を打たれ、わたくしは覚悟を決めてその瞳を見上げました。
かつて守らなければと思っていた小さな義弟は、いつの間にかわたくしの身長を追い抜き、今では男性らしい面影に変わりつつあります。
ミルストルの成長を意識し、鼓動が徐々に早くなっていきます。
「レニエラ様と共に生きていきたいと思った時、使用人として側にいることしか頭にありませんでした。ですが、侯爵令息になった今なら、あなたを直接お守りしたいと願ってもいいのではないかと……そう思ったのです」
「ミルストルが、そう望んでいるの?」
「はい」
「そう……。そうなのね」
わたくしはその言葉を噛み締めるように呟いて、ミルストルの肩に寄りかかりました。「義――レニエラ様っ!」とあたふたする姿は、まだまだ可愛らしいですわね。
「わたくし、ほとぼりが冷めるまで領地にこもって、王都へ戻る頃には結婚適齢期をとうに過ぎているなんて理由を付けて、婚約や結婚はしないつもりだったの」
「……王都を去ると聞いた時、なんとなくそんな気がしていました。レニエラ様は……あなたの代で、伯爵家を終わらせるおつもりだったのですね」
あら、ミルストルには悟られてしまっていたようですわね。……あの環境を知るこの子だから、とも言えるでしょうけれど。
「レニエラ様は、誰のことも信用出来ない方……。婚約や結婚など、特に恐ろしいはずです。間近で見てきた関係が、あまりにも歪で醜悪なものでしたから」
「……そうね」
「ですが、レニエラ様は伯爵家唯一の血筋です。血を途絶えさせるわけにはいかないだろうと、みな躍起になって縁談を結ぼうと近付いてくるはずです。領地でゆっくりと休みたいという、あなたの望みなど推し量ろうともせず」
今届いている釣書やパーティーのお誘いのように?と言えば、この子は毛を逆立てた猫のように怒り出しそうですわね。
「……今、笑いました?」
「いいえ。なんでもないわ」
あら、いけない。猫のようなミルストルを想像したら、あまりの可愛さに堪えきれず笑ってしまいました。
ミルストルが真面目に話しているのに、失礼でしたわね。
「誰かとずっと一緒にいるなんて怖いわ。結婚なんて、もっと恐ろしいもの。パーティーでは、誰も彼もわたくしを悪女と罵っていたのに、そんな彼らが求婚しに来るなんて。どの面下げて……と感じるのは、何もおかしなことではないでしょう?」
「当然です。レニエラ様には憤る権利があるはずです」
「でもきっと、彼らからすれば『知らなかった』『全てが嘘なんて思わなかった』なんて言って、そのうち許そうとしないわたくしの方を非難し始めるのでしょうね」
今釣書やパーティーのお誘いを送ってきている者達も、きっと返事をしなければ同じように文句を言い出すに決まっていますもの。
「だから、婚約も結婚もしたくなかった。わたくしは、誰のことも信じられないから。……あなた以外は」
「!」
わたくしがぽつりとこぼした言葉に、ミルストルの体が僅かに強張りました。わたくしは、そんな彼の服の裾をきゅっと握りしめます。
「閣下の前で、あなたを信じていいのか分からなかったと言ったでしょう?いつか裏切られるかもしれないと、猜疑心を抱いていたと」
「はい」
「その気持ちは変わらないわ。きっと、永遠に。……でもね、心の持ちようが違うことには気付いていたのよ」
「心の持ちよう……?」
今度はミルストルがわたくしの背中を摩り始めました。わたくしの体が震えていることに気付いて、気遣ってくれているのでしょうね。
この手に、この存在に、何度救われてきたことでしょう。
「わたくしは基本的に、裏切られる前提でしか人と接せない。だから、どんな人達に裏切られても、やはりねと割り切れる自信があるわ。そんなことで傷付くほど、もう純情ではないもの」
「レニエラ様……」
「でもね、あなただけは違うのよ。裏切られていないと確認するために疑うの。今回も大丈夫だったと安心するために。……なんて惨めで滑稽なのかしらね。そんなあなたに裏切られたら、わたくし、もう二度と立ち直れないでしょうね……」
そんな未来を想像しただけで、胸が張り裂けそうなほど痛みました。ミルストルへの気持ちは、恋や愛といった、そんなありふれた言葉では言い表せないのです。
伯爵家から解放されて、ミルストルはやっと自由になれました。自分の意思で望んでくれたので、彼を伯爵家の使用人として雇うつもりでいましたけれど……それでもいつか、この家から巣立っていくのだと気付いていました。
トゥルヴァン侯爵家に連なる身分を手に入れて、いつかは何処かのご令嬢と婚約し、わたくしの元からこの子も消えてしまうのだと。
けれど、ミルストル自身がそれを望んだ時、わたくしにその選択を止める権利はありません。だって、この子には誰よりも幸せになってほしいから。
――それなのに。
「あなたが、わたくしを望んでくれると言うの?他のご令嬢だって、いくらでも選べるのに?あなたを傷付け続けた家の主であるわたくしを……復讐のためではなく?わたくしを守るために?そんなこと……そんなことが許されるの?」
「レニエラ様っ!」
「嘘なら今すぐ嘘だと言ってちょうだい!期待させないで!あなたと共に生きられる未来を望んでもいいなんて、そんな都合のいい夢を見せな……っ!」
肩に指が食い込むほど力強く抱きしめられ、最後まで言葉になりませんでした。その温かさに、じわりと涙が浮かんできます。
「嘘じゃありません!望んでください!掴んでください!私と生きる未来を……!他でもない私が、あなたを幸せにしたいんです、レニエラ様っ!」
「ぅあ……っ」
涙がぽろぽろと頬を伝い、せっかくの上等な上着の肩を濡らしていきます。距離を取ろうと胸を押すも、びくともしなくて。
次第にわたくしの肩まで冷たくなってきて、ミルストルも泣いているのだと気が付いて。
……あぁ、わたくし達はこれからもずっと、こうして支え合っていくのでしょうね。
どちらかに身を委ねるのではなく、手を取り合って並んで生きていく――。ミルストルとなら、そんな未来が見える気がするのです。
わたくしも手を伸ばし、ミルストルを抱きしめました。
これまで感じたことのない期待は、わたくしにとって恐ろしいものでもあります。ですがそれ以上に、温かく穏やかな気持ちに包まれたのです。
この子が側にいてくれるなら、きっと――。
その思いを胸に、わたくし達は暫くの間、抱き合っていました。




