E2-2,その名を望んだ理由
わたくしは、どうしてそんなことになったのか、経緯を聞くために団欒室へ移動しました。
執事がお茶を置いてくれ、一息ついてから問いかけます。
「それで、ミル……ストル様、どうしてそのような話に?」
ついミルズと呼んでしまいそうになり、無理やり言い換えました。すると、僅かに表情が強張りました。
「私に敬称なんて付けないでください。新しい名前には慣れていただかないといけませんが、だからといって敬称は不要です」
「いえ、あなた……侯爵家の令息になったのでしょう?」
「それを言うなら、レニエラ様は伯爵家当主です。侯爵家の名を名乗ることは許されましたが、私は後継者でもない養子です。様ではなく卿と呼ぶのが一般的な礼儀かもしれませんが……それでも嫌です」
付け足すようにぽつりとこぼされた言葉に、わたくしはつい笑ってしまいます。まるで子供の我儘のようで。
「……今、笑いましたね?」
「ふふっ。だって、『嫌です』なんて可愛らしいことを言うのだもの」
これまで“ミルズ”と呼んできたのに、“ミルストル様”なんて呼ばれて他人行儀に感じたのでしょう。拗ねたような表情は相変わらずで、この子の変わらない姿を見て少しほっとしました。
「それで、どうしてトゥルヴァン侯爵家の名前を授かることになったの?――ミルストル」
「……!」
ミルストルと呼ぶと、ぱっと表情が明るくなりました。
「私も最初は、予定通りティーメ子爵家の名を借り、子爵令息として生きていくつもりでした。けれど……局長様に聞いたんです。レニエラ様が、暫く伯爵領に戻られると」
「……?それがどうしたの?王都で使用人を募ったけれど、人数が集まらなかったとでも理由を付けて、あなたを含め、雇った者達を領地に連れて行けばいいだけでしょう?」
わたくしが首を傾げると、ミルストルは膝の上の手をぎゅっと握りました。少しの沈黙のあと、真剣な瞳がわたくしを捉えました。
「……ただの子爵令息だと、いざという時にあなたを……レニエラ様をお守り出来ないじゃないですか」
「……えっ?」
「王都なら、局長様や補佐官様がいらっしゃいます。もしトラブルが起きたとしても、あの方々がきっと力になってくださるでしょう」
「それは……そうでしょうね」
内容にもよるでしょうけれど、本当にわたくしが困っていれば、閣下やクレイゼア様、きっとアウレアさんも助けてくださる気がします。
「公爵家や侯爵家の生まれで、更には国から認められた警騎士の称号をお持ちの方々が、レニエラ様の助けとなってくだされば一安心だと思っていたのです。……けれど、あなたは領地に戻るとおっしゃった」
「え、えぇ……」
「いくらお二人の名の力が凄まじくても、身近でご本人が守ってくださるのと、我々が『何かあれば彼らが黙っていない』と主張するのとでは効力が違います」
ミルストルの意見はもっともですわね。
仮に、閣下やクレイゼア様に『レニエラ・プラーシルの噂や悪評、今回の事件も全て冤罪である』と一筆したためていただいたとしても、我が家の醜聞を考えれば「それも偽造ではないのか!」と言われてしまうかもしれませんもの。
「私はずっと、レニエラ様の側にいながら、見守ることしか出来ませんでした。傷付けられている姿を見ながら割って入ることも出来ず、ボロボロになったあなたを介抱することしか……」
「それは……!あなたの立場上、仕方のないことじゃない。それに、わたくしはあなたにずっと助けられていたのよ、ミルストル」
ミルストルは悔しそうに顔を伏せ、体を震わせています。わたくしはソファから立ち上がり、隣に腰かけてその背を撫でました。
「あなたがいてくれたから、わたくしは堪えられたのよ。あなたがいなかったら、体にはもっと醜い傷跡が残ったでしょうし、場合によってはあの屋根裏で力尽きていてもおかしくなかったわ」
疲労や体の痛みで熱を出した時も、食事を抜かれすぎて目眩を起こした時も、この子はすぐに気付いて気遣ってくれました。
膝の上で震える手にわたくしの手を添えると、ミルストルはぎゅっと握り返してきました。思っていたよりも大きく骨ばった手で驚いてしまいます。
「だからこそ、もうあなたが傷付くところを見たくないんです!あなたが血を流すところも、血の気が引いた顔で寝込む姿も……っ!」
「ミルストル……」
勢いよく上げられた顔は、悲痛に歪んでいました。潤んだ瞳と視線が絡み、わたくしの心も軋みました。
「これまでレニエラ様には、『熱や痛みを代われたら』と伝えていましたよね。でも、本当はずっと、この手でレニエラ様を守りたかった……!」
わたくしは、ミルストルの告白に息を呑みました。そんな思いを秘めていたなんて。ミルストルの本音に、更に胸が締め付けられるようでした。
「だから、あなたが領地へ向かうと聞いた時、今度こそ私があなたを守れるようにと……そう思ったんです」
「それで、侯爵家の名を名乗りたいと望んだの?」
「そうです。局長様から侯爵様に私の要望を伝えていただいて、試験を受けることになったんです。セバスから教養を叩き込まれていることは伝えていましたけれど、子爵令息と侯爵令息では求められる教養の水準が違いますから」
……そういうことだったのですね。予定よりも戻ってくるのが遅かったのは、この子自身が侯爵家の名を欲したから。
ですから閣下は黙っていらしたのでしょう。
この子の思いを第三者が語るべきではないですもの。それに万が一、侯爵様から試験で認められず、この子が子爵令息として戻ることになったとしても、わたくしは何も知りませんものね。
「トゥルヴァン侯爵家は定評通り、とても厳格な家でした。ですが、情のない家でもないようで、現当主は私の境遇を聞いて胸を痛めてくださっているようでした。お眼鏡にかなったのか、私だけでなく伯爵家のご支援もしてくださると……」
「まぁ、本当?」
「はい。当初予定していた設定を活かして、恩のあるプラーシル領の孤児院を含め、伯爵領の状況を確認するため、侯爵様の代理人として私が領地へ同行することになりました」
ミルストルの言う“設定”とは、ティーメ子爵令息になる時の話でしょう。
恐らく、ミルストルが流れ着いたという孤児院を、プラーシル領の孤児院だったことにするのでしょうね。トゥルヴァン侯爵家としてもミルストルとしても、その恩を返すために支援や同行をする――と。
それは非常に助かります。今、伯爵家と縁のある家は、繋がりのない他家以上に信用出来ませんから。
これまで伯爵家と親しくしていた貴族達は、父や義母と繋がっていたのですもの。閣下や警騎士の方々が調べてくださっていますけれど、小狡い裏取引をいくつもしていたようですし。ミルストルと一緒に集めてきた証拠もきっと役立つはずです。
わたくしもこの子も、中々他人を信じることが出来ません。ですから、貴族としての矜恃や良心の呵責に基づく行動なら、信じられる場合もあるでしょう。
そういう意味では、ミルストルの出自や境遇に負い目を感じ、血族の者として力を貸してくださる……という負の感情は、信じてもいいかもしれませんね。
わたくしが納得して頷いていると、握られた手に力がこもりました。
ん?と顔を窺うと――何故かミルストルの顔が僅かに赤らんでいます。しかも、分かりやすいほど目が泳いでいました。
今の会話で、恥ずかしがるような話はなかったでしょう?
「どうしたの?」
「あ……えぇと、その……ですね。その……侯爵様に、どうしてわざわざ侯爵家の名を求めるのかと質問されたので、事情をお話ししたんです」
「さっき言っていた、領地に戻るにあたっての不安点……かしら?」
「はい、そうです。その、それで……」
ミルストルの声はだんだん小さくなり、口をもごもごさせています。訝しげに目を細めると、ミルストルはわたくしの手を両手でぎゅっと握りました。
「侯爵様に、『それならお前がプラーシル女伯爵の婚約者になればいいだろう』と言われたのですっ!」
「…………へ?」
「レニエラ様、私と婚約していただけませんか?」
……いえいえ、お待ちなさい!どういうこと!?
王都にいるなら、閣下やクレイゼア様が助けてくださるでしょう。けれど、領地に戻るなら彼らの助けはすぐに受けられず、領民達にその後ろ盾を信用してもらえるかも分かりません。
だから、ミルストルが侯爵家の名前を授かることになったのでは……?
それがどうして婚約の話になるの!?わたくしが……ミルストルと、婚約……?えぇ?
理解が追い付かないから執事に視線を向ければ、執事が乙女みたいに瞳を潤ませて歓喜していましたわ。何故あなたがそんな顔をしているの!
わたくしも熱が伝染ったかのように、じわじわと顔が火照っていきました。




