E2-1,あの子が帰ってくる日
END2は、レニエラの選んだハッピーエンドの一つです。
END1~4は、特定のエンディングを読まなくてもお楽しみいただけるよう執筆しております。お相手がお望みの方でなければ、読み飛ばしていただいて問題ありません。
わたくしは留置局から出て伯爵家へ戻ると、必要な手続きを済ませつつ、出発の支度を整えていました。
そうは言っても、屋敷から持ち出す荷物はあまりにも少ないため、必要なものを買い足しているくらいですけれど。
何処へ向かうのかと言いますと――伯爵領です。わたくしは、王都を去ることにしたのですわ。
閣下やクレイゼア様、アウレアさんも、わたくしの醜聞はいずれ風化すると慰めてくださいました。このまま王都にいればいいだろうとも。
けれど、暫くは噂の的となり、厄介なお茶会やパーティーのお誘い、更には伯爵家の婿の座を狙って釣書が届くことでしょう。……今も既に来ているようですからね。
それに、事件が解決した時にはもう決めていたのです。領地へ行きましょう――と。
わたくし、生まれてこの方、領地に一度も行ったことがないのですもの。そんな当主がいるでしょうか。
元々悪評だらけだったわたくしが伯爵家当主になる――それは、領民達にとって不安しかないでしょう。
いくら家族がわたくしを悪女に仕立てていたと公表されても、納得出来るかは別問題。これまでは散財や夜遊びばかりしていた悪女。これからは虐げられてきた無力な令嬢と思われるのですから。
領民は、わたくしが当主として土地を守れるのかと不安視するでしょう。ですから、長期の療養……と銘打って領地にこもろうと思うのです。
必要な税を滞りなく納め、領政に支障を出さなければ、数年くらいは許されるでしょう。
それに、ミルズ……いえ、あの子も暫く休ませてあげたいのです。勿論、領地財政の立て直しをしなくてはいけませんから、本当の意味で休めるわけではありませんけれど。
新しい戸籍を得ることになったあの子も、貴族の養子に迎えられた令息として注目を集めるでしょうから。少なくとも、そういった煩わしいものからは遠ざかれるはずです。
「物心つく頃から不遇な環境で過ごしてきたことで負った心の傷は、短期間で癒えるものではないと医師に診断書を書かせよう。気丈に振舞ってはいるが、間違いではないだろう?それに前も言ったが、君は痩せすぎた。もう少し食べられるようになれ」
閣下はわたくしの身を案じながら、そうおっしゃってくださいました。何から何までお世話になってしまい、お礼の言葉を述べようとした、まさにその時。
「うわぁ……。ルドってばまだ婚約者もいないのに、父親みたいなこと言ってる」
「煩い!お前はいつもいつも……っ!」
とクレイゼア様が閣下を茶化して。相変わらずのお二人にくすくす笑ってしまいましたわ。
閣下がご用意くださる診断書があれば、急を要する用件でもない限り、王族からも文句は言われないそうです。公爵家のお力は本当に凄まじいですわね……。感謝してもしきれませんわ。
「お嬢様、今日はあの方がついにお戻りになる日ですね」
「そうね。あの子ったら……一体何をしているのかしら」
既に父と義母の処刑が済み、ミルズも亡くなったことになっています。ですから、本来なら処刑が終わればすぐ屋敷へ戻ってくると聞いていたのに、何故か手続きが長引いているそうなのです。
何でも、“試験”を受けているとか。試験とは何ですの?と閣下に問いかけたのですけれど、お答えいただけなかったのですわ。
「お嬢様の教育を終えたあと、お坊ちゃまとは何年も共に過ごしておりましたから。爺には分かりますよ」
「あら。知らないのはわたくしだけ?」
実際、わたくしとあの子が過ごした時間は長くありません。協力関係にあると知られるわけにはいきませんでしたし、人目を盗んであの屋根裏部屋で会う程度でしたから。
あの子の本心を聞いてから、五年。
苦しんできたのはわたくしだけではなかったと知ったあの日。生まれてすぐ大人達の悪事に巻き込まれた、この小さな義弟を助けなければ――そう思えたからこそ、わたくしは再び、境遇に抗ってみせようと思えたのです。
どれだけ踏み躙られても、心が折れそうになっても、あの子が側で支えてくれたから。
けれど、あの子の考えていることは……よく分からないのです。あんな大人に育てられてしまったせいで、わたくし達三人とも感情を押し殺し、望まれたように振舞うことに慣れてしまって。
記憶にあるのは、無表情やむすっとした顔ばかり。それから、いつも心配ばかりされていた気がしますわね。
そういえば、あの子の純粋な笑顔なんて見たことがあったかしら……。十五年もの月日を同じ屋敷で過ごし、五年以上協力関係にあったというのに。
そんなことを思い返していると、屋敷の入口で鐘が鳴りました。
「噂をすれば、お戻りでしょうか。見てきますね」
「えぇ」
執事は静かに退室します。けれどその表情は何処か嬉しそうで、わたくしは微笑ましくその背中を見送りました。
暫くして、執務室に戻ってきた執事の後ろから、あの子が姿を現しました。思いがけない装いに、わたくしは目を瞬いてしまいます。
「……お、おかえりなさい」
「只今戻りました、義姉様……いえ、レニエラ様」
そのうえ、随分と柔らかい表情で名前を呼ばれ、どきりとしました。目の前にいるのが別人なのではと疑うほどに。
「あ、あなた……その服と髪はどうしたの?」
「あちらの家が用意してくださったんです。……似合いませんか?」
「いえ、とても似合っているけれど……。あなた、ティーメ子爵家の養子になったのではないの?どう見ても子爵令息が着るような服装じゃないでしょう」
わたくしが聞いていたのは、トゥルヴァン侯爵家の分家筋で、現在は当主が不在だからと、侯爵家が管理しているというティーメ子爵家の名を利用するという話でした。
前当主の弟の子が行方不明となった末に、孤児院に流れ着き、特有の髪色から血族の子だと判断した侯爵家が引き取り、密かに面倒を見ていた……という設定にすると。
実際には、侯爵家の先代当主の弟の子のため、近いような惜しいような話ですけれどね。
隠されていた薄紫色の髪も丁寧に整えられ、上質な衣装によく映えていますが……。刺繍や装飾を見る限り、子爵家の養子として用意されたものとは思えません。
この子の出自を考えれば、侯爵家が負い目を感じるのは不思議ではありませんが……それにしたってこれほど格の高い服は与えないはずです。
すると、彼はわたくしの前で紳士らしい礼をして、こう言ったのです。
「では、改めまして……。ティーメ子爵家の後継者として育てられてまいりましたが、この度、本家に養子として迎えられ、トゥルヴァンの名を賜りました。ミルストル・トゥルヴァンと申します」
「…………は?」
お待ちなさい。どういうこと?あなた、ティーメ子爵令息になって、伯爵家の使用人として戻ってくるはずじゃなかったの?それなのに、侯爵令息ですって……?
わたくしはぽかんとしたまま、その姿を見上げます。背丈は変わっていないはずですのに、今の彼はわたくしの知っているあの子よりも凛々しく、そして眩しく見えました。
するとこの子ったら、まるで悪戯が成功した子供のように、満足そうに年相応の笑みを浮かべたのでした。




