E3-2,平穏な日々はまだ遠い……?
事務官として挨拶回りを終え、先輩方から指導を受けた後の休憩時間。見知った顔がわたくしを見付け、嬉しそうな笑みを浮かべました。
「レニエラ様!お疲れ様です」
「まぁ、ミルト様。そちらはどうですか?」
「覚えることが多くて大変です。レニエラ様は?」
「わたくしも同じですわ。新米同士、頑張りましょうね」
「はい!」
元気な返事と同時に、薄紫色の髪がふわりと揺れました。そう、彼はトゥルヴァン侯爵家の分家筋であるティーメ子爵令息となった、ミルズ――改めミルトです。
わたくしが事務官になると決めた時、ミルズも閣下に向かって「一緒に留置局で働く」と宣言したのです。
「いくら局長様がいらしても、義姉様を一人で働かせるなんて心配です。私も一緒に留置局で働かせてください」
「でも、あなたにだってやりたいことがあるんじゃないの……?」
「私の望みは、義姉様と一緒にいられることですから。それに権力を手に入れて、義姉様に乱暴したような担当官達を追い出すのも楽しそうです。……ふふふ」
「え、えっと……?」
ミルズは黒い笑みを浮かべ、なんだか物騒なことを口にしていました。この子は優しい子ですから、間違った正義を振りかざすことはないでしょうけれど。
それを聞いた閣下は……大きく溜息を吐いていらっしゃいました。面倒事が増えたと思われたのでしょう。姉弟揃って迷惑をかけて、申し訳ございませんわね。
それから、わたくしが伯爵位返還の手続きなどを行っている間に、父と義母は処刑されました。それに伴って、ミルズも死んだことになりました。
そして、新たな戸籍と名を手に入れたミルトは、わたくしとの関係性を誤魔化すため、先に留置局で働き出していたのです。
ですから、ミルトとは同じ新米なのですわ。彼の方がちょっぴり先輩ですけれどね。
挨拶回りをした時、ほぼ同期という共通点を口実に、ミルトがわたくしに「名前で呼んでください」と言ってくれたのです。
おかげで、敬称は付けなくてはいけませんが、気軽に接せるのでほっとしています。周囲からも、新米同士で交流を始めたと見られているでしょう。
昼食を食べに行こうと事務室を出ると、廊下は異様なざわめきに包まれていました。何事かと視線を向けてみると、奥から閣下やクレイゼア様、アウレアお義姉様が向かってくるではありませんか。
あまり事務室へ足を運ばれることのない方々の登場に、黄色い声が飛び交います。
担当官は男性ばかりで女性はごく僅かですが、事務官には女性が複数いますもの。閣下やクレイゼア様は注目の的でしょう。
「レニエラ嬢、問題はなかったか?」
「問題ありませんわ。覚えることは多いですけれど、皆さんに丁寧に教えていただけていますので」
「いやぁ〜、よかったです。今日はずっと、閣下とアウレアが落ち着きなくそわそわしていまして」
人目があるからか、丁寧な口調ではありますが……クレイゼア様によって二人がどんな様子だったか知ってしまいました。
バラされた閣下は苛立たしげに、アウレアお義姉様は冷ややかに、クレイゼア様を睨み付けています。本当に相変わらずですわね……。
いそいそとわたくしの隣に寄ってきたアウレアお義姉様は、ミルトとわたくしを見て首を傾げました。
「ティーメ事務官、レニエラを食堂に案内してくれるところだったのでしょうか?」
「はい。そのつもりでした」
「そうですか。私もご一緒していいですか?」
「勿論です、マーレイン担当官」
この二人――ミルトとアウレアお義姉様は、いつの間にかとても親しくなっていました。職務でなければ「ミルト様」「アウレア様」と呼び合うほどに。
アウレアお義姉様が、わたくしを引き取ると言い出した時の褒め言葉をきっかけに、どうやら二人は意気投合したようです。
ミルトが留置局に滞在している間、二人はわたくしについてあれこれ話し合っていたそうなのですが……。一体何を語っていたのでしょうね。
「アウレアが行くなら、私も同行しますからね!……ただでさえ、最近アウレアがレニエラ嬢にばかりかまうから悔しくて仕方がないのにっ!しかも、ミルト君まで気に入っちゃってさぁ!」
声を潜めつつ、心の声がダダ漏れのクレイゼア様。
わたくしがアウレアお義姉様の義妹となったことで、クレイゼア様もわたくしを名前で呼ぶようになりました。そして、何故か嫉妬の目がこちらに向いているのです。
マーレイン家に迎え入れられてから、わたくしは警騎士や留置局のこと、マーレイン家のことを学び始めました。
時間を忘れて勉学に取り組みがちなわたくしを、アウレアお義姉様はとても気にかけてくださいます。食事や睡眠など、まるで幼子の世話をするように。わたくしは気恥ずかしくもありながら擽ったくて、少し甘えてしまっています。
――甘えることの出来なかった、もう一人の義姉の姿を思い浮かべながら。
留置局で働くために必要なものを揃えに、王都の文房具店に連れて行ってくださったり、鞄を見繕ってくださったり。
そのせいか、クレイゼア様には顔を合わせるたびに「ずるい」と言われてしまって。わたくし、二人の関係の邪魔をしているつもりはないのですけれどね。
「……はぁ。こいつが好き勝手しないか不安だ。悪いが、俺も同席させてもらっていいだろうか」
大体それに巻き込まれて、閣下が振り回されているようです。閣下はクレイゼア様の上司なのですわよね?こういった状況だと、いつも閣下の方が補佐をなさっていませんか?
わたくしは、つい皆さんに苦笑してしまいます。
「こんなところで固まっていては、通行の邪魔になってしまいますわ。早く食事に行きましょう」
「そうだな」
「はい、レニエラ様」
閣下とミルトの返事に頷き、わたくしは歩き出します。わたくしの左右には、閣下とミルト。
本当はアウレアお義姉様もわたくしの隣がいいようなのですが、そうすると必ず反対側にクレイゼア様が並ぶので、通行の邪魔になってしまうのです。
渋々後ろへ下がるアウレアお義姉様がいじらしくて可愛らしくて、くすくすと笑ってしまいます。
「ふっ。随分楽しそうだな」
「レニエラ様が笑えていて、安心しました。これから一緒に頑張りましょうね」
「えぇ、皆さんのおかげで。やっていけそうですわ」
にこやかにそう返事をしながらも、わたくしの心の中は、実は冷や汗だらけでした。
だって、そうでしょう?
普通、留置局の責任者である閣下やその補佐官のクレイゼア様が、わたくしのような新米のところに来るはずがありませんもの。そのせいで、全員の注目を集めてしまっています。
きっと食事から事務室に戻ると、多くの事務官に囲まれてしまうでしょう。羨望と嫉妬の視線に、肌を突き刺されそうですわね。
「困ったことがあればいつでも言うんだぞ」
「いえ、そんな……周りの先輩方を差し置いて、閣下直々にご相談なんて出来ませんわ」
「そうですよ。そんなことで局長の手を煩わせるだなんて。レニエラ様、何かあればまず私に相談してくださいね。……アウレア様と根回しして何とかしますので」
「裏でこそこそするくらいなら、俺に直接言った方が早いだろう。レニエラ嬢、誰にも文句は言わせんから遠慮はするな」
「あっ……、えっ?え?」
二人から距離を詰められ、わたくしは困り果てました。真ん中では逃げようがなく、視線を彷徨わせることしか出来ません。
そもそも、どうしてわたくしを挟んで張り合っていらっしゃるのです?何故?ねぇ、何故ですの!?
「あぁ、そういえば次の休日、修道院に行きませんか?……ラウラの面会の許可が取れそうなので」
「……!行くわ!あっ……!い、行きますわ、ミルト様」
ミルトからラウラの話を耳元で囁かれ、うっかり敬語が抜けてしまいました。いけませんわ、気を付けなければ。
けれど、ミルトは殊更嬉しそうな笑顔をわたくしに向けてきました。あまりの眩しさに、ついドキッとしてしまいます。
「ふふっ。いつか局内でも、普通に話せる日が来るといいですね」
「そ、そうですわね」
わたくしが少し火照った顔を逸らすと、今度は反対側から声がかかりました。
「年頃の令息令嬢が二人で出かけるなど、よくないのではないか?修道院への案内も必要だろう。俺も同行しよう」
「えっ!?そ、そんな……閣下の貴重な休日を奪うわけには……!」
「気にするな。君のために、彼女を王都の修道院に入れるよう手配したんだ。最後まで面倒は見させてくれ」
柔らかな表情で気遣われ、顔がカッと熱くなります。皆さん、信じられないものを見るような顔で閣下を凝視しているではありませんか。
眉間に皺を寄せてむすっとしている普段の閣下はいずこに!?困ったことがあれば――だなんて、今のこの状況が一番困っていますのよ!?
わたくしは俯いて、二人の視線から逃れるしかありません。
事件が解決して以来、クレイゼア様から嫉妬を向けられるだけでなく、何故か閣下とミルトは張り合い、わたくしを取り合うような素振りを見せるのです。
そこへアウレアお義姉様も混ざり、日々、各々の思惑が飛び交っているようで……。
何故こんな状況になっているのか、まるで分からないわたくしは、マーレイン家でも雇ってもらえた執事に相談したのですわ。すると、「混戦を極めているのですねぇ、お嬢様のせいで……」と呆れた表情を向けてきましたのよ。何故!?
あの薄暗い屋根裏部屋から飛び出して、わたくしは今、自分の足で立とうとしています。
心強い方々に支えられ、今度こそ、わたくしの人生を歩むために。
ですからどうか!皆々様が、わたくしの平穏な日々を壊さないでくださいませんか!?
なお、この後、わたくしは当然のように事務官達に問い詰められましたわ。
そしてそれを見ていたミルトがアウレアお義姉様に報告。同時に、その情報を聞き付けた閣下も動き出し……。
わたくしとミルトは、僅かひと月で閣下直属の局長付き事務官に選ばれることになるのですわ。
勿論、この時のわたくしは、そんな未来を知る由もありませんでしたけれどね。
『END3,何者でもない、わたくしとして』は、これにて終了です。
このエンディングは、レニエラが自分の罪と向き合った結果、伯爵家を継がない選択をした未来でした。
私自身、この結末もとても気に入っています。
留置局では、レニエラを巡ってルドヴィークとミルト、アウレアがあれこれと世話を焼きながら張り合っている姿が目に浮かびますね。そこにトマーシュが勝手にヤキモチを焼いててんやわんやし、更にはいずれラウラも参戦するのでしょう。
レニエラの平穏な日々はまだ遠い……というよりも、ずっと遠いのかもしれませんね(笑)




