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31,幼い二人の誓い


 わたくし達の語った過去に、誰も言葉が出ない様子でした。


 閣下や部長の眉間には深く皺が刻まれ、いつも軽やかな雰囲気のクレイゼア様でさえ、口を固く結んでいます。


「ラウラに叩かれてもなお、必死にセバスを守ろうとしている義姉様(ねえさま)と、そんな義姉様(ねえさま)を甚振って嘲笑う三人。いくらそれまで家族だと思っていた相手でも、恐ろしいと感じるのは自然な感情でしょう?」

「それはそうだろうな」

「それに、もしも自分が義姉様(ねえさま)のように扱われたらと考えただけで……。私もしくじればあぁなるのかと、そう思わずにいられませんでした」


 話に聞くことはあっても、わたくしの実情を知らないまま、三人と仲睦まじく過ごしてきたミルズ。


 そんな家族が、悪魔のような形相でわたくしを足蹴にする姿を目の当たりにしたのです。


 十歳の幼い心に、あの日の光景がどれほど深く刻まれたのか……想像するに堪えません。


義姉様(ねえさま)は引きずられながら、屋根裏部屋へ戻されました。そして、セバスは命じられるまま、私の教育係になったのです」


 ミルズの髪を整え終えてから、ひっそりと佇んでいた執事は、静かに頭を下げました。


「わたくしは、セバスだけでも守りたかったのです。それに、母の愛した伯爵領の者達にも辛い思いをさせるわけにはいきませんでした。そもそも、父に領地経営や当主の業務を任せられるはずがありませんから、わたくしが頑張るしかないのだと。ですが……」

「まだ何かあるのか?」

「……わたくしが頑張れば頑張るほど、義母とラウラの散財は増すばかりでした。このままでは家が立ち行かないと訴えても鞭で打たれ、セバスがどうなってもいいのかと脅されたのです」

「鞭打ちですって!?」

 

 部長は勢いよく立ち上がりました。警騎士としては見過ごせないのでしょうね。

 

 過去、教育とはいえ、行き過ぎた体罰による重傷者や死亡者の頻発した時代があり、鞭や教鞭といった道具を用いた体罰は厳禁と定められています。


 今やそれらは拷問器具と見なされ、彼らのような警騎士による重大事件の取り調べ――それこそ拷問の時にしか使ってはならないのです。


 皮膚が裂ける痛みを思い出し、わたくしは我が身を抱きました。


「えぇ。それを何とかするのがお前の仕事だろうと言って、何度も、何度も……。弱い力でも簡単に痛め付けられるからと、義母がよく鞭を振るおうとしては……ラウラがそれを奪って、わたくしを叩いていましたね」

「なんて惨いことを……っ!」

 

 部長は義母とラウラを睨み付けました。義母は顔を蒼白にして震えているようです。


「ミルズは、自らこの家や家族の歪さに気付いてくれたと執事から聞きました。教育を受ければ受けるほど、この家の者達がどれほどの大罪を犯しているのか理解して……」

「……すぐに受け入れられたわけではありませんでしたが。認めたくなくて、セバスに怒鳴ったり泣いたりしたことも……数え切れませんから」


 幼い頃の自分を思い出して恥じているのでしょうか。気落ちした声に、つい苦笑してしまいます。


「認めたくなくて当然よ。簒奪の旗頭が自分だなんて、余程恐ろしかったはずだもの。でもミルズは、わたくしの元に謝りに来てくれたのです。この子は何も悪くないのに……」






 それは、執事さえも奪われて、半年が経った頃でしょうか。


 ミルズが初めて屋根裏部屋に来たのです。家族が来る時といえば、折檻される時くらいしかありませんから、わたくしは酷く怯えてしまいました。


 しかし、一向に足音は近付いてきません。


 恐る恐る顔を上げてみると、ミルズがその場で固まっていたのです。あまりの環境を目の当たりにして驚いたのでしょうね。そして、その場に蹲って涙を流し始めたのです。わたくしも突然のことにびっくりしました。

 

 ミルズは何度も謝罪を述べたあと、自身の髪色も含めて、胸の内も全て打ち明けてくれたのです。


 ――僕は、一体誰なの……?伯爵家の血も継いでいない、お父様だって、本当のお父様じゃないのに。どうして後継者なんて言われているの?でも、この髪色を知られたら、僕は処刑されてしまうんでしょう?僕は、伯爵になりたいわけじゃないのに……っ!死にたくない……!怖いよ……っ!


 踏み躙られて悪評を植え付けられたわたくしと、断罪と隣り合わせの後継者に祭り上げられたミルズ。


 この子の話を聞いて、わたくしもまた泣き崩れました。


 ――ごめんなさい。あなたの人生をめちゃくちゃにしてしまって……。本当にごめんなさい……っ!


 ただ生まれてきただけ。それなのに、この子も大人の思惑に利用され、選択の余地もなく簒奪の道を歩くよう追い込まれた被害者なのだと知りました。


 それが悲しくて、悔しくて、仕方がありませんでした。


 だってこれは、わたくしが生まれる前から始まっていた、両親の関係の歪みが招いた結果ですもの。


 もしも母や使用人達が、新しい環境に馴染めない父のことを少しでも思い遣れていたら?


 もしも父が、仕事は出来ないまでも、両親を失って手一杯になっている母の心に寄り添えていたら?


 こんなことにはならなかったかもしれないのに。


 わたくし達は己の運命を呪い、嘆き、苦しみを分かち合いました。そして……必ず抗ってみせようと誓ったのです。




「そこで、わたくしが十八歳の成人を迎えるまで耐え忍ぶことにしたのです」

「何故だ?もっと早く助けを乞えば……」

「彼らがミルズに伯爵家を継がせたくとも、この子はまだ未成年。ミルズが十八歳になるまでは、父が当主代理の座から降りることはありません。それに……何の準備もせず信じてもらえるなど、到底思えませんでしたから」


 身に覚えのない噂や悪評の数々。意図的に広められたそれらのせいで、無理やり参加させられたパーティーでは全員から嫌悪感を向けられました。


 わたくしを軽んじてくる人達に違うと否定しても、信じてくれる人は誰一人いませんでした。疑問を抱いてくれる人さえも。


 捜査資料でご存知だからでしょうか。閣下はぐっと言葉を詰まらせたようでした。


「それから私は、セバスに手伝ってもらって、密かに義姉様(ねえさま)と交流するようになりました。人目を盗んで義姉様(ねえさま)の元に食事を運んだり、鞭で打たれて寝込んでいる義姉様(ねえさま)の看病をしたりしていたんです」

「ミルズに初めて義姉様(ねえさま)と呼ばれた時が懐かしいわ。驚いて、もう一回呼んでくれる?なんて聞き返してしまったのよね」


 わたくしが過去を振り返ると、ミルズは少し頬を染めて、「懐かしいですね」と呟きました。


「……道理で食が細いはずだ」


 痛ましげな閣下の声に、わたくしは首を傾げました。


「留置局での食事は、人生で一番お腹が満たされましたわ。きちんとした清潔なベッドがあって、仕事をしなくても食事が運ばれてきて。誰かが押しかけてきて暴力を振るうこともないのですから、安心して眠れますもの」

「……そんな生活だったのか」

「そうですわね。以前お伝えした、『ここに居続けて宜しいのでしたら、是非そうしたいところなのですけれど』――あの言葉だって嘘ではありませんわよ」


 えぇ。だって、これまでの生活と比べたら雲泥の差ですもの。


「そう言いたくなっても仕方がないと思います。義姉様(ねえさま)はいつもボロボロで、背中は今でも古傷や痣だらけで……!こんな華奢な体に、あの人達はっ!」


 ミルズはぶるぶると体を震わせ、手で顔を覆いました。わたくしはミルズを引き寄せ、肩を抱きました。


 わたくしが傷付けられるたび、ミルズはその晩、「ごめんなさい……ごめんなさい……」と、泣きながら手当てをしてくれたのです。


 何度「自分が代われたなら」と言われ、何度この子を宥めたでしょう。ミルズが感情のままに動けば、わたくし達が協力関係にあると知られてしまいます。そうすれば、計画が台無しになってしまいますから。


 わたくしがどれだけ傷付けられても悟らせては駄目よと、残酷なことを告げるしかありませんでした。


「君達は、そうやって支え合って来たのか」

「……ミルズを信じていいのか、わたくしは分かりませんでした。いつか裏切られるかもしれないという猜疑心は捨てきれませんでしたから。けれど、この子から向けられる言葉や態度を見て、この子のことも、セバスと同じように守りたいと……そう思ったのですわ」


 わたくし達を繋いでいたのは、互いへの贖罪だったのでしょう。


 この家のせいで、ミルズは。

 自分が生まれたせいで、義姉様(ねえさま)は。


 それに、わたくし達は運命共同体でしたから。しくじればこれまで以上に尊厳を奪われるか、人生が終わるかの瀬戸際に立たされているのですから。


 伯爵位簒奪を企てた者達――それは、オルドラーク伯爵家嫡男を殺すよりも遥かに大罪とされます。


 代々受け継がれてきた青い血に穢れが入り混じり、それが他家や、場合によっては王家をも侵食するかもしれないのですから。


 つまり、ミルズの言う通り、このまま何の対策もせず全てを公にすれば、たとえ本人にその意思がなかったとしても、あの愚かな者達だけでなくミルズの死刑も決まってしまう可能性があったのです。


「ですから、少しずつ情報を集めることにしました。父と義母の思惑の違いや、ミルズの本当の父親は誰なのか。彼らの罪を明らかにし、ミルズは従うしかなかったのだと証明するために」

義姉様(ねえさま)は当主としての業務や、その……屋敷のことがありましたから。外の調査は主にセバスや私が行っていました。……臙脂色の髪とこの身長では、すぐ私に結び付いてしまいますから。時には“遊び人のトール”として」

「そういうことか」


 閣下は深くソファに沈み込んで頷きました。


「わたくしが成人を迎えたその時、集めた証拠を手に警騎士へ訴え、ミルズやセバスのような者達だけは救ってほしいと掛け合う算段を立てていたのです。その時点でわたくしは当主になれるのですから、代理を立てる必要もなくなるでしょう?」

「……ですが、私達の想像以上に、義姉様(ねえさま)の噂や悪評が大きくなっていきました。このままでは、いくら証拠を揃えても聞き入れてもらえないのではと懸念していたところで、今回の事件が起きたんです」


 ミルズの説明を受け、クレイゼア様は思い出したように質問してきました。


「そういえば、レニエラ・プラーシルの悪評には目撃証言も沢山ありましたよね?でも、実際には違うのでしょう?一体どういうことなんですか?」

「それは……」

「あの女しかいないでしょう……っ!義姉様(ねえさま)に成りすまして遊び歩いていた張本人は、そこに転がっているラウラです!」


 ミルズはこれまで溜め込んできた怒りをぶつけるように、自身の異父姉――ラウラを指差します。


 憎々しげにこちらを見上げるグレーの瞳を見て、わたくしの胸はじくじくと痛みました。




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