20,弁明の機会に感謝を
「それよりも今話すべきは、その手紙に対してのシモナさんの行動でしょう」
わたくしの指摘に、暴れていたシモナさんはビクリと体を震わせて硬直しました。
クレイゼア様が会話記録や手紙を覗き込んだ時、バインダーからちらりと見えた“鑑定書”の文字。やはりそういうことですわね、と机の上の手紙を見据えます。
「トールは言っていましたわね。『昨日、屋敷の子猫が桃を食べようとしていた』と。つまり、子猫と桃の接触は――」
「……!君とインツ殿との面会中か!」
「えぇ、そうでしょうね。つまりシモナさんは、今に至るまでの僅か一日半ほどで、“わたくしを裁くための証拠”を準備してみせたのです。……わたくし、気になるのですけれど、筆跡の鑑定は、たった数時間程度で一致・不一致が判明するものなのでしょうか?」
そう口にしながら、手のひらで手紙を示します。
閣下の眉間の皺は更に深まり、机の上で組まれた手の指が肌に食い込んでいました。あのままでは、爪で皮膚が抉れてしまいそうです。
わたくしはそっと手を伸ばし、きつく握られた両手に触れました。
すると、悔しげな……遣る瀬なさを滲ませた瞳がこちらを捉え、ぎゅっと強く目を閉じました。
――閣下ご自身が悪いわけではないのですけれどね。
責任者としての在り方とは、本来こうあるべきなのでしょう。わたくしは静かに眉を下げました。
「……筆跡鑑定を依頼した場合、簡易的なものであっても数日から一週間は要する。しかも、簡易鑑定であれば鑑定書は付かない」
「では、鑑定書が付き、証拠として提出出来るよう正式な依頼をしたとすると、どのくらいの日数がかかるのですか?」
「鑑定する量にもよるだろうが、ひと月は見ておく必要があるだろうな」
大体想像していた通りで、わたくしは静かに頷きます。
わたくしは立ち上がり、悠然と取調室を歩き始めました。シモナさんの周りを、ぐるりと回るように。
「では、そちらを託した子猫は、もっと前に手紙を発見し、わたくしの犯行を予見して鑑定を依頼していたと?それをシモナさんに取りに行かせたのでしょうか?」
子猫がそんな下準備を行っているはずがないのは分かっています。けれど、術中に嵌まり、見事手駒にされてしまったシモナさんに、じわじわと現実を突きつけていきます。
だって、わたくしを悪女と言うのなら、あなたは何だと言うのかしら?と。
横たわる彼女の側にしゃがみ込み、顔を覗き込んで問いかけます。
「けれど、それなら何故、さっさと手紙を警騎士に届けなかったのかしら?――“大切な婚約者”が殺されてしまうかもしれないのに」
「……っ!!」
ゆっくりと告げた言葉に、シモナさんの顔からみるみる血の気が引いていきます。
「そうだよねぇ。家の醜聞を恐れたにしたって、こんなことになるくらいなら事前に対策すべきだろうし」
「屋敷にそんな者がいると分かっていて、婚約者を軽率に招くべきでもないだろう。家名を守るためと言うのなら尚のこと、秘密裏に対応してもらえるよう警騎士に相談すべきだ」
クレイゼア様に続き、閣下も同意を示します。
そう。冷静に考えれば、子猫の言動はおかしなことだらけだったはずなのです。それなのに。
「子猫からどう聞かされたのか、なんとなく想像は付きますわ。『こちらはレニエラの筆跡に違いありませんから、是非鑑定なさって』とでも言われたのでしょう。確かにパッと見た雰囲気は瓜二つですものねぇ、それらの筆跡は」
立ち上がって机を見ると、筆跡鑑定のために提出された手紙の数々が資料に埋もれていました。
それらに加え、念のためなのか、留置局に来た際に受付で書いたわたくしの署名も出されたようですわね。そちらの持ち出しの許可は取ったのでしょうか。
「しかし、子猫は何故それほど自信があったんだ?」
「義母の元嫁ぎ先は商家ですもの。腕利きの代筆屋と繋がりがありますわ。わたくしの字を真似させたのでしょう」
「……なるほどな。筆跡鑑定士もレグリー担当官に言いくるめられたか、金を積まれて請け負ったか」
まぁ……そこに提出されたらしい手紙も、わたくしが書いたものではないのですけれど。留置局での署名も念入りに見なければ酷似しているでしょうし、それ以外は完全に一致して当然ですのよね。
……というのは、今は話さなくていいでしょう。
きっとその筆跡鑑定士も、留置局の担当官達がご依頼なさる方のはずです。とばっちりとも言えるでしょうし、身内贔屓で安請け合いをした己の甘さとも言えるでしょうね。
さぁ、ここまですれば、もう何も言うことはありませんわね。あとは静かに成り行きを見守るだけです。
「シモナ・レグリー」
わたくしが再び椅子に腰かけると同時に、地を這うような声が取調室に響きました。
シモナさんはカタカタと震えながら、縋るような目で閣下を見つめます。
ですが、彼女がしたことは意図的な証拠捏造の手助け。無実の者を罪に陥れるような行為ですもの。担当官としてあるまじき行いですわ。
そんなことをすればどうなるか――。
「警騎士貴人留置塔管理局局長権限により、シモナ・レグリーの身柄を拘束。一旦隔離し、事実確認が取れた場合、即刻警騎士資格を剥奪する」
「っ!?んーっ!んんーーっ!!」
シモナさんは丸い瞳からボロボロと涙をこぼし、髪を振り乱します。そう……桃のような、愛らしいピンク色の髪を。
わたくしに恨みを抱いていたようですから、おおかた子猫に利用されるような不満を、軽率にも外で呟いていたのではないでしょうか。
「極秘の件もある。他の担当官には対応させられん。アウレア、君にシモナ・レグリーの管理を一任する。誰とも接触させず、俺が許可するまで部屋から一歩も出すな」
「はっ!」
「トマーシュは、今、外に控えている担当官も含め、廊下に出ている担当官を全員事務室に入れてから、こいつを最上階へ連れて行け。他の者達にはこの件を隠しておくべきだろう」
「りょうかーい」
塔の最上階には特別な部屋でもあるのでしょうか。わたくしには分かりませんが、トールのことも配慮した上で命じてくださったようですし、閣下にお任せしましょう。
アウレアさんは抵抗するシモナさんに、わたくしと同じ、魔石の付いた手枷を装着します。
クレイゼア様は一度出ていき、暫くして戻ってくると、躊躇いなくシモナさんを肩に担ぎ上げました。そして二人で一礼し、取調室を出ていきました。
取調室に静寂が訪れると、閣下が深く頭を下げました。
「プラーシル伯爵令嬢。重ね重ね、我が局の者が、面目次第もない」
本来この方の身分であれば、王族以外にこうして頭を下げる必要もない方です。それなのに、悪評だらけのわたくしに二度も謝罪をしてくださるなんて。
「同封物は、既に国立鑑定研究局の分析部に回してある。あの局の奴らは結果しか語らん。だが、考えようによっては公正な回答しか来ないから、安心してほしい」
「毒物か否か判断するだけですものね」
「あぁ。筆跡鑑定を行った者には、俺が自ら確認する。シモナ・レグリー含め、担当官達にはつい先日指導したばかりだというのに、このような……!」
指導……というのは、わたくしの取り調べに対してでしょうか?もしかして、それで恨まれておりましたの?
「……どれだけ言葉を尽くしても、他人の考えや心を変えるのは難しいですわ。それに、正義感が強いのは悪いことではありませんもの。……そのせいで視野を狭めてはいけませんが」
えぇ、本当に。どれだけ訴えても変わらないものは変わらない……これまでの人生で、嫌というほど身に染みておりますわ。
「担当官達には再度教育を徹底し、それでも意識の改善が見られなければ、降格や異動の辞令も出すつもりだ。本当にすまない……っ」
閣下の絞り出すような声に、遠い昔に失った他人への期待を感じてしまいました。……今更こんな感情を思い出したくないのですけれどね。
――この方なら、わたくしの願いを叶えてくださるでしょうか。
わたくしが「許す」と言わないからか、閣下は頭を下げ続けたまま。その真摯な対応に、わたくしはつむじを見下ろしながら、ぽつりと呟きます。
「かまいませんわ。こうして弁明の機会があるだけで、わたくしは……。こちらこそ、わたくしの声を聞いてくださって、ありがとうございますわ」
――心からの感謝を。
表情には出さないよう心がけていますけれど、うっかりすると涙を流してしまいそうなほど喜びを噛みしめておりますのよ。
「わたくしのことは、レニエラとお呼びください。ラウラも“プラーシル伯爵令嬢”ですから、紛らわしいでしょう?」
「……レニエラ嬢は腹が立たないのか?こんなふうに、罪を擦り付けられて」
「腹が立つなんて、随分前に捨ててしまいましたわ」
いちいち腹を立てていたら、きっと気が狂って生きていられませんでしたもの。……今が狂っていないのかと聞かれれば、分かりませんけれど。
「君はっ!……いや、今こうして問うべきではないのだろうな」
「そうですわね。閣下なら……わたくしを見付けてくださるのかもしれませんわね」
ですから、手を握りしめないで。そんな気持ちを込めて、わたくしは再び閣下に手を伸ばしました。責任感の強い、逞しい手を労わるように。




