17,消えた令息(side:閣下)
「……はぁ」
「溜息を吐きながらも手は止まらないんだなぁ」
局長室に入ってきたばかりのトマーシュに茶化され、ぎろりと睨み付ける。「おぉ怖っ」と言いながら、そそくさと自身の机へ向かっていく。
「ピリついてるねぇ。今日の面会、そんなに気になるの?」
「……」
その声に、ペンを握る俺の手がぴたりと止まる。
沈黙は肯定と見なすぞと、何度被疑者に言ってきたか分からない俺が、何も言えなかった。
――気にならない、と言えば嘘になるからだ。
あれほど激情を露わにした彼女を見てから、どうしてか胸がざわついて仕方ない。必死に怒りで誤魔化しながらも、悲しみや苦しみを滲ませていた彼女が……頭から離れなかった。
「不愉快です!部屋に戻らせてくださいませ!」
彼女はそう叫んで俺の前を素通りし、控え室を出ていってしまった。急いで面会室に飛び込んだが、カツンと靴を鳴らし、反対側の扉から出ていく薄紫色の髪をした令息の背中が見えただけ。
俺は外にいた担当官に指示を出したあと、書記をしていた担当官へ声をかけた。
「おい、一体何があった?」
「は、はい!それが……」
担当官が清書前の会話記録を差し出してきたため目を通したが……まるで意味が分からなかった。子猫と桃のくだりなぞ、ただの雑談でしかないではないか。
「何かの暗号でしょうか。それにしたって、その……」
「……お前は聞いたまま記録しておけ。主観を混ぜると、正確な記録にならんからな」
「はっ!」
彼女が出ていってしまった以上、ここにいる意味もない。俺は面会室を後にし、局長室へ戻ってきた。
それからずっと、彼女の顔と会話記録が頭をよぎる。仕事に集中していれば忘れられるが、ふと気を緩めるとどうしても思い出してしまう。
彼女を案じる台詞を残した令息。それを振り切るように、彼女はとても心苦しそうな、悲しげな表情を浮かべて出ていった。
まだ彼女を噂通りの令嬢だと信じている者も多く、「恐ろしい」「あんなに声を荒げて」と呟いている者もいた。
きっと、彼女自身がそう思わせたかったのだろう。面会に来た令息の印象を薄れさせるためか、親しい関係と思わせないためか。
恋人ではないと言っていたが、恋人でないなら何なのだと言いたくなるような態度と記録。
――あの男を好いているのだろうか。
と、柄にもなくそんな考えがちらつくのは、彼女が他の令嬢達と違うと思い始めていたからかもしれない。彼女が留置局へ来て、まだ六日目だというのに。
家柄や見た目にも揺るがず、色恋の気配すら感じさせなかった令嬢。噂では男好きだと、そう知っていたはずなんだがな。
局長ともあろう者が絆されるような真似など、情けない。俺は頭を振り、不要な考えを脳の隅に追いやった。
「清書前の会話記録には目を通したけれど……なんだったんだろうね、あの会話。凄くどうでもよさそうな話のあとに、愛の言葉っていうには過激すぎる発言をしたみたいだけど」
「分からん。事件の関係者かと、すぐに後を追わせたが……」
トールという令息は一体何者なのか。 事件に関与しているのか。そう考え、担当官に命じて帰り道を追わせてみた。
すると、どういうわけか――忽然と消えてしまったらしい。
「気付かれて撒かれた……とは違うんだよね?」
「逃げる素振りはなかったらしい。乗合馬車に乗って街に向かい、何食わぬ顔でブティックに入ったそうだからな」
だが、外で見張っていても、令息は中々出て来なかったそうだ。
痺れを切らした担当官が「薄紫色の髪をした令息はいないか」と尋ねてみれば、店員に「そんなお客様はいらしておりませんが?」と言われたらしい。
「……入っていくところを見ていたんだよね?」
「間違いないそうだ」
薄紫色の髪をした、それなりに身長のある令息だ。通り過ぎればすぐに目に付くし、逃亡を懸念して裏口や裏道も押さえていたという。
だが、消えた。
担当官は店内だけでなく、出入口の傍にある手洗い場や、女性店員に同行を頼んで、念のため女性用の化粧室も探したそうだ。だが、結局そんな令息は何処にもいなかった。
「この令息は一体何者なんだ……?」
「令嬢とは随分親しそうだったんだって?でも、捜査資料を見返しても、令嬢が目撃された夜会の参加者には“薄紫色の髪の令息”なんていなかったけれど……。あっ、これ。さっき届いたドレスの鑑定結果と、頼まれていた噂と悪評の詳細をまとめた資料ね」
「早いな。そもそも、薄紫色の髪など……」
「だよねぇ」
この国で薄紫色の髪を持つ代表的な家は、トゥルヴァン侯爵家。トマーシュの家、クレイゼア侯爵家と並ぶ名家だ。
だが、あの家に令息はいない。生まれた子が令嬢ばかりだったため、婿を迎えたと聞いている。……俺も何度か声をかけられ、断り続けた記憶がある。
分家筋も似たような紫の髪をしているが、トールという名前の令息はいないし、今日見た彼よりずっと幼い令息しかいないのだ。
「トゥルヴァンって、かなり厳格な家でしょ?厳しすぎる家が嫌で、先代の弟が屋敷を飛び出したんだっけ。一時は捜索依頼が出されたって、記録に残っていたよねぇ?」
「その後見付かって、今は領地に軟禁されている。仮にその男が逃げ出していたとしても、五十は過ぎているだろう。だから、基本的にはその男もトールにはなり得ない」
その男が恐ろしく若々しい見た目をしていなければ、ではあるが。
ただ面会に来ただけの親しい令息――そう切り離してしまえば、事件には一切関係ない者だ。
だが、何か――
「……いや、待て」
「ん?どうしたの?」
俺は先程届けられた清書済みの会話記録を手に取り、そこで気付いた。
「この男……トールは間違いなく事件の関係者だ」
「え?なんで?」
「令嬢と会話を始めてすぐ、『あの男を花瓶で殴り殺すなんて』と言っている」
トマーシュも気付いたようで、「あっ!」と声を上げた。くそっ。まったく……俺としたことが。
「プラーシル家で殺人があり、誰かが亡くなったことはそれとなく知られているだろう。死亡者がオルドラーク伯爵令息だということも、噂好きの間では広まっているかもしれん。――だが、花瓶で撲殺されたことを知っているのは、プラーシル家の家族と使用人達、あとは――犯人だけだ」
「オルドラーク家に検死結果は……」
「まだ言っていない」
この件に関わった警士、そしてここの担当官でも知っている者は一部のみ。漏らした愚か者がいれば別だが、そうではないとすると、トールは間違いなく事件に関与している。
トマーシュは険しい顔で会話記録を睨み付けた。
「ルド。こうなった以上、彼女にはもう少し強めに尋問すべきだよ」
「……やむを得んな」
彼女は何らかの理由で、この男を庇っているのか?だが、使用人達の証言は“彼女自身がオルドラーク伯爵令息を花瓶で殴り殺した”だ。
想い人から「まもなく義姉と結婚する」と聞かされた令嬢の、愚かな嫉妬心による殺害。勢い余っての浅はかな犯行。
それなら協力者がいるはずもない。何かを、誰かを庇う必要も。
だが、先程トマーシュから渡されたドレスの鑑定結果。それを見る限り、令嬢が犯人の可能性は低くなった。これまでの捜査で得た情報だけでは、動機らしい動機がありそうなのは彼女だけだというのに。
「なんだ?なんなんだ、この事件は……」
俺がそう呟いた時、局長室の扉がノックされた。すかさずトマーシュが応対に出る。
入口で何やら話していたトマーシュだが、一人の担当官を伴って俺の前に戻ってきた。その顔は、さっきよりも更に険しい。
「お話がございますわ、閣下」
そんなトマーシュの後ろから現れた担当官は、鼻につく香りをまとい、勝ち誇ったような表情で俺にそう言った。




