第71話:邂逅
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宿を出て、通りを二つ曲がったところで、シノンが足を止めた。
「クラウンさん。やっぱり、おかしいです」
「分かってる」
「護衛を送るなら、襲撃の前に送るはずです。四度も襲われてから急に、というのは」
「だから、見張る」
クラウンは懐から、顔の上半分を覆う黒い仮面を取り出した。
シノンが小さく目を見開き、すぐに頷く。
「ここの屋根なら、宿の入口も庭も見渡せます」
「兵が来る前に上がろう」
日が傾き始めていた。
二人は人目を避け、向かいの建物の屋根へと身を伏せた。
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夕暮れの通りに、蹄と軍靴の音が響いた。
現れたのは、十人ほどの兵だった。皇国の紋章をつけた鎧に、揃いの槍。そしてその先頭を歩く者だけが、顔の上半分を覆う仮面をつけていた。
細身だった。腰には、飾り気のない一振りの刀を佩いている。
「あれが、指揮ですか」
シノンが囁く。
「いや……兵たちの様子が妙だ」
クラウンは目を細めた。
兵たちは、先頭の者から半歩、距離を置いている。命令を待つ者の距離ではない。巻き込まれまいとする者の距離だった。
「捨て駒、ですか」
「かもしれない」
仮面の者は、宿の門前で足を止め、周囲をぐるりと見渡した。
その視線が、一瞬、屋根の上をなぞったような気がして、クラウンは息を止めた。
だが、それだけだった。
仮面の者は何も言わずに門をくぐり、兵たちは宿の四方へ散っていく。
日が、落ちた。
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最初の悲鳴は、庭の方から上がった。
「来た」
シノンが身を起こす。
闇の中から、人影が湧き出していた。一人、二人、三人。いや、それ以上だ。
足音がしない。にもかかわらず、人間離れした速さで庭を横切り、兵の列へと食い込んでいく。見張りに立っていた兵が、悲鳴を上げる間もなく倒れた。
「強い……!」
身体のあちこちが、不自然に膨らんでいる。腕が異様に長い者もいれば、背に妙な突起を生やした者もいた。人の手で、人であることを削られた者たちだ。
兵たちの槍が折られ、鎧が裂かれていく。
ただ、いつもと違って見えた。
いつもの彼らなら最短で貴族のもとへ向かって来ていたが、今宵の敵は違う。
一人一人護衛へと視線を向け、何かを確認しているように見えた。
「……!?」
仮面の騎士を見た途端、彼らの動きは変化した。
たった今刃を重ねた相手を放置し、死に物狂いで仮面の騎士へ刃を振るう。
「行こう、シノン」
「はい」
クラウンは仮面を着け、屋根の縁を蹴った。
着地と同時に、一体の首筋へ剣を叩き込む。
硬い。骨の下に何かが入っている。それでも刃を押し込み、横へ振り抜いて、騎士崩れを地へ沈めた。
「新手だ!」
誰かが叫んだ。
視界の端で、シノンが短剣を翻し、別の騎士崩れの膝を断つのが見えた。
庭の中央では、仮面の者が三体に囲まれていた。
速い。
抜き放たれた刀は、細く、鋭く、迷いがなかった。一体の腕を斬り落とし、返す刃でもう一体の脇腹を裂く。血の代わりに、黒く濁った液が飛び散る。
三体目の頭上へ飛び込んだクラウンが、その首を落とした。
最後の一体が地に伏したとき、庭には静寂が戻っていた。
兵はほとんど動かない。生き残っているのは数人だけだった。
クラウンは剣を下げ、息を整えた。
その瞬間、風が動いた。
咄嗟に剣で受ける。重い衝撃が、腕の骨まで響いた。
刀を握った仮面の者が、目の前にいた。
「……アナタも、あれらの仲間」
低く、抑えた声だった。
違う、と言いかけて、クラウンは言葉を呑んだ。
名乗れば、すべてが崩れる。革命軍の自分がここにいるという事実も、貴族のことも。
黙って、距離を取る。
「答えぬか」
仮面の者が踏み込んだ。
一撃、二撃、三撃。休む間もない連撃だった。刀身が月明かりを裂き、切っ先がクラウンの頬をかすめる。
重い。そして、速い。
それでいて、なぜか――どこか、懐かしい。
受ける、流す、踏み込む。身体が、この剣戟を覚えている。
そこへ、さらに一歩、深く踏み込まれた。
来る。
未来視が、視界に重なる。刃の軌道、肩の揺れ、その先の一閃。すべてが、一瞬先に見えた。
クラウンは、その軌道へ先に剣を置いた。
甲高い音とともに刀を弾き、返す刃の切っ先が、仮面の縁を捉える。
乾いた音がして、仮面にひびが走り、真っ二つに割れて地面へ落ちた。
露わになった顔を見て、クラウンは息を止めた。
長い髪。強く、深く、暗い――凍てついた光を宿した瞳。
見間違えるはずもなかった。
ルミだった。
村で、同じ道を駆け、同じ木の下で剣を振っていた。誰より負けず嫌いで、誰より早く刃を握った、幼馴染。
なぜ、ここに。なぜ、騎士の鎧を。なぜ、あの刀を。
頭の中が白く塗り潰されていく。
それでも声は出なかった。喉の奥で、言葉が、すべて凍りついていた。
「もう大丈夫です! 逃げましょう!」
シノンが声を上げた。
静寂を切り裂くように響いたシノンの叫びが、思考を失っていたクラウンを冷酷な現実へと引き戻した。
目の前に立つルミもまた、微かに唇を震わせ、何かを言いかけるようにクラウンを見つめている。
駆け寄るシノンの足音、背後から迫る追手の気配、そして何より、目の前の幼馴染が放つ圧倒的な違和感――。
「なぜ」という無数の疑問が濁流のように押し寄せ、胸が引き裂かれそうになる。しかし、今ここで足を止めれば全員が全滅する。
クラウンは張り裂けそうな自らの心を力任せに押し殺し、ルミから視線を外すと、踵を返して夜闇の向こうへと駆け出した。
ルミの目が、大きく見開かれた。
「待って!今のは――」
伸ばしかけた手の先で、彼の背中はすでに深い闇の奥へと消えていた。
――読まれた?
その事実を脳が認識した瞬間、ルミの背筋に冷たい戦慄が走った。
初撃の踏み込みも、肩の揺れも、返しの軌道も。自分の放った一連の連撃は、すべてその先を予測され、あらかじめそこに剣を置かれていた。まるで、自分の行動が初めから視えているかのように。
(……未来視)
その単語が脳裏をよぎり、ルミは激しい拒絶とともに歯を食いしばった。
まさか。いや、そんなことはありえない。ルミの知る限り、その絶対的な奇跡の力を扱える人間は、世界にたった一人しか存在しないはずだ。
「クラウン……」
震える唇から、無意識のうちに一人の少年の名がこぼれ落ちる。ふと、凍てついた記憶の底から、あの懐かしい笑顔が鮮明に浮かび上がった。
――違う。
彼は死んだのだ。
クラウンは、もうこの世界にはいない。
あの日、自分の目の前で――確かに失われたはずの命だ。
ルミは強く一度だけ瞬きをし、脳裏にへばりつく幻影を無理やり振り払った。
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