第70話:悪意たるや
執務室の机に、書類が散らばっていた。
イザナの笑顔が、まだ頭から離れない。「近いうちに、成果をお聞かせくださいませ」。
あれは齢10歳の子供が出していい声音ではなかった。
単なる偶然か、はたまた悪魔の類いか。
判断がつかないまま、目の前の問題が大きすぎて放棄せざるを得なかった。
「……どうする」
ローレンは爪を噛んだ。
皇女が名簿の二人に会ったというなら、嘘であることなど、とうに見抜かれているのだろう。
ならば、嘘を本当にするしかない。
視線が、名簿の一番上で止まった。
ルミ。皇女が自ら選んだ、唯一の騎士。
身内ではない手駒が一人いるだけで、こうも身動きがとれないとは考えてもいなかった。
閑職に追いやれば皇女が黙っておらず、変に功績を与えれば元老がうるさい。
「……くっ。容易く引き受けすぎた。せめて死んでくれさえすれば――その手があったか!」
口の端が、引きつったように歪む。
皇女からあずかった騎士を死なせたとなれば問題にもなろう。
しかし、皇女自ら望んで前線へ送り出すように領にまで足を運んだとなれば、誰も文句は言えまい。
「ふっふふ。そういえば、ちょうどいいところに襲われている貴族がいるではないか」
旧皇主派の貴族が、革命軍らしき正体不明の輩に襲われているとくれば、護衛の兵を送る大義としては、これ以上ないほど筋が通っている。
革命軍討伐隊の名の下にルミを派遣しさえすれば――
「流石の革命軍も、国が正式に部隊を派遣するところに留まりはしまい。本物の革命軍さえいなければ、騎士崩れどもが、あの貴族も護衛共々まとめて片づけてくれよう。問題は、フレデリック殿に頼まれた旧皇主派とあのムカつく小娘のペットは始末できるが、肝心の革命軍の始末ができないということか。まぁよい。旧皇主派をやれば、革命軍は何かしらアクションを起こすであろう。その時、ゆっくり始末すればよい」
ローレンは筆を取り、手紙をしたためた。
〝モルドール殿へ。貴殿は革命軍に襲撃を受けたと聞き及んでいる由、討伐隊より、自領へ戻られるまでの間、護衛の兵を派遣する〟
封をして、呼びつけた使者に手渡す。
「それと、ルミを呼べ。それから――」
使者が下がったあと、ローレンは机の引き出しから、細長い桐の箱を取り出した。
博士から預かった刀。見た目はただの業物だが、中に仕掛けがあるという騎士崩れどもと同じ武具。
騎士崩れどもにはあとで言いつけておけば良い、同じ武具を持つ者を殺せと。
つまり、この刀は目印だ。
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執務室の扉が叩かれ、ルミが入ってきた。
右手を胸に当て、直立する。待機を命じられていた数日の間、不満の色ひとつ見せなかった顔だ。
「お召しにより、参りました」
「待たせたな。貴殿に任務がある」
ローレンは努めて穏やかな声を作り、事情を語った。旧皇主派の貴族が革命軍に襲われた。討伐隊として護衛の兵を派遣する。その先頭に、皇女殿下の騎士である貴殿を立たせたい、と。
ルミは黙って聞いていた。
待機を命じ、名簿すら伏せていた男が、手のひらを返したように前線を命じる。しかも、よりによって襲撃の続く貴族のもとへ。
――罠だ。
それは、考えるまでもなかった。
「……謹んで、拝命いたします」
「うむ。それと、これを持っていけ」
ローレンは机の上の桐の箱を押しやった。蓋を開けると、一振りの刀が納められていた。
「皇女殿下の騎士に、無手で行かせるわけにもいくまい。討伐隊からの餞別だ」
ルミは刀を手に取り、鞘から指一本分だけ引き抜いた。
名のある業物ではない。ただ、刀身の根元に、不自然な継ぎ目がある。
持たせたがる理由があるのだろう。そして、その理由はおそらく、自分のためではない。
「ありがたく、頂戴いたします」
刀を腰に佩き、再び頭を下げる。
その伏せた顔に何が浮かんでいたのか、ローレンには見えなかった。
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「ここを離れろとはどういうことですか!」
クラウンは、相変わらず書類に囲まれた老貴族に言い放った。
「言ったとおりだ。今すぐ離れろ。式典も終わった。もうこの皇都に用はない。お前たちはお役御免だ」
「何を言っているんですか!あれだけ襲撃されて、帰れるわけないじゃないですか!せめて自領へ戻られるまでは――」
窓から吹き込んだ風が、机の上の一通の手紙をさらい、シノンの足元へ落とす。
シノンは拾い上げ、目を走らせた。
〝モルドール殿へ。貴殿は革命軍に襲撃を受けたと聞き及んでいる由、討伐隊より、自領へ戻られるまでの間、護衛の兵を派遣する――〟
「これは」
「見てのとおりだ。護衛が来る。だからお役御免だと言っている」
「そんなわけないでしょう!明らかにこれは、僕たちを追い払うための――」
「やめんか」
老貴族は一言で遮った。
椅子に深く腰掛けたまま、窓の外へ目を向ける。街頭ビジョンの電子音が、遠くで鳴っていた。
「相手は国の兵だ。儂が断れば、こちらが疑われる。……それとも貴様は、この老いぼれのために、国と事を構える気か」
クラウンは唇を噛んだ。
言い返す言葉が見つからなかった。革命軍の自分たちが、ここで居座れば、貴族の立場を悪くする。それも事実だった。
「行け」
「……失礼しました」
「世話になったな」
老貴族は、それきり二人を見なかった。
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