第65話:モルドール・ヘッケラー
書類に記されていたのは、落ち合う場所だけだった。貴族の居場所については、一行も書かれていない。
クラウンとシノンが指定の場所へ着くと、そこには貴族の護衛の一人が待っていた。男は名乗りもそこそこに二人を先導し、日程どおり皇国へ入ると、街の一角にある宿屋へと案内した。
貴族が滞在する宿と聞いて身構えていたクラウンだったが、そこにあったのは、手入れこそ行き届いているものの、飾り気のない質実な造りの宿だった。ただ、やけに静かだった。入口にも廊下にも、見張りの姿がほとんどない。
「……護衛が必要な人にしては、人が少なすぎませんか」
小声で呟くクラウンに、半歩後ろを歩くシノンが視線だけを周囲に走らせた。
「はい。僕もそう思っていました。何があったんでしょうか」
出迎えたのは、疲れの色を隠しきれない年配の使用人だった。彼に案内され、クラウンとシノンは宿の上階、重厚な扉の前に通される。
扉の向こうは、宿の一室とは思えないほど、書物と書類に埋もれていた。
窓際の椅子に深く腰掛けていた老貴族は、入ってきた二人を一瞥するなり、眉間の皺をいっそう深くした。
「革命軍からは、手練れを寄越すと聞いておったのだがな。随分と若いのが来たものだ」
「革命軍のクラウンです。こちらはシノン。ヴェーラさんの代理で、護衛の任に参りました」
クラウンが頭を下げると、老貴族は鼻を鳴らし、顎で向かいの椅子を示した。
「儂はモルドール・ヘッケラーだ。まあ、座れ。話すことが山ほどある」
二人が腰を下ろすのを待って、老貴族は組んだ指に視線を落とした。
「単刀直入に言おう。近頃、貴族ばかりが続けて殺されておる。ここ数ヶ月で、すでに四人だ」
「暗殺、ということですか?」
「そうだ。しかも手際が妙でな。屋敷の警備が最も手薄になる夜を、正確に狙ってくる」
老貴族は、そこで一度言葉を切った。
「儂のところにも来た。十日ほど前の夜だ」
クラウンとシノンが同時に息を呑む。老貴族は表情を変えぬまま続けた。
「儂が飼っておる私兵は、そこらの騎士にも劣らん連中だった。だが、その大半がやられた。生き残ったのは、先ほど入口で見たであろう、使えるかも怪しい数人だけだ」
「……ご当主ご本人は、ご無事だったんですね」
「たまたまだ。最後の護衛が、刺客と刺し違えてくれたのでな」
その言葉に、室内の空気がわずかに重くなった。老貴族は机の上の書類を、無造作にクラウンの方へ滑らせる。
「その相打ちになった刺客の身元を、こちらで洗わせた。……分かったことは二つ。一つは、あやつが騎士見習いだったことだ。それも、ついぞ騎士になれなかった類のな」
「騎士に、なれなかった……?」
「試験に落ち続けたのか、素行に問題があったのか、そこまでは知らん。ともかく、行き場のない騎士崩れだ。そういう人間を、誰かが拾い集めておるらしい」
書類には、検屍の記録らしき走り書きが並んでいた。クラウンは文字を追いながら、その一行で視線を止める。
「身体に、改造の痕跡あり……?」
「うむ。骨も筋も、人の手でいじられた痕があった。あれほどの腕の護衛を数人まとめて仕留められたのは、そのせいだろう。人間のやることではないわ」
老貴族は吐き捨てるように言い、さらに続けた。
「もう一つ。刺客が持っていた武具だ。見たこともない代物でな。刀身が二つに割れて伸びる剣だの、柄に妙な仕掛けを仕込んだ短剣だの、およそ騎士の使うものではない。珍妙としか言いようがない」
「それは、どこで作られたものなんでしょうか」
「改造も、武具も、同じ人物の仕業だと見ておる。……アクイ博士という女だ」
その名を聞いた瞬間、クラウンは思わず息を呑み、隣のシノンを見た。シノンもまた、顔を強張らせたまま、小さく唇を噛んでいた。
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