第62話:誰かの背中
グローブの兵士が、動きを封じられたクラウンへ追撃の拳を引き絞る。
その脇腹めがけて、影が滑り込んだ。
ミロットだった。拳とは逆側、粘着物の広がっていない胴体へ一撃が入る。兵士の体が折れるように吹き飛び、壁に叩きつけられて動かなくなった。
拘束されたままのクラウンは、荒い息を吐きながら顔を上げる。
「やっぱり複数相手にはその武器は使えないわね。実装はまだまだ遠そうね」
アクイ博士が、興味なさげに呟いた。
その時、ガラス張りの部屋も培養槽も、施設全体が低く唸りを上げた。
天井の照明が赤に切り替わり、耳障りなサイレンが鳴り響く。
『自壊装置、作動を確認しました。退避可能時間は残り――』
無機質な音声が、カウントダウンを読み上げ始めた。
「自爆……?」
眉をひそめた博士が、ほんの一瞬だけ考え込み、やがて小さく息を吐いた。
「どうやらミネルバが余計な事をしたみたいね。どうせとぼけるんでしょうけど」
博士は白衣の裾を翻し、背を向ける。
「私は研究データをまとめてくるわ。あなたたちも、もう戻りなさい」
その言葉に、残った鞭の兵士たちが得物を下ろし、博士の後に続いて闇の奥へと消えていった。
クラウンの腕に絡みついていた粘着物を、ノッチが力任せに引き剥がす。
「立てるか、クラウン。時間がねぇ。すぐに出るぞ」
「はい……!」
シノンがカミラさんを背負う。カウントダウンの声が、容赦なく響き続けていた。
一行がストックルームを飛び出し、培養槽の並ぶ区画へ駆け戻った、その時だった。
ぴし、と硬い音が響いた。
薄緑色の液体を湛えた培養槽のガラスに、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。自爆の余波か、それとも別の仕掛けか。次々と割れたガラスの向こうから、液体とともに人型の何かが床へ崩れ落ちてきた。
「チッ、こんな時に……!」
ノッチが舌打ちする。来た道は、既にそれらで塞がれつつあった。
その中の一体が、ゆらりと立ち上がる。
緩慢な動きのはずだった。だが、その体重の乗せ方に、クラウンはふと引っかかりを覚えた。
――どこかで、見たことがある気がする。
誰の動きだったのかは思い出せない。ただ、遠い昔に誰かの背中を見上げていた記憶が、ちらりと掠めた。
「……?」
首を傾げるクラウンに、人型がゆっくりと顔を向ける。
クラウンの足が、無意識に止まった。
「クラウン、何してる!」
ノッチの怒声が飛ぶ。
人型が、緩慢な動きで腕を伸ばしてくる。クラウンは動けなかった。
「構うな!」
叫ぶと同時に、ノッチが床を蹴った。拳が人型の胸元に叩き込まれ、その体が大きく仰け反る。
「急いで」
ミロットが短くそう告げ、同時に脇から足を払った。体勢を崩した人型が、他の個体を巻き込みながら床へ倒れ込む。
塞がれかけていた道に、一筋の隙間が開いた。
「今だ、走れ! こっちに、研究員専用の出口がある! 正面まで戻る余裕はねぇ!」
その声に弾かれるように、クラウンも駆け出した。カミラさんを背負ったシノンも、その後に続く。
ミロットとノッチが切り開いた道を、倒れた人型の間を縫って必死に追う。振り返る余裕もなく、研究員専用の出口へ続く階段を一段飛ばしで駆け上がる。
カウントダウンの声が、背中を追いかけてくる。
『残り、三十秒――』
先頭の二人は既に階段を上りきり、シノンの背も外の光に溶けていく。
「クラウン、急げ!」
あと数段。その時、足元が悲鳴を上げた。
亀裂が走り、踏みしめた段ごと崩れ落ちる。
「――っ!」
体が宙に投げ出された。伸ばした手は空を掻き、暗い底が口を開ける。
その手を、誰かが掴んだ。
見上げた先にいたのは、あの人型だった。ノッチたちに倒されたはずの、見覚えのある動きをした個体が、崩れかけた段差の縁でクラウンの腕を掴んでいる。
「どうして……」
人型は答えない。ただ、掴んだ腕に力がこもった。
『残り、五秒――』
カウントダウンが迫る。
人型は、クラウンを引き上げると、光の方へ向けて渾身の力で放り投げた。
クラウンの体が、出口へ向かって宙を舞う。
「待って、あなたも――!」
地面に転がり込んだ直後、背後で轟音が炸裂した。
黒煙が立ち上り、再び中へ戻るどころか、近づくことすら困難な有様だった。咄嗟に伸ばしたクラウンの手が、力なく垂れる。
「何かあったのか?クラウン」
背後に立ったノッチが、優しく声をかけた。
「いえ、何でもないです」
「なら行くぞ。ここも危ない」
クラウンたちはその場を後にし、アジトへと向かった。
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