第60話:力の差
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クラウンは階段を探す道中、レックスが言った言葉に一抹の不安を感じていた。
『ミロットは、お前らより先にあの世で待ってるぜ!』
あの言葉から察するに、ミロットは既に――
そんな考えが過るが、クラウンはすぐにやめ急ぎ切り替える。
今は、そんなことを考えても仕方がない。
今は、カミラを助けることだけ考えよう。
静寂が続く空間の中にいると、ついついネガティブなことばかり考えてしまう。
いつもならこういう時ノッチが何か他愛のない会話をして和ませるのだろうが――
「あの、レックスさんはどうなったと思いますか?」
静寂に耐えかねたのか、沈黙を破ったのはシノンだった。
「そうだな。おそらくは、まだこの研究所の何処かには居るんだろうが、どのみち奴は潰しておく必要があるな。奴が盗んだ情報がどんな物だったかは知る由もねぇが、さすがに本部の情報は看過できん。」
「そう、ですよね」
歯切れの悪い返事をするシノン。
シノン自身も脅されていたとはいえ、今回の件で思うところがあるのだろう。
「まぁ安心しろ。奴が盗んだ情報はまだ皇国には知られてねぇよ。おそらく奴はアクイ博士の手の者じゃねぇ。ああいう手合いは依頼主にしか情報を吐かねぇからな」
足音が響いた。
正面から、トントンという警戒した足取りにはほど遠い足音が。
警戒する一行であったが、シノンだけは何やら気がついたように顔を少し強張らせていた。
「そうなんだよ!俺様もそろそろ依頼主に会いに行って情報を吐いちまいたい所なんだがここから出させてくれなくてねぇ。困っているんだよ」
聞き覚えのある声だった。
上から目線でこちらを嘲笑うかのような不快な声色は忘れもしない。
誰なのか、確かめるまでもなかった。
薄暗い通路の奥からゆっくりと姿を現したのは、この場にあまりにも不釣り合いな出で立ちの男だった。つばの広いカウボーイハットを目深に被り、革のロングコートを羽織り、腰には拳銃を収めた装飾過剰なホルスターを下げている。研究所の無機質な廊下には、あまりにもちぐはぐな格好だった。
「レックス!」
鋭い声で名を呼んだのはシノンだった。悪びれる様子もなく歩み寄ってくる男に、思わず身構える。
「敬意が足りないな。敬称ぐらいつけたらどうだ?」
レックスが向ける生き生きとした今まさに愉悦を得た男の目がシノンを捕らえてそう告げた。
悪意は感じない。
それ故にひしひしとシノンから感じる怒りのボルテージは、出会って日が浅いクラウンが確かに感じるほどであった。
「さっきの出られなくてどういうことですか!」
怒りのあまり押し黙ったシノンの代わりに、クラウンが問いを投げた。
「どういうって、ミロットがなかなか捕まらなくて難儀してるって話に決まってるだろ?」
クラウンの問いの意味するところが理解できなかったのか、レックスはポカンと頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
しかし、不意に出たレックスの言葉は、クラウンからすればまさに僥倖というべきものであった。
「ミロットさんは、生きているんですか!」
死んだ。頭では受け入れていなくてもそう聞かされた以上どこかで疑心暗鬼になっていたクラウンにとってはこれ以上ない瞬間でもあった。
しばしの困惑ののち、レックスはようやく状況を理解した瞬間吹き出した。
「あ?何だよ、お前ら!まさか俺様の言葉に踊らされてるとも知らずに乗り込んできたのか?ファッファッファッ!何だよてっきり俺様は、そっちのスパイから情報流されたのかと思ったらとんだ勘違いだぜ!まったく、よくそんなんで乗り込んできたな。お前らそんなんだから俺様に情報盗まれるんだよ!」
「その割には焦っているじゃねぇか。」
ノッチが口の端をわずかに歪め、静かに切り返す。
「そうでもないさ!」
「そうか?中央棟の防壁が降りていたことと関係があるんじゃねぇか?お前の言葉から察するに、ミロットを捕まえるどころか居場所すら未だに掴めていない。だから逃さないように中央棟の防壁が降りていた。違うか?」
「……。」
「図星か?ってこたぁ、分はこっちの方がありそうだな。なんせ、頼みの防壁は崩壊し、俺等を侵入させた上に情報はまだお前にしか知らねぇときた。だったら、そいつもそろそろ潮時なんじゃねぇか?情報はナマモノだ。一分一秒ごとに価値も意味も変わっていく。生命線のはずのそれを、お前が理解してねぇわけがない。場合によっちゃあ腐食してお前自身を殺すぞ。」
口調こそ穏やかであったが、その内容は鋭く相手を貫いた。
自分自身のためというより、クラウンとシノンが気圧されないようにあえてつよい言い分を使ったように思えた。
「あららぁ察しが良いのも考えもんだぜ。お前の言うとおり、特に俺みたいな雇われの身としては変に依頼主に不審に思われることは避けたくてな。場合によっちゃあこっちがつけ狙われるんでね」
そう言いながら、レックスは芝居がかった仕草で肩をすくめた。
その、いかにも余裕を装った仕草こそが合図だった。翻ったコートの裾に隠れ、腰のホルスターから抜き放たれた手が一閃する。
クラウンが気づいた時にはもう遅かった。
「危ないっ」
叫んだのはノッチだった。地を蹴り、クラウンの前に割り込む。
小さな金属音とともに、ノッチの右肩に細い針が突き立った。
「ノッチさん!」
「大した事ねぇ……ってのは、さすがに嘘か」
強がる声の端が、微かに震えていた。毒針――しかもかなり効きの速いものらしい。ノッチの膝が、僅かに崩れる。
「チッ、勘のいい男は嫌いだねぇ。だがまぁ、これで――」
レックスの手が、既にホルスターへと戻っていた。小型化した拵えの分だけ弾数はさして多くないのだろう。だが、それを補って余りあるほどの速さで次弾を装填し直す。指先の動きに迷いは欠片もない。
――ならば、さっきまでの間延びした軽口も、時間稼ぎだったということか。
気づいた時にはもう、狙いは定まっていた。崩れかけたノッチの喉元へと。
殺る気だ。
クラウンの視界が、一瞬白く染まった。
――未来を、視る。
放たれる軌道が、脳裏に映し出される。だがいつもより、映像が霞んでいた。焦りのせいか、それとも毒の気配に呑まれかけているせいか、いつものようにすんなりとは像を結ばない。
「くっ……!」
僅かに遅れて反応したクラウンは、体を割り込ませることしかできなかった。針が肩を掠め、鋭い痛みが走る。
「はっ、思ったより粘るじゃねぇか。だがなぁ――」
レックスが二撃目を放とうとした、その時。
ふと、その視線が通路の奥へと泳いだ。踏み込みが、さっきより一拍早い。
その一瞬の乱れ――生まれた隙を、ノッチは見逃さなかった。
毒に蝕まれた身体を無理やり動かし、左腕――さっき一度も動かさなかったはずの腕を振るう。骨が軋むような鈍い音とともに、拳がレックスの脇腹に食い込んだ。
「が、ッ……!?」
レックスの体が大きくよろめく。武器を取り落とし、片膝をつく。
好機だと、クラウンは踏み込んだ。
肩の痛みを堪えながら振り抜いた一撃が、レックスの肩を捉える。乾いた音とともに、レックスの体が壁に叩きつけられた。
「……っ、あ……待て、待ってくれ……!」
崩れ落ちたレックスが、両手を上げて後ずさる。
「殺さねぇでくれ……! 俺は、ただ雇われてただけなんだ……!」
その声には、先ほどまでの余裕は欠片も残っていなかった。
クラウンの手が、一瞬止まった。
――瞳に余裕はなく、恐怖を宿らせ情けなく声を震わせる。
まるでこちらが加害者であるかのようなその体たらくに、指先が強張り硬直した。
村を失って間もないクラウンにはあまりにかつての光景とリンクし過ぎていた。
しかし、レックスの瞳はクラウンの目はおろか顔すら捉えていなかった。
その目線が捉えたのはただ一点――クラウンの得物だった。
やられた!
そう気がついた時には、時既に遅く
「ザコが! 一瞬躊躇ったな!」
次の瞬間、レックスの声色が一変した。
しゃがみ込んだ体勢のまま、レックスは足元に落ちていた小さな筒状の物を握り込み、床に叩きつける。
白煙が、視界を一気に塗り潰した。
「クラウン、シノン、動くな!」
ノッチの声が響くが、煙の中で足音が遠ざかっていくのが分かった。
クラウンは振り向きざまに声を上げた。
「なぜですか! ここで逃がしたら――」
「『お前らは』深追いするな。あの手の輩は、逃げ足だけは一流だ」
どこか安堵したような声音でノッチが言い終えた、その直後だった。
風雷が駆け抜けた。
けして触れぬ風のように、それでいて迅雷の如く目にも留まらぬスピードが横を抜け頬がバチバチと刺激した。
白煙が晴れた時には、目の前にいたはずのレックスの姿はどこにもなかった。
数メートル先、崩れかけた瓦礫の傍らに、ミロットが静かに立っている。
振り抜かれた右手が、一度だけ弧を描いた。
それだけで、レックスの体は糸の切れた人形のように、力なく地に崩れ落ちた。
普段の彼女が見せることのない暗殺者としての後ろ姿を見た。
スイレンが憧れ、挫折させられたその一端をクラウンもまたまざまざと痛感させられる。
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