第58話:猫を噛む
まるで走馬灯のようにクラウンの脳裏を過去が駆け巡った。
「順序が変わってしまったけれどいいわ。結果は変わらないもの」
為す術なく蹂躙される。
それは、想像を絶する絶望だ。
鍛え上げてきた技も、血が滲むような努力も全てが無駄であったと思い知らされる、実に空虚な時間を突きつけられる。
誰かの役に立ちたい。
英雄になりたい。
そして、国一番と噂される街娘と恋仲になって。
純粋な憧れから始まった想いは、日に日に成長する肉体と共に邪な欲望まで増すようになった。
皇都へたどり着く前に鼻っ柱を叩き折られ、現実を見せつけられ想いは英雄から救世へと変化した。
例え英雄になれずとも、この国を救う!
そんな想いを掲げ走ってきたクラウンは、未だに、誰も救えていない。
ここで終わるのか?
そんな考えが過るとヘインドルの言葉がフラッシュバックした。
『恥を知りなさい。刃はあなたの信念そのものです。』
敵として向かい合ってなおも、剣士としての教示を説いた男の言葉。
『あなたが勝利を諦めれば、あなたを護り突き進む愛刀もまた勝利の機を失うのです。握った刃に己の誇りを乗せなさい。乗せた誇りを守りたいのであれば、敗北を許すな。勝利に貪欲に、誰よりも己を信じ、刃を振るえ!それが剣士です』
そうだ。僕は、まだ負けていない。
信念に生き、ひたすら強さだけを求めた男が、愛のために誇りも何もかも捨ててなお刀を振り続けたというのに、何も失っていない自分がどうして刀を折る事が許される。
クラウンは己に言い聞かせ、歯を食いしばり刀を握り締める。
「うわぁぁぁ!」
恐怖を雄叫びで黙らせ、刀を振るう。
右アーム、胴体、と何振り構わず振るう。
その度金属音が響き、クラウンの手は反動で骨にまで響く衝撃が伝わり痺れる。
「フッフフ。可愛いわね。無駄な足掻きというのは」
ガタッ!
「何?」
装甲の連結部分がガタつく。
「そう?なりふり構わずと見せかけてチャッカリ装甲の弱い部分狙っていたのね。可愛くないわね!」
ミネルバは操縦席の画面に表示された損傷部分を確認すると、ギロリとクラウンへ視線を向け声を荒げる。
その怒気を纏った視線だけで、空気が張り詰めるのが分かった。ミネルバの巨腕が、唸りを上げながら振りかぶられる。
「うぅ!」
避ける間もなく、拳がクラウンの脇腹を捉えた。衝撃とともに視界が反転し、宙を舞う。
クラウンを壁まで吹き飛ばす。
吹き飛ばされたクラウンは誰かに受け止められる。
柔らかくはないが、確かな温もりと力強さを感じる腕だった。
「大丈夫か?クラウン」
朦朧とする意識の中、クラウンが自分を受け止めた男を見上げる。
すると――
「ノッチ、さん?」
「ああ、わりぃな。助けるのが遅れた。後は休んでいてくれ。あれは、俺が片付ける」
そこにいたのはいつものノッチではなかった。
いつもの胡散臭いゴーグルも、本人曰くチャームポイントの出っ歯もない。だらしなく着崩していた白衣の襟元は正され、猫背気味だった立ち姿はいつの間にか真っ直ぐに伸びている。
クラウンを優しく床へ下ろした男は、ゆっくりと立ち上がった。
纏う空気そのものが違う。軽薄さも、おどけた響きも、その背中からは欠片も感じられなかった。
あれほど散々見てきた滑稽なノッチの面影は、もうどこにもない。
まるで、別人だった。
「あら……あら、あら? まさか、その顔――」
目を丸くさせ、言葉を詰まらせたミネルバの表情はどこか嬉しそうであった。
「そうよ!そのアナタに会いたかったわ!」
「ミネルバ。残念ながら俺は会いたくなかったがな。」
「もうっ!相変わらずイケずね!でもいいわ!生物実験と調教は私の専門ですもの!ワタシだけのものにしてあげるわぁ!」
「遠慮願うぜ!」
振り下ろされた右アームに、拳を一つ叩き込んだ。金属の悲鳴とともにアームが根元から捻じ切れ、勢いのまま宙を舞う。
ノッチはそのまま踏み込むと、機体の胸部めがけて跳び上がった。狙いは操縦席を守る装甲、ただ一点。
拳が触れた瞬間、装甲は紙のように陥没し、次の瞬間には粉々に砕け散った。
剥き出しになった操縦席の中で、ミネルバの顔が初めて、はっきりとクラウンたちの目の前に晒される。
「なぜ、中央棟への入り口が閉まってやがる?」
「久しぶりに対面した部下への問いがそれ?相変わらず女心は――」
言い終わる前に、拳がミネルバの鼻先で寸止めされる。
「わりぃな。気は長くないんだ」
「知らないわよ。あの女の一存で勝手に閉鎖したんだから」
「チッ」
舌打ちとともに拳を下ろす男に、ミネルバは口の端を吊り上げた。
「それよりいいのかしら?アソコにいるボロ雑巾は、崩落は回避できるのかしら!」
ミネルバは隠し持っていたスイッチを押す。
鈍い起動音とともに、天井の一角が赤く点滅した。
「まさか――!」
ノッチの叫びが響いた直後、耳をつんざく爆発音とともに天井が崩れ落ちた。降り注ぐ瓦礫は雪崩のように押し寄せ、閉ざされていた中央棟への扉ごと壁を巻き込み、瞬く間に瓦礫の山へと変えた。
「シノン、クラウン!」
ノッチは素早く二人のもとへ滑り込むと、その広い背中で降り注ぐ瓦礫から二人を庇った。
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