第56話:ミネルバ
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逃げも隠れもせず最速でただ目的地へ駆けるクラウンとノッチ、すれ違う研究員らしく人物が時折「副局長?」やら「ノッチさん?」などと漏らす素振りを見せたことからも彼がここの元研究員であることはどうやら事実なのだろうとクラウンは密かに納得していた。
「ノッチさんなぜ隠し通路なんかを?」
「聞くでヤンスかそれを?男のロマンを作らない理由を探す方が難しいでヤンスよ」
「なら!みんなでアソコから潜入すればよかったのでは!」
「女性は口が軽いでヤンスかね。あまり隠し通路の存在は言いたくないでヤンスよ!それに、女性にバレないように通るから隠し通路でヤンスよ!」
「ちょっとわかるかも」
「なら、もっと慎重に行ったほうが」
「正面突破で相手が面を食らったと言っても所詮囮は二人でヤンス。陽動はバレバレでヤンスよ、なら最速最善手の速攻で救出と脱出が一番手っ取り早いでヤンス!科学者が嫌うのは 有限と無知、それと力技でヤンス。情報も時間もない中でこちらの動きを察知するまでのほんの数分のラグと、思考を凌駕する脳筋の力技になす術なく敗北するのは、好きだった幼馴染が転校してきてほんの数週間の男に掻っ攫われるぐらい悔しいはずでヤンスよ!ギャァァァ!」
何とも分かりづらい例え話と気色の悪い笑い声に若干引くクラウンであった。
「それにしても、やっぱりスイレンさんとローブの方だけでは少ないのでは?せめて僕かシノンのどちらかぐらいは加わっていたほうがよかったのでは?」
「大丈夫でヤンスよ。何やらミステリアスなお姉さんもなかなかの手練れのようでヤンスし、深入りしてこないこの手の任務は傭兵は実に都合がいいでヤンス」
ノッチの口ぶりから察するに傭兵は死んでも問題ないとでも意味が含まれていそうな気がしたが、あえてクラウンは突っ込まなかった。
「それにシノン殿は囮を張れるほど実力があるとは言えないでヤンスし、個人主義の人間同士の方が都合よくかき乱してくれる時もあるでヤンス」
ノッチが言葉を言い終えたその時だった。
行く手を阻むように、天井から鈍い金属音とともに巨大な防壁がせり出し、通路を完全に塞いだ。
「なっ……!?」
突然の行き止まりに、クラウンは思わず足を止める。
「あーらぁ!相変わらず素体を見る目はあるみたいねぇノッチィ?」
どこからか声が響いた。
突如ノッチとクラウンの前に姿を現したのは、布面積が極端に少ないド派手な赤いドレスを纏った上半身だけが投影された巨大なホログラム映像だった。
「久しぶりでヤンス、ミネルバ殿。相変わらずすごい格好でヤンスね」
「あら、私のこと覚えていたの?」
「勿論でヤンス。」
らしくない。
クラウンは不思議とそう感じていた。
いつものノッチであれば女性というだけで数段声のトーンが高いが、まるで猛獣と対峙できるように声色は落ち着いていた。
「誰ですか?」
クラウンの問い。
「ミネルバ殿はアクイ博士研究所の副局長でヤンス。」
「フッフフ。随分と他人行儀じゃない?元副局長さん?」
ミネルバの言葉に、クラウンは思わずノッチへ視線を向けた。
初耳の肩書きだった。飄々とした態度からは、そんな過去があったことなど微塵も感じさせない。
「ノッチさんが……副局長を?」
「今は昔の話でヤンス」
ノッチは一瞥もクラウンに視線を向けることなく、前を向いて言った。
その声は普段と変わらず軽い調子を保っていたが、続きを促す隙を一切与えない硬さがあった。踏み込むな、と言われているようで、クラウンはそれ以上何も聞けなかった。
「いいわぁ、さすがは私が見込んだ男。」
ミネルバはどこか恍惚として表情を浮かべていた。
ノッチの靴から頭の天辺まで舐めるように吟味し、出た言葉がそれなら彼女が抱える感情は恋愛に疎いクラウンにすら容易に想像できた。
しかし――ミネルバは突如として冷たい目つきへと変化させると。
「でも、私が好きなのは今の貴方ではないわ。」
まるで唐突におもちゃに飽きた子供のように興味を失った。
「……。」
「まぁいいわ。それより今正面玄関が暴れているの貴方達のお仲間かしら?」
「それがどうしたんですか?」
「そうねぇ。貴方達、私と手を組まない?」
ミネルバは不敵に笑みを浮かべた。
「何を言っているんですか?」
思わずそう尋ねるクラウンに、ミネルバは口角を吊り上げ良いことを思いついたと言わんばかりに上機嫌に続ける。
「私があなた達と協力してあげると言っているのよ。仲間の居場所も、必要なら正面で戦っているお仲間を逃がす手伝いだってしてあげるわぁ。ねぇ、いい話だとは思わない?」
「それは魅力的な提案でヤンス。もう少し具体的な話が聞きたいでヤンス。どんな手段があるでヤンスか?」
「ふっふふふ!その手は食わないわよ、ノッチ!時間稼ぎのつもりかしら?
わかるでしょ。私がアナタ達の敵なら、後ろの防壁だって閉めて、ここで飢え死にさせてあげることだってできるのよ。さぁ!男らしく手を組むのか組まないのか言ってもらいましょうか!」
ホログラム越しですらわかる。
権力の匂いを纏った、只者ではない何かが、そこにはあった。
クラウンにはうまく言葉にできなかったが、いざとなれば自らの身体すら差し出すことすら躊躇わない――そんな凄みだけは、確かに感じ取れた。
それ故、彼女の言葉が単なる脅しでないことは、目の前に立ちはだかる防壁が何よりも雄弁に物語っていた。
「何が目的なんですか?」
あまりにも唐突な申し出に、クラウンは警戒と困惑を隠せないまま問い返した。
目が合った。
ホログラム越しではあるが確かに目が合った。
愛でるかのようであり、値踏みするかのような目線が撫で回すように視姦する。
「あの小娘を追っ払いたいのよぉ。私より若くて、チヤホヤされる女なんて目障りでしょ?だからよ。」
「言っている意味がわかりません!皇国にとって、アクイ博士を失墜させる事に意味があるんですか」
「ふっふふ、若いわねぇ。いい坊や、いいこと教えてあげる。人は正義のために動くのは気持ちいいけど、自分の利益のために動くのはもっと気持ちいいのよ?だから政治家も貴族も、みーんな悪いことをしているのよ。」
「ッ!?」
その言葉には、聞き流せない何かがあった。クラウンにはまだそれが何なのか、うまく言葉にできなかったが。
「それと。昨今男尊女卑が問題なっているけど、私から言わせれば甘いわね。女の敵は女よ。」
「なぜそんなことを」
「だって自分以外の女がチヤホヤされていたらムカつくじゃない♡?」
自意識の強さを雄弁に物語るように、真っ赤な口紅を塗りたくったその唇から、猫撫で声が漏れる。
クラウンは唖然としていた。
男ゆえに理解できないのか?
それとも、若さゆえの無知か?
釈然としない返答にクラウンはフリーズするしかなかった。
これ以上まともに取り合っていては、相手の土俵に引きずり込まれるだけだ。そう判断したのか、それとも単に興味が失せたのか。黙っていたノッチが、ここにきてようやく助け舟を出すように口を開いた。
「時にクラウン殿。ホログラムってどう思うでヤンスか?」
あまりに唐突な話題転換に、クラウンは面食らいながらも、ひとまず思考を切り替えることにした。
「どう思うですか?すごい技術としか。」
「そうじゃないでヤンス。エッチだとは思わないでヤンスか?」
「何を言っているんですか?」
ミネルバの発言とは違う意味でクラウンはもう一度フリーズした。
常人なら不味いことを言ったか?と気まずい空気が流れるものだが、ノッチは止まらない。
むしろギアをグイッとあげフルスロットルへと加速させる。
「ホログラムはそこに人がいないのにその人のプロポーションがわかるでヤンスよ!エッチじゃないでヤンスか!」
「は、はぁ。」
「ちょっとあなた達聞いているの!今私は――」
「ここで気になるのは、ホログラムは表面しか投影していないかでヤンスね。」
ノッチの口上は止まることなく、ミネルバを振り切り無理やりクラウンを自分の会話へ引きずり込む。
「どういうことですか?」
「わからないでヤンスか?おっぱいでヤンス!おっぱいは乳首まで投影されているか!そこでヤンス!もし表現されているのなら!服と肌の隙間から見ればおっぱいが見えるかもしれないでヤンス!」
「……。」
「今、興味もったでヤンスね?」
「いや、僕は」
「いいでヤンスか?ホログラム越しでもお・っ・ぱ・い・が見えるでヤンスよ!」
おっぱいの一語だけを、ノッチは妙に力強く強調してみせた。
「でもそんなことしている場合では」
「わかっているでヤンス。すぐ済ませるでヤンス。しかしミーだけがそのチャンスを得るのも不公平でヤンス。じゃんけんで決めるでヤンス」
ノッチはゴーグルをくいっと押し上げ、勝負師のような顔つきになった。
「……。本当に、やるんですか?」
「勿論でヤンス。」
「……。」
「行くでヤンスよ」
「はい……」
「ちょっと待ちなあんたら!ホログラム越しでおっぱいが見えるわけないでしょ!だいたいあんたらそんなことしにきたんじゃ――」
「シャラーップ!!男の夢の前に科学者のウンチクなんか聞きたくないでヤンス!おっぱいは男の夢!夢のおっぱいが見えるかもしれないのなら挑戦するのが男でヤンス!異論は認めないでヤンス!行くでヤンスよぉ!最初はグー!」
――
物々しい足音を追うように、シノンは先程二人が通り抜けた隠し通路を辿っていた。息を切らしながら角を曲がった先、彼が目にしたのは想像とはあまりにかけ離れた光景だった。
ホログラム越しですらわかるほど激昂したミネルバと、そのホログラムに頭を突っ込むクラウンの姿である。
「どうでヤンスか!乳首が見えるでヤンスか?」
「いやぁさすがに見えないと思いますけど」
「本当でヤンスか?では、ミーは左乳に失礼して。……確かに見えないでヤンスね。位置の問題でヤンスかね?」
「ちょっとあんたらいい加減にしなさいよ!って、シノンじゃないの?よくもまぁここまで来れたものね貴方。トラウマもあったでしょうに。」
「ッ!?」
「あら、傷ついちゃった?私貴方のこと気に入っていたのよ?可愛くて、素直で、チョロいなんて観賞用ペットとしてはこれ以上ないわ。でもごめんなさいね。私への愛だけでよかったのに、家族愛が深いんですもの。ちょちょっと手を回したら貴方のご家族簡単に手に入れられちゃったものだから適当に遊んでたらあんなんになっちゃったの?でも大丈夫よ。貴方には私がいるわ。貴方が失った分の愛だけ私が埋めるの?どう?私のペットにならない?そしたらそこの二人と他のお仲間を見逃してあげてもいいわ。勿論、捕まっている彼女も助けてあげる。どう?いい交渉だとは思わない?」
「待ってください。お母さん実験に使ったのって貴方なんですか!」
「ええ、そうよ。あの女ったら人間にまるっきし興味ないんですもの。だからちょちょっといただいて後で返しておいたのよ」
シノンの純粋無垢な顔立ちが彼女の嗜虐心を誘うのか、彼女は自分自身の欲求を満たすためにあえて相手の嫌がる言葉を刃として多用する。
これが彼女の流儀なのだろう。
気に入った対象を手に入れるために手当たり次第情報を集めては徹底的に弱点をつっつき追い詰め弱らせる。
獲物が衰弱し、判断力を失ったところで手を差し伸べ手に入れる。
クラウンは内心蜘蛛のような女だと感じていた。
「スゥ~……。」
シノンは顔を俯かせ、表情が見えない。
クラウンは内心どうするのか緊張しながら様子を伺う。
「行きましょう!」
シノンは面を上げると、真っ直ぐ前を見つめ告げた。
「フッフフ。準備完了でヤンス!スイッチ・オンでヤンス!」
シノンの覚悟とほぼ同時になにかを完了させたノッチは、彼が外出の際に背負うバッグから出ているイヤホンから合図を受け左腕に付けた長方形の端末から指示を出す。
すると――周囲が赤く点滅しブザー音が変わる。
行く手を塞いでいた防壁が、重い駆動音とともにゆっくりと上へせり上がっていく。閉ざされていた通路の先に、再び道が姿を現した。
「何をしたのですか?」
「中央棟以外のシステムをすべてジャックしたでヤンス。ミネルバ殿に見つかってしまったでヤンスからね。時間を稼ぐ必要があるでヤンス。」
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