禍根
2009年:獄界町
とある居酒屋。
「おお、新参さんかい!」
帽子を目深にかぶった客に、店主が陽気に声をかける。客は無言のままカウンターの正面に腰を下ろし、短く告げた。
「ビールと串カツ、3本」
「はいよ!」
威勢よく背を向けた店主に向かって、男は静かに言葉を投げかけた。
「今は星山に上納金を払ってるらしいな、五条の爺さん?」
店主の手がぴたりと止まり、恐る恐る振り返る。男が帽子の庇を少し持ち上げると、店主の顔は一瞬で凍りついた。
「あんた……」
「そう、俺は新参じゃない。まあ警戒すんなよ、爺さん。危害を加える気はねえ。ただ……この街がいま変革期に入ったことだけは、頭に入れておきな」
居酒屋を出た男は、向かいの薄暗い路地裏へ足を向けた。
そこでは治安の悪化に乗じて流れてきた不良グループがたむろしていた。
「やっぱヤクは飛ぶな! てめえらもやってみろよ」
「あん? 俺は売り物に手を出さねえ主義なんだよ」
「あ? お前、売ってんのか?」
「ああ」
「友人価格で分けてくれねえ?」
「ダメだ。チャイニーズに流す量と渡される金は決まってんだよ」
そこに男が割り込む。
「あんたらさ、もっと面白いシノギ、やってみねえか?」
「ああん? なんだおっさん、勝手に入ってきてんじゃねえよ」
「まあ落ち着けって。とりあえず、このおっさんから通行料カツアゲしようぜ」
「通行料? 俺はそんな小遣い稼ぎじゃなく、もっとでかい話を持ってきてやったんだがね」
男はポケットから膨らんだ封筒を取り出し、不良のひとりに放り投げた。中を覗いた不良が息をのむ。札束——現金30万円だ。
「おっさん、いい金持ってんじゃねえか……」
ナイフを抜き身にする不良に対し、男は顔色ひとつ変えずに言った。
「こんな汚ねえ路地裏じゃ、逆立ちしても稼げねえ額だろ?」
さらに男は、懐から重厚な金属の光沢を取り出す。
「ガキども、これ使ったことあるか?」
「お、おい……冗談だろ……」
「お前、早くナイフ仕舞えよ!」
男の手に握られていたのは、黒光りする拳銃だった。
「いま仲間を募っててね。俺からこの金を奪う度胸があるならやってみろ。ただし——その場合は頭を『バーン』だ。だが俺の仲間になるなら、てめえら全員分チャカを用意してやる」
翌日
デスクの電話が鳴り、星山は受話器を取り上げた。
「はい、星山だ」
『笹山だ』
「お世話になってます。何か動きが?」
『ああ。小原一家の管轄エリアに、厄介な野郎が現れた』
「厄介な野郎?」
『二階堂だ。昔、小原一家の片山派にいたあの野郎だよ』
「何ですって!?」
二階堂——かつて小原一家に所属し、米田組との抗争時には過激武闘派として星山の舎弟を襲撃し、命を奪った危険人物だ。抗争が米田組の勝利で終わり、小原総長が自らけじめをつけて組織を星山に託した際、二階堂ら片山派の残党は「片山の仇の下にはつけない」と捨てゼリフを残して離脱していた。
その二階堂が再び獄界町に姿を現したということは、あきらかな不吉の前兆だった。
『五条の爺さんから奴と会ったって話を聞いて探らせたら、あのおめでたい野郎、あんたらのおひざ元で愚連隊を作りやがってる。元片山派の残党と街のチンピラを片端から抱き込んでるようだ。妙なことに、潤沢な資金と武器を積み込んでやがる』
「俺たちのシマで無断で組織を立ち上げただと……? あきらかに喧嘩を売ってきてますね」
『ああ、間違いない。固定のアジトを持たないゲリラ型だから厄介だ。こちらでも足取りを追うが、そっちも警戒を密にしておいてくれ』
4日後:蔵部町
加賀崎重工の地下会議室。薄暗い室内に、異様な雰囲気を纏った集団が顔を揃えていた。
彼らを招集したリーダーは、仮面で顔を隠した青髪の男だ。
「原野さんから、いよいよ始動せよとの指令が下りました。美也子さん、万蔵さん。お二人は黄弁街へ潜入し、穂村派閥の本陣を壊滅に追い込んでください」
指示に無言で頷いたのは、腰周りに無数のナイフを刺した大柄な女・美也子と、忍者めいた気配を殺した男・万蔵だ。
「続いて工藤さん。あなたには沖縄へ飛んでもらいます。あちらの支部が地元の極道と揉めているようです。片付けてきてください」
「分かったぜぇ! 全員ギッタギタに切り刻んでやるよ!」
大声で笑い飛ばすのは、全身刺青だらけの口裂け男・工藤。
最後にリーダーは、軍服を身に纏った男に視線を向けた。
「大串さんは、因縁の相手を壊滅させてください」
「因縁の相手だと? 原野のヤクザは、イスラエルの反政府組織にでも喧嘩を売る気か?」
「いいえ。米田組幹部の暗殺——それがあなたの任務です」
翌日:獄界町
小原一家の猪瀬と島田は、張り込み用の車内から水産加工場を凝視していた。
「あそこがチンピラどものヤクの保管場所か?」
「どうやらな。取引相手は不明だが、八天黄会が天城のルートを通じて流してるって噂もある」
「クソッ、大北組や西坂組の侵攻のドサクサに紛れて、そんな真似まで……」
「おい、見ろ!」
島田が指さした人物の顔を確認し、猪瀬は絶句した。
「あいつ……マジかよ……」
かつて小原一家にいた元組員・伊豆が、半グレ2名を連れて工場から出てきたのだ。
「親父が言ってた二階堂の組織と繋がってるかもしれんな」
「どうする?」
「問い詰める。尾行するぞ」
伊豆は半グレにガードされながら車に乗り込んだ。車は繁華街を抜け、猥雑な雰囲気が漂う風俗街へ入っていく。やがて一軒の怪しげな旅館の前に停車した。
猪瀬たちは向かいの有料駐車場に車を滑り込ませ、後を追うように旅館の暖簾をくぐった。
玄関に入るやいなや、出迎えた女将が滑らかな手つきで一枚のチラシを差し出してくる。
「どのようなお部屋になさいますか?」
チラシに躍っていたのは部屋の写真ではなく、露出度の高い衣装をまとった女性たちの写真——あからさまな違法風俗の案内だった。
ふたりは視線を交わすと、懐から代紋を取り出して女将の突きつけた。
「俺たち、ここで店を出す許可なんて出した覚えねえけど?」
一瞬で女将の顔から血の気が引いた。
その頃、旅館の2階の一室。
「てめえらは大人しく見張りしてろ。ボスから報酬が出たら山分けしてやるからよ」
伊豆は護衛の半グレにそう言い捨てて部屋に入った。
部屋の布団の上には、上半身裸の女がふたり待機している。
「へへっ……いい乳してじゃねえか」
伊豆はズボンのチャックを解きながら布団へ倒れ込み、女たちを手招きした。
廊下では、見張りの半グレふたりが不満げに佇んでいた。売人にヤクをばらまくのは運転手役の仕事だが、本来ならその統括である伊豆が見張るべきなのだ。
そこへ、清掃員の衣装を着たふたりの男が歩いてくる。裏社会の客に慣れているのか、軽く会釈をして隣の空き部屋に入ろうとした。
次の瞬間——清掃員のひとりがポケットからスプレーを取り出し、護衛ふたりの顔面に吹きかけた。毒ガスめいた薬剤を吸い込んだふたりは、声もなくその場に崩れ落ちる。
もうひとりの清掃員が合鍵で手際よく鍵を解除し、ドアを静かに開けた。
ピストルを構えた清掃員が、布団の上で女と戯れる伊豆の頭に砲口を突きつける。
「よお、久しぶりだな」
「お前……い、猪瀬!?」
「女どもは怯えなくていい。女将には話を通してある。服を着て下に降りな」
「し、島田まで……! 俺に何の用だ!」
「星山総長の体制に唾吐いて出ていったてめえらが、なんで今さら戻ってきたのか気になってな」
すると伊豆は、引きつった笑いを浮かべ始めた。
「ハハ……ハハハハハ!」
「てめえ、何がおかしい?」
「何がって……あんたらが呑気にこの部屋で俺と油売ってる間に、小原一家の本部はピンチだぜ?」
「何だと……!?」
「本部がピンチだって言ったんだよ! 俺たち『獄軍』の目的は、亡き片山のカシラの遺志を継いで日本の裏社会を制圧することだ。そのためにはな、生ぬるい現体制の小原一家をまずぶっ壊さなきゃ始まらねえんだよ!」
同時刻
小原一家本部の正門前に数台のバンが急停車し、中から殺気立ったチンピラたちが雪崩出てきた。緊張で表情をこわばらせる者たちの中で、ひとり興奮気味に笑っている男がいる——二階堂だ。
彼はメガホンを掲げると、正門に向かって怒声を張り上げた。
「侵略者・星山と、あのゴミに従う裏切り者ども! 『獄軍』がてめえらを血祭りにあげて、この街を奪還する!」
門を固めていた護衛の組員が即座にチャカを構える。
「ここから先は一歩も通さねえぞ、チンピラ!」
「くだらねえ真似してねえで失せろ!」
二階堂はニヤリと歪んだ笑みを浮かべると、懐から手榴弾を取り出し、躊躇なく正門の前へ転がした。
——ズドンッ!!
激しい爆風と炎が吹き荒れ、門をガードしていた組員が一瞬で吹き飛ばされる。
「突撃だあっ!」
爆煙で開いた正門から、興奮したチンピラどもが怒号を上げて雪崩れ込んだ。
「何の音だ!?」
総長室で書類を見ていた星山が眉をひそめた瞬間、舎弟の胡桃が勢いよく飛び込んできた。
「兄貴! 二階堂の率いる愚連隊が正門を破って襲撃してきました!」
「クソッ、外道どもが!」
チャカを手に立ち上がろうとする星山を、胡桃が制した。
「兄貴はここにいてください! 俺たちで叩き潰します!」
「だが二階堂は……米田組の仇でもあるんだぞ!」
「兄貴、組長はどっしり構えててください! 米田の親父からも、何があっても兄貴を守れって言われてるんです!」
「……くっ、分かった。『獄軍』の始末は任せる」
「俺が居合わせて正解だったな! 小原一家もついてるぜ!」
豪快な声を上げて飛び出したのは、米田組舎弟頭補佐の茂田井だ。鋭い拳を叩き込み、群がる半グレたちを次々と叩き伏せていく。
「『獄軍』だか何だか知らんが、おめでたい名前つけやがって……!」
そこへ胡桃が合流する。
「叔父貴、助かります!」
「おう、丁度いい運動だ!」
ふたりは背中を合わせると、襲い来る敵に向かって銃砲火を浴びせた。弾丸を浴びた半グレたちが悲鳴を上げて倒れていく。
「よお! 前に会ったときは米田組のヒヨッコだったガキじゃねえか!」
嘲笑を浮かべた二階堂が、暴走族の群れを引き連れて現れた。
「胡桃、お前は仲間の仇を取れ。周りのゾクは俺が片付ける」
茂田井が言い放つ。胡桃は深く頷くと腹をくくり、二階堂の前へと進み出た。
「へっ、少しはマシなツラになったが、所詮はガキだな!」
二階堂が嘲笑いながらドスを突き出してくる。だが胡桃は冷徹な眼差しでそれを間一髪でかわすと、懐から銃を抜き放った。
「な……にっ……」
二階堂が狼狽した瞬間、胡桃の銃口がその額を捉え、一切の躊躇なく引き金が引かれた。
頭部を撃ち抜かれた二階堂が、ドサリと崩れ落ちる。
外の喧噪が徐々に弱まり、半グレたちの勢勢が削がれたことを察した星山は、短く息を吐いた。油断は禁物だが、二階堂の「獄軍」はどうにか抑え込めそうだ。
その時、足音もなく総長室のドアが開き、ひとりの男が足を踏み入れてきた。
その顔を見た瞬間、星山の全身の血が凍りついた。
「二階堂のバカを焚きつけて正解だったぜ。手下がハエ退治に追われてるおかげで、あっさりここまで来られた」
冷ややかな殺気を放ちながら、男は手に握られたコンバットナイフの刃を滑らせる。
「さあ……俺の功績のために死んでくれや、星山」
そこに立っていたのは、西坂組の最高戦力・水島だった。




