奇妙な参戦者
2009年:桜零街 大北組本部
「オヤジ、お呼びでしょうか」
大北組若頭・松原は、組長である摂津の前に立ち、低い声で問いかけた。
「いきなり呼び立てて申し訳ないな。まあ、かけたまえ」
摂津は穏やかな口調で応じ、松原が腰掛けた来客用ソファーの正面へと移動した。
「いやねえ、穂村派の連中を早く片付けないといけないと思ってね。……そういえば、柏原が獄界町に送り込んだスカウトグループの半グレどもだが、どうやら米田組の若造に悉く潰されてしまったみたいだねぇ」
「はあ……となると……」
「間違いなく、近いうちにこの柘榴町への侵攻があるね」
「柘榴町に、ですか!? 何故……」
驚く松原に、摂津はわざとらしく小首を傾げた。
「おや、君には言ってなかったかね。柘榴町にはね、柏原がスカウトグループ進出作戦の『総本部』を置いているんだよ」
「そうでしたか……」
松原は内心の焦燥を押し殺した。米田組相手の激しい抗争において、自分は完全に蚊帳の外に置かれている。そして、ターゲットが柘榴町――それは果たして、ただの偶然の一致だろうか。
「まあともかくね、君にはこの本部をしっかりと守ってもらいたい。前線は柏原が食い止めてくれるとは思うがね」
摂津は目を細め、値踏みするような視線で松原を見据えた。
「承知しました」
松原は短く応えて一礼した。摂津の冷酷な意図は、言われずともすべて分かっていた。
現在、抗争を最前線で指揮している本部長の柏原や、その補佐の東条は、先代の頃から摂津が組内に形成していた絶対的武闘派派閥「摂津派」の人間だ。対する松原は、他界した先代若頭・桑田が築き上げた、筋目を重んじる穏健派「桑田派」の出身である。
摂津派の柏原たちが米田組を撃退すれば、それはすべて「摂津派の手柄」になる。逆に失敗した時は、本部に残された責任者として松原を糾弾し、「桑田派の現トップの失策」として祭り上げるハラなのだろう。汚い政治劇だった。
3日後:柘榴町の歓楽街
薄暗いバーのカウンターで、不安を隠せない住民たちが声を潜めて話し込んでいた。
「おい、なんか最近、この町の様子おかしくねえか?」
「あぁ? 何をいまさら。4年前に街の顔役だった増沢社長が死んでから、ずっと狂ったままだろ、ここは」
「いや、そういう治安の悪さじゃなくてよ。最近、妙な極道連中がそこら中に入り込んでるだろ。噂じゃ、善輪会の身内抗争に関係してるって話だぜ……」
「チッ、厄介だな。俺が経営してる裏カジノのシノギに響かなきゃいいがな……」
その刹那、バーの重い扉が乱暴に蹴り開けられた。
「全員動くな! 大人しく手を挙げろ!」
怒号とともに、不気味な覆面を被った5人の男女が、ショットガンやライフルを構えてずかずかと店内に押し入ってきた。
しかし、銃口を向けられたバーの店主は、慌てる風もなく客たちに声をかけた。
「……おい、皆。この連中の言う通り、下手に動かねえほうがいいぜ。――全く、また強盗かよ」
店主はうんざりした様子でぼやきながら、両手をゆっくりと頭上に挙げた。
「レジなら俺の目の前にある。金ならとっとと持って行きな」
4年前、町の秩序を保っていた増沢社長が謎の集団に殺害されて以来、この柘榴町の治安は底が抜け、このような半グレや強盗の襲撃は日常茶飯事の地獄と化していたのだ。
強盗グループのうち2人がライフルで客席を威嚇し、1人がピストルを店主に向け、残る2人がレジの現金を素早く袋に詰め始める。
だがその時、店の隅にある不自然な暗闇から、静かに動く影があった。
「あんた、動くな!」
見張りの女が鋭く叫んで影にライフルを向けたが、引き金を引くより早く、女の眉間に鈍い金属音が響いた。肉を裂き、骨を砕く音がして、女の額に鋼鉄の手裏剣が深く突き刺さる。女は声もなく崩れ落ちた。
「なっ、何だ!?」
異変に気づいたもう1人のライフル男が振り返ろうとした瞬間、その喉元に鋭利な苦無が突き立つ。男は気管を血で詰まらせ、床にのたうち回った。
「どういうことだ!?」
店主を監視していた男がパニックを起こして振り返った瞬間、視界を遮るように強烈な飛び蹴りが放たれた。完璧に顎を粉砕された男は、脳震盪を起こして消しゴムのように気絶する。
残されたレジ係の2人が大慌てで腰のピストルを引き抜こうとしたが、すでに勝負は決していた。強盗たちを瞬く間に屠った忍者風の装束を纏う青年が、両手から同時に手裏剣を投擲する。寸分の狂いもなく2人の胸元へ突き刺さった鋼は、その心臓を一撃で停止させた。
わずか数秒で強盗団を全滅させた青年は、唖然として固まっているバーの店主に歩み寄り、懐から分厚い封筒を取り出してカウンターに置いた。
「あんた、この街の裏の情報屋だな。金は弾む。――4年前、増沢社長を殺害した連中についての情報をすべてくれ」
「だ……誰だ、てめえ……」
店主が恐怖に震える声で問うと、青年は冷たい目で一瞥し、短く答えた。
「風馬一族、風馬小次郎だ」
男がそう名乗った瞬間、その姿は夜の闇に溶けるように消え去っていた。
5日後:柘榴町 大北組アジト(廃倉庫)
「スカウトグループの連中と、完全に連絡が途絶えました。奴ら……米田組の星山に、根こそぎ潰されたようです」
本陣として使われている廃倉庫の奥。ボスの柏原は、呼び出させた二人のデリヘル嬢の胸を乱暴に揉みしだきながら、本部長補佐である東条の報告を受け取っていた。
「ケッ、あの半グレの馬鹿ども、あっさりやられやがったか。まあいいさ」
柏原は女たちを突き放すと、下品に笑って煙草に火をつけた。
「すでに何人かの嬢は海外のマフィアに売り飛ばして大金に換えたし、獄界町の風俗店もいくつか機能停止に追い込んでやった。米田組がシノギを再建するにゃ相当な時間がかかるはずだ。それに、あの半グレどもにぶら下がってた有象無象の雑魚グループは、今も街に残ってやがる。奴らの小競り合いが続けば、しばらく獄界町はガタガタで落ち着かねえよ」
「流石は本部長、そこまで計算の上で。……ですが、面子を潰された米田組の武闘派ども、このまま黙っちゃいないでしょう。間違いなく『カエシ(報復)』に来ますよ?」
「ハハハ! それこそが俺の狙いだ! 舐めて攻め込んできた奴らを、この本陣で一網打尽にぶっ潰せばいいだけの話だろ? オヤジに直談判して、摂津派屈指のゴリゴリの武闘派どもを全員、ここに配備してもらったからな!」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間、倉庫の外から地を這うような怒号が響き渡った。
「おい柏原ァ!! いるんだろ、出てきやがれ! てめえの汚え首、俺が取りに来てやったぞ!」
「ふん。お出ましだ。思ったより早かったな」
柏原が狂気じみた笑みを浮かべる。同時に、東条は腰の後ろから重厚な手斧を引き抜くと、獰猛な獣のような足取りで外へと飛び出していった。
星山は、倉庫の裏手からゾロゾロと這い出てくる獰猛な男たちを冷徹に見据えた。
全員が尋常ならざる殺気を放ち、数々の修罗場をくぐり抜けてきた極道であることは一目で分かった。大北組・摂津派の精鋭部隊。
「やはり、ここに武闘派の兵どもを集結させていたか……」
星山は静かに呟くと、ジャケットの内ポケットから二本の冷たいドスを抜き放ち、逆手に構えた。
「星山だな、てめえ! そのタマ取れば、摂津のオヤジから莫大な褒美が出るんだよ!」
ナイフを手にした3人のヤクザが、凄まじい踏み込みで同時に襲いかかってくる。
しかし次の瞬間、大気に鮮血が弾けた。星山の驚異的な体術がナイフの軌道を紙一重でかわし、二本のドスが電閃となって3人の腹部を同時に切り裂いていた。内臓を抉られ、3人は血の海に沈む。
続いて間髪入れずに襲いかかってきた、木刀を手にした4人組。だが星山は、ドスを引くと同時に音速の踏み込みで懐へ潜り込み、破壊的な拳撃をその顎へと叩き込んだ。骨の砕ける鈍い音が4回響き、男たちは白目を剥いて次々と昏倒していった。
「野郎ども、銃だ! 撃ち殺せ!」
生き残った大北組の構成員たちが一斉にピストルを抜く。それに対し、追従してきた小原一家の構成員たちも銃火器で応戦し、倉庫街は一瞬にして激しい銃撃戦の戦場と化した。
硝煙と怒号が渦巻く中、ひときわ巨大な叫び声が星山の鼓膜を揺さぶる。
「星山ぁぁぁ!! ここで死ねやァ!」
肉厚の手斧を大きく振りかぶり、狂ったように突っ込んでくる影。星山は鋭く舌打ちをした。
「チッ……クソ、東条か……!」
大北組本部長補佐、東条。
かつては札付きのワルとして近隣に悪名を轟かせ、半グレグループのリーダー、暴走族総長、さらには悪質な美人局グループの元締めを経て、当時そのケツ持ちをしていた「津摩任侠会」若頭時代の柏原の舎弟に収まったという噂の男。だが、狂暴な柏原は、賭場運営や建設業といった堅実なシノギをメインとする当時の津摩任侠会会長の方針が気に入らなかった。そのため、東条を刺客として仕向け、会長を惨殺させて組を解散に追い込み、その実績を手土産に大北組へと移籍したという黒い過去がある。殺害された会長は、両手足を東条の手斧によって無惨に切断され、絶望的な失血死を遂げたという。
東条が全力で振り下ろした手斧の鋭い一撃を、星山は紙一重で体を捻ってかわし、即座にカウンターの強烈な回し蹴りを放った。
蹴りは東条の肉厚な肩口に完璧に命中した。だが、東条は体勢を崩しながらも、不気味にニヤリと笑った。
「地下格闘技上がりの三下が、俺の暴力に抵抗できると思ってんじゃねえぞ、コラァ!」
東条は身を低く沈めると、凄まじい力で手斧を星山の足元へと横薙ぎに振り下ろした。
ザシュッ、と肉を切る嫌な音が響き、星山の太ももから鮮血が激しく飛び散る。
「クソッ、やりやがったな……!」
激痛に顔を歪めながらも、星山はドスを強く握り直し、膝の震えを堪えて再び立ち上がった。
「痛えか? あぁん!? とっとと獄界町へ帰りやがれ! この街は今、俺たち大北組のシマなんだよ!」
勝ち誇る東条が、星山の首を撥ねようと再び手斧を高く振りかぶる――その瞬間だった。
突如として真横から視界を遮る影が現れ、東条の右頬に強烈なキックが叩き込まれた。
「がはっ!?」
不意を突かれた東条が大きくよろめく。
「あん? ……てめえは!」
驚いて目を見開いた星山の視界に飛び込んできたのは、忍者のような装束を纏う青年だった。
青年は星山を一瞥すると、体勢を立て直そうとする東条の間合いへ一瞬で踏み込み、鋭い手刀をその首筋と急所へ目にも留まらぬ速さで連続して打ち込んだ。神経を破壊された東条は、白目を剥いてその場に崩れ落ち、沈黙した。
「すまないが、この男の身柄は私がもらっていく」
青年は東条の身体を軽々と肩に担ぎ上げた。
「何者だ、てめえ! 何のために……!」
問い詰める星山に対し、青年は冷たく言い放った。
「風馬小次郎」
男がそう答えると同時に、その手から小さな丸い球体が床へと転がった。刹那、凄まじい爆音とともに濃厚な白煙が倉庫一帯を包み込む。
「クソッ、煙幕か……!」
視界を完全に奪われた大北組と小原一家の両陣営は、予期せぬ第三者の介入による混乱の中、互いに銃を撃ち合いながら一旦撤退を余儀なくされた。
しかし、負傷した星山だけは退かなかった。彼は白煙の中に身を潜め、血を流す足を死に体で引きずりながら、一人で倉庫の奥へと音もなく進んでいた。この想定外の煙、そして混乱――これを利用すれば、奴の喉元へ届く。
倉庫の奥の自室で、外から混乱した様子で逃げ戻ってきた組員たちを見た柏原は、怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「おい、てめえら!! どこの馬の骨かも分からねえ雑魚相手にビビってんじゃねえ! さっさと外へ出て片付けて来い!」
「そ、それが本部長、あいつら妙な煙玉を使いやがって、視界が完全に遮られて……」
組員が必死に弁明しようとしたが、柏原は突進してその顔面を容赦なく殴り飛ばした。
「言い訳すんじゃねえ、ボケナスが! 俺のタマ(命)を取られたら、この抗争は俺たちの負けになっちまうんだよ! 死んでも死守しやがれ!」
柏原の凄まじい気迫に圧され、組員たちは恐怖を浮かべて渋々と外へ戻っていった。
静寂が戻った室内に、不意に一つの影が滑り込んできた。
「ん? ……だ、誰だ!? うわっ!」
柏原が腰を抜かして後退る。
「よお、柏原。……あんたの言う通り、あんたのタマさえ取れば、この戦いは俺たちの勝ちだな」
白煙の奥から現れたのは、片手にピストルを構えた星山だった。太ももからは今も激しく血が流れ落ちている。
柏原は冷や汗を滝のように流しながら、引きつった笑みを浮かべて命乞いをするように声を震わせた。
「は、ハハハ……おい、てめえ、足からえらく血が出てるじゃねえか。そんなザマじゃあなぁ……!」
言いながら、柏原がジャケットの内ポケットからピストルを引き抜こうとした――その瞬間。
――ドン!
乾いた銃声が響き渡り、柏原の額に正確に風穴が開いた。
「……がはっ……」
柏原は目を見開いたまま、ゆっくりと床へ崩れ落ちた。星山は、ピストルの銃口から立ち上る硝煙を静かに見つめ、冷たく言い放った。
「貝妻も、てめえの汚え命令に従わされた挙句に死んだんだ。……ヤクザもんなら、自分の蒔いた種の報いは受けて当然だろ」
星山はピストルを腰に収めると、息絶えた柏原の死体に向かって静かに唾を吐き捨て、次の戦場を見据えて歩き出した。




