大物の死
2008年 桜零街:大北組本部
「ふん、あの役立たずが、ようやく死にやがったか……」
豪奢な革椅子に深く腰掛け、大北組本部長・柏原が鼻で笑った。
その後ろで、本部長補佐の東条がわざとらしい嘆息を漏らす。だが、その口元には醜い笑みが張り付いていた。
「残念ですねえ、惜しい人を亡くしました」
「白々しいぞ、東条。……先ほど摂津のオヤジから直々に連絡があった。空席になった副本部長の椅子、お前に据えたいそうだ。貝妻のような腰抜けじゃなく、お前が俺の神輿を担いでくれるなら、これほどやりやすいことはないからな」
「頑張りやしょう、兄貴! ……ただ、桑名派出身の松原のカシラが少々、目の上のたんこぶですがね」
「構わん。あのおっさんも星山に殺させればいい。貝妻と同じようにな」
柏原は不気味に口角を釣り上げ、自身の大きな拳をじっと見つめた。
「フフフ……しかし表向きは、メンツのために小原一家と米田組へ『カエシ』をする必要がありますね?」
「当然だ。……いよいよ、この俺が直々に動く時が来たようだな」
同時刻:若頭執務室
一方、静まり返る若頭執務室では、若頭の松原がデスクに両肘を突き、静かに涙を流していた。
大北組副本部長・貝妻の死。かつて自分が組織に引き入れ、暴力の吹き荒れるこの組で我が子のように目をかけてきた愛弟子が、無残な骸となって帰ってきたのだ。
ジリリリ、と卓上のビジネスフォンが重苦しい音を立てた。
松原は乱暴に涙を拭うと、受話器を耳に押し当てた。
『……貝妻の件は、お悔やみ申し上げる』
低く、どこか他人事のような男の声。警視庁の白沼管理官だ。
『暴対の連中が群馬県警の幹部に猛抗議を入れているが……向こうの地回りがどれほど真剣に捜査するかは分からんぞ』
「煙銘街は特殊な街ですからな。貝妻はあの街の支配者の一人ではあったが、あそこには他にも魑魅魍魎が大勢いる。……彼があの街の均衡を保っていた。これからあの温泉街は血の海になりますよ」
松原は冷徹な極道の声に戻り、本題を促した。
「で、本題はなんです、白沼管理官。俺が依頼していた件は?」
『……進展があった。ムショに収監されている奴らを何人か厳しく問い詰め、吐かせた。柘榴町の増沢社長襲撃事件を調べ直した方がいい。私の持つ情報網では、これが限界だ』
「助かりました。あとはこちらで突っつきます」
松原が電話を切ろうとすると、白沼が焦ったように言葉を遮った。
『おい、待て! 私はいつまで、あんたのために上司の目を盗んで動かなければならないんだ?』
「うーん……そうですねえ」
松原は引き出しから、数枚のネガフィルムを取り出して眺めた。
「あんたがうちの直営ホテルで、風俗嬢と泥のように眠っているハメ撮り写真を、俺がこの世から完全に消し去るまで……ですかね」
4日後 獄界町:闇金「深沢コーポレーション」
ビルの一室にある応接室には、善輪会の命運を握る二人の大幹部が座していた。
善輪会理事長であり、実質的な会長代行を務める穂村。そして、本部長の韮澤だ。
二人は、間もなく到着するであろう「頼もしい部下」を待っていた。
トントン、とドアが小気味よくノックされる。
「お、来ましたね」
穂村と韮澤が顔を見合わせる。部屋に入ってきたのは、善輪会三次団体・米田組の米田組長だった。
「米田組長、苦労をかける。……星山君の様子はどうですか? まだ闇医者の元に?」
穂村の問いに、米田は硬い表情のまま頷いた。
「へい。岸田組さんからの増援が流麗館にギリギリで滑り込んでくれたおかげで、どうにか息があるうちに救出できました。ですが、酷い有様です……」
「全く、あいつは昔から無理をしすぎるきらいがありますな」
韮澤が呆れたように、しかし愛おしそうに苦笑する。
「ええ……。そろそろ米田組の後継はあいつにと考えていますが、どうにも前線で死線をくぐるのが性分のようで」
「自身を盾にするだけがリーダーではありませんからね。星山君は少し、背負いすぎだ。……まあ、その無鉄砲なおかげで、私も本部長もこうして生きていられるのですがね」
穂村は深くソファーにもたれかかり、天井を見上げた。
深沢コーポレーション・ビル前
事務所の外では、米田組傘下の武闘派走り屋集団『烈火隊』が異様な警戒態勢を敷いていた。
普段から事務所の警護は彼らの役目だったが、今は善輪会の最高幹部二人がここに潜伏している。一瞬の油断も許されない。
だからこそ、不自然な黒いバンが正面に停車した瞬間、彼らの五感は危険信号を発した。
バンのスライドドアが開き、一人の男が降りてくる。
迷彩柄の軍服のような衣服。そして何より異様なのは、白昼堂々、背中に大型のライフルを背負っていることだった。
「チッ、カタギじゃねえぞ!」
烈火隊の面々は一斉にバイクのエンジンを吹かし、腰のサバイバルナイフに手をかけた。
だが、軍服の男は彼らを見下し、退屈そうに唇を歪めた。
「若いエネルギーが有り余っているな。少し、遊んでやろう」
男は背中のライフルには手を触れず、腰から二本のコンバットナイフを抜いた。
「てめえら! 叩き潰せ!」
総長・中村の怒号とともに、数台の大型バイクが爆音を立てて男へ突進する。
次の瞬間、常人の肉眼では捉えられないほどの速度で男の身体が躍動した。
キィィィン! と鋭い金属音が連続して響く。男は突進してくるバイクのわずかな隙間をすり抜けながら、超人的な精度でフロントタイヤを次々と切り裂いていったのだ。
「うわあああ!?」
バランスを失ったバイクが次々と横転し、烈火隊の隊員たちがアスファルトへ激しく叩きつけられる。男はその生首を踏みつけるようにして、平然と事務所のガラス扉へと歩を進めた。
「クソが、待ちやがれ!」
総長の中村と副総長の梶尾が、痛みを堪えてナイフを逆手に猛追する。
だが、男は振り返ることさえしなかった。歩みを止めぬまま、腰からピストルを抜き放ち、真後ろに向けて引き金を二度引いた。
バン! バン!
寸分の狂いもなく、追撃してきた二人の膝が撃ち抜かれる。二人は悲鳴を上げて崩れ落ちた。
事務所内
「クソッ、敵襲だ!!」
外の異常な爆音と銃声に気づいた深沢が、応接室へ飛び込んできた。
「何だと!?」
米田組長が弾かれたように立ち上がる。
「深沢さん、すまんがお二人の警護を頼む!」
米田は懐からピストルを引き抜くと、応接室を飛び出した。だが、廊下に一歩踏み出した瞬間、彼は言葉を失った。
エントランスでは、常駐させていた二人の頑強な警備員が、首を不自然な方向に曲げて転がっていた。抵抗する暇もなく即死だ。
その死体の真ん中で、受付嬢の喉元に冷たいナイフの刃を突きつけている軍服の男。無駄のない筋肉の塊のような体躯、美しく整えられた顎髭は、さながら過酷な戦場を生き抜いてきた本物の軍人の威圧感を放っている。
受付嬢は恐怖のあまり涙を流し、助けを求めるように米田へ視線を送った。
男は至って冷静に、穏やかな声で言った。
「すまないが、穂村さんを出してくれないか?」
「……断る。ここにいるのは極道だけだ」
「そうか。……だが、この可愛らしいお嬢ちゃんの命がどうなってもいいのか?」
男がナイフに力を込めようとした、その刹那。
米田は無言で男の足元へ銃弾を叩き込んだ。
ドン!
「ふん!」
男はわずかなステップで弾丸を回避する。その一瞬の隙を突き、受付嬢は男の手をすり抜けて部屋の奥へと脱出した。
「あんた、なかなか動けるな」
男が感心したように呟いた瞬間、すでに勝負はついていた。
「がはっ……!?」
米田の腹部に、深い痛みが走る。いつの間にか男の右手が突き出され、その手にあるナイフが米田の腹部を深く貫いていた。目にも留まらぬ投擲、あるいは踏み込みだった。
「クソ、垂れ流すなよ……あんた、何者だ……」
口から鮮血を漏らし、膝をつく米田。男は平然と刃を引き抜き、言った。
「それは秘密だ。まあ、大体の想像はついているだろうがね」
男は、執念でなお立ち上がろうとする米田の顎へ容赦のない蹴りを見舞い、脳震盪を起こさせて気絶させた。そして、恐怖で悲鳴を上げようとした受付嬢へ迷いなく銃口を向け――その胸を撃ち抜いた。
男は血濡れた靴で、ゆっくりと応接室のドアを開けた。
待ち構えていた深沢が渾身の拳を放つが、男は上体をわずかに反らしてこれを回避。肉薄すると同時に、深沢の腹部へ一瞬で5発の超高速の打撃をめり込ませた。内臓を破壊された深沢が、声もなく崩れ落ちて気絶する。
「――ようやく会えたな、穂村さん。あんたを探していたよ」
男は、ソファーに座る穂村にゆっくりとピストルの銃口を向けた。
引き金に指がかかり、死神の鎌が振り下ろされようとした、その瞬間。
「代行を殺らせるかァァァッ!!」
怒号とともに、横合いから影が飛び込んできた。本部長の韮澤だ。
韮澤は自身の身体を盾にするように割り込みながら、男に向けてピストルを連射した。
だが、プロの殺人組織との間には、残酷なまでの実力差が存在した。
乾いた銃声が交錯する。
男の放った初弾は、韮澤の心臓を正確無比にブチ抜いた。
対して、韮澤の決死の弾丸は、男の両肩の皮膚をわずにかすめたに過ぎなかった。
「韮澤本部長!!」
穂村が叫び、崩れ落ちる韮澤の身体を抱き止めようとする。
だが、韮澤は最期の力を振り絞り、穂村の身体を背後の窓ガラスへと強く突き飛ばした。
「逃げなさい……代行ッ!!」
ガシャァァン!!!
激しい音を立てて窓ガラスが割れ、穂村の身体が1階へと投げ出される。
「うわっと!? なんだ!?」
落下した穂村の身体を受け止めたのは、複数の警察官たちだった。近隣住民からの「激しい銃声がする」という通報を受け、丁度ビルを取り囲もうとしていたパトカーの群れだった。
「チッ、サツが湧いて出たか。……潮時だな」
上の窓からその光景を見下ろした軍服の男は、短く悪態をつくと、死体の転がる血の海と化した事務所から、影のように跡形もなく掻き消えたのだった。




