第21話 届いた......
旅の終わりは、いつも静かだ。
雲雀蒼空にとってアレキサンドライトは、特別な称号でも、誰かに誇るための肩書でもない。
ただ“飛んだ証”が数字として形になる地点にすぎない。
だから今日も、特別な感情はない。
ただ飛び、ただ積み重ね、その結果として数字がそこに現れる。
この章は、蒼空が長い修行の果てに静かに辿り着く瞬間を描いた物語です。
涙も歓声もない。
けれど、確かに“届いた”という実感だけが、静かに胸の奥に灯る。
どうぞ、その静かな光を感じながら読んでください。
おかえり、蒼空。
羽田に着陸したのは、二十一時過ぎだった。
ターミナルを歩いた。
今日六便目の到着だ。
身体は疲れているはずだ。
でも疲れている感じがしない。
飛んでいる間は、いつもそうだ。
電車に乗った。
車内は空いていた。
座席に座って、窓の外を見た。
夜の街が流れていく。
スマートフォンを開こうとした。
やめた。
家に帰ってから、ちゃんと確認する。
PCで、スプレッドシートを開いて、JSNのマイレージサービスにログインして、数字を見る。
それが蒼空のやり方だ。
電車の中でこっそり確認するのは、違う気がした。
スマートフォンをしまった。
窓の外を見た。
もうすぐ家だ。
* * *
アパートに帰宅。
玄関のドアを開ける。電気をつける。
靴を脱ぎながら、バッグを床に落とす。拾わない。
トレンチを脱ぐ。クローゼットの取っ手に引っかける。
ワンピースを脱ぐ。
引き出しから芋ジャージを引っ張り出す。上下、エンジ色。
着た。
洗面台でコンタクトを外した。
眼鏡をかけた。
黒縁、黒フレームの。
鏡の中に、いつもの雲雀蒼空がいた。
蒼空は鏡を一秒だけ見て、リビングに向かった。
* * *
冷蔵庫を開けた。
陸が先週作ってくれた作り置きが、少し残っていた。
豚汁が、タッパーに入っている。
温めた。
飲みながら、PCを開いた。
JSNのマイレージサービスにログインする。
画面が切り替わる。
会員ページが表示される。
蒼空は画面を見た。
FCの積算欄があった。
今年の合計FC。
数字が、そこにあった。
* * *
見た。
もう一度見た。
計算と、合っていた。
アレキサンドライトの基準値、四万FC。
今年の合計FC、四万二百十七。
超えていた。
蒼空はしばらく、その数字を見ていた。
特別な感慨は、なかった。
泣きたい気持ちも、叫びたい気持ちも、なかった。
ただ、そこに数字があった。
飛んだ距離の、飛んだ時間の、飛んだ回数の、全部が、その数字の中にあった。
那覇の濃い青空。
宮古の着陸衝撃。
宙を舞ったコーヒー。
F-15のスクランブル。
腕をつかまれて走った福岡。
買えなかった明太子。
買えた鹿児島のさつま揚げ。
石垣の海の色。
夕暮れの雲を抜けた瞬間。
夜の星が見えた最終便。
全部、この数字の中にある。
* * *
画面をスクロールした。
上級会員資格の欄があった。
現在の資格:オパール
まだ反映されていなかった。
蒼空は少し待った。
ページを更新した。
現在の資格:オパール
まだだった。
反映に時間がかかることは知っていた。
数日かかることもある。
焦る必要はない。
蒼空はページを閉じた。
数字はもう、確認した。
届いている。
それは分かっている。
資格の反映は、後でいい。
* * *
豚汁を飲み切った。
ポケットを探った。
宮古で買った、雪塩のキャラメルがあった。
一粒、口に入れた。
甘くて、少ししょっぱかった。
宮古の味だ。
蒼空はソファに深く沈み込んで、天井を見た。
届いた。
誰かに言いたい気持ちが、少しあった。
でも、言う相手がいない。
陸に言おうか、と思った。
でも、説明が難しい。
アレキサンドライトって何、から始まる会話を、今夜する気力がなかった。
いつか話せばいい。
説明できる日に、説明すればいい。
今夜は、ただ届いたということを、自分だけが知っていればいい。
* * *
PCをもう一度開いた。
フライトプランのファイルを立ち上げた。
今年の修行ルートが、全部記録されている。
羽田→那覇→宮古×3→那覇→福岡→羽田。
羽田→那覇→石垣→那覇→鹿児島→羽田。
羽田→那覇→宮古→那覇→羽田→伊丹→羽田。
全部、飛んだ。
蒼空はそれを眺めた。
次はどこへ飛ぼうか、と思った。
アレキサンドライトを取ったら、毎年修行しなくていい。
永年資格だ。
でも飛ぶのをやめるつもりはない。
修行じゃなくても、飛ぶ。
飛ぶために飛ぶ。
それが蒼空の生き方だ。
次の修行のことを、少し考えた。
石垣にまた行きたい。
沖縄の離島を、まだ降りていない空港がある。
与那国島。波照間島。
行ってみたい。
指がキーボードに向かいかけた。
今日は、やめた。
PCを閉じた。
今日はもう、十分飛んだ。
今日の空は、今日の空だけでいい。
蒼空はソファに横になった。
天井を見た。
雪塩キャラメルの甘さが、まだ口の中にあった。
届いた。
それだけだった。
それだけで、十分だった。
読んでくださって、ありがとうございます。
蒼空が積み重ねてきた距離、時間、景色、感覚——
そのすべてが、四万二百十七という数字に静かに収束しました。
宮古の衝撃、石垣の青、那覇の夕暮れ、伊丹の夜景、
そして雪塩キャラメルの甘さまで、全部が“飛んだ証”としてそこにある。
アレキサンドライトは、努力の象徴ではなく、
蒼空が空を愛し続けた結果として自然に辿り着いた場所です。
これからも彼女は飛び続ける。
修行ではなく、生き方として。
もしあなたにも、積み重ねた時間が形になる瞬間があるなら、
この章がそっと寄り添えていたら嬉しい。
Good Day!!




