第17話 修行、ふたたび
旅が終わっても、心のどこかでまだ空が続いていることがある。
雲雀蒼空にとって修行は、ただの移動ではなく、自分の軸を整えるための時間だ。
そして地上に戻っても、その軸は静かに回り続ける。
芋ジャージ、惣菜コーナー、作り置きの肉じゃが——
そんな日常の中に、ふと空の気配が差し込む瞬間がある。
この章は、旅の余韻と日常の静けさが重なり、次の空へ向かう準備が静かに始まる物語です。
あなたの中にも、次の旅を呼ぶ気配があるなら、どうぞその感覚を重ねながら読んでください。
おかえり、蒼空。
月曜日の朝だった。
蒼空はいつも通り、七時二十二分に家を出た。
いつも通りの道を、いつも通りの速度で歩いた。
イヤホンを両耳に刺して、信号を渡って、駅に向かった。
でも、頭の中は少し違った。
昨夜、フライトプランの続きを組んでいた。
次の修行の候補ルートが、三つある。
どれにするか、まだ決めていない。
でも決めたくなかったわけじゃない。
もう少しだけ、じっくり考えたかった。
電車に乗った。
窓の外を見た。
景色が流れていく。
次はどこへ飛ぼうか、と思いながら、蒼空は会社に向かった。
* * *
昼休み、スマートフォンを開いた。
JSNのサイトを立ち上げる。
来月の第三週、土日。
空席を確認する。
羽田→石垣。石垣→那覇。那覇→羽田。
全部、空いていた。
蒼空は画面を見ながら、頭の中でFCを計算した。
このルートで積めるFC。
今の残高に足したら、アレキサンドライトまであと。
もう少しだ。
蒼空はスマートフォンをしまった。
バランス栄養食のゼリーを飲んだ。
グレープフルーツかどうか分からない味がした。
でも今日は、あまり気にならなかった。
* * *
退社は定時だった。
いつも通り階段を降りて、いつも通りの道を歩いた。
でも今日は、金券ショップに寄った。
JSNの株主優待券を確認する。
在庫がある。値段を見る。計算する。
三枚買った。
財布に入れた。
次の修行の切符だ。
スーパーに寄った。
惣菜コーナーを確認する。
今日は鮭の塩焼きに半額シールが貼ってあった。
カゴに入れた。
幕の内弁当も見た。
今日は誰にも取られなかった。
でも、今日は鮭でいい気分だった。
幕の内は次回だ。
* * *
帰宅した。
芋ジャージに着替えた。
コンタクトを外して、眼鏡をかけた。
冷蔵庫を開けた。
陸が作ってくれた作り置きが、まだ少し残っていた。
肉じゃがが、タッパーに入っている。
温めた。
食べながら、PCを開いた。
フライトプランのファイルを立ち上げる。
昨夜の続きだ。
三つの候補ルートが、スプレッドシートに並んでいる。
指がキーボードの上に乗った。
「……石垣か、那覇経由か、でも石垣のほうが景色が、いや那覇のほうがFCが、どっちだ、」
独り言が漏れた。
誰も聞いていない。聞いていなくていい。
「でもこのルート、乗り継ぎ時間が微妙なんだよな、四十分、走れるか、走れるな、でも石垣の空港ってどこだっけ、」
タブが開く。また開く。
石垣空港の構造を確認する。
搭乗口から搭乗口まで、何分かかるか。
「あ、新ターミナルか、じゃあ余裕じゃん、余裕だわ、全然いける、」
蒼空の目が、少しずつ変わっていった。
* * *
一時間ほど経った。
三つの候補ルートが、画面に並んでいる。
蒼空はそれを端から見ていった。
ルートA。羽田→石垣→那覇→羽田。
FCは多い。でも乗り継ぎが少し詰まっている。
ルートB。羽田→那覇→石垣→那覇→羽田。
乗り継ぎに余裕がある。でもFCはAより少ない。
ルートC。羽田→那覇→石垣→那覇→鹿児島→羽田。
FCが一番多い。でも帰りが遅くなる。
蒼空は三つを見比べた。
指が止まった。
画面を見る。もう一度見る。
ルートCだ。
帰りが遅くなるのは、月曜日の準備を考えると少し痛い。
でも、FCが一番多い。
アレキサンドライトまでの距離が、一番縮まる。
それに、鹿児島は降りたことがない。
乗り継ぎだけでも、新しい空港に降り立てる。
これだ。
蒼空は手を止めた。
「……っしゃ」
小さく、声が出た。
壁を叩くほどではなかった。
でも、確かに出た。
財布の中に、株主優待券が三枚ある。
来月の第三週が、待っている。
蒼空はスプレッドシートに、ルートCを確定として入力した。
フライト番号、時刻、空港コード、FC、運賃。
全部、丁寧に入れた。
画面の中に、次の修行が生まれた。
* * *
PCを閉じた。
食べかけの肉じゃがが、まだテーブルの上にあった。
冷めていた。
でも食べた。
美味しかった。
陸が作った肉じゃがは、冷めても美味しい。
それを知っていた。
食べ終わって、器をキッチンに運んだ。
洗った。
割らなかった。
ソファに座った。
天井を見た。
来月の第三週、石垣に行く。
鹿児島に降りる。
アレキサンドライトに、また少し近づく。
それだけで、今夜は十分だった。
蒼空は目を閉じた。
フライトプランは、今日も更新された。
読んでくださって、ありがとうございます。
蒼空にとって日常は、空から切り離された場所ではなく、次の空へ向かうための助走です。
株主優待券を買い、スプレッドシートを開き、候補ルートを並べていく。
その一つひとつが、蒼空の“生き方”を形づくっている。
そして陸の作り置きの温度が、彼女の地上の生活をそっと支えている。
旅と日常、そのどちらも蒼空の物語の一部であり、どちらも彼女を空へ送り出す力になっている。
もしあなたにも、日常の中でふと旅の続きを思い出す瞬間があるなら、この章が寄り添えていたら嬉しい。
Good Day!!




