26.二人のご主人様
リビングに行くと、キッチンで妻が、娘が淹れっぱにしたお茶の支度を片づけていた。うん、こういうところが“絵里香”だよな。
「お帰りなさい、ドロシーちゃん。楽しそうな声がしていたわ」
「珍客が襲来したものでな」
片づけついでで、残ったお茶を出してくれる。
「すごいイケメンさんね。あの人、人間ではないのでしょう? あの絵里ちゃんがイソイソとお茶を持っていったわ」
「性格は輪を掛けてスゴイぞ」
にこにこの母親に、父親は複雑な気分で茶を啜る。
「悪い奴ではなさそうなんだが、と言って『魔王』の配下、本来は敵側なんだ。どこまで信用していいのか、慎太郎と妙に気が合っているのが心配だ」
自分の本音も探りつつ呟き、ぬるいカップに口をつける、と、
「あら? 気が気でないのは慎ちゃんじゃないでしょう」
そう返され、むせる。
じろりと睨むも、含み笑いに返り討ちにされた。見透かされている。妻であり母親である人には、私は到底敵わないのだ。
「ベア子―、もう出れるー?」
ご主人様の声が掛かった。
「ああ」
と返事をしてから妻に、
「じゃ、行ってくる」
「娘とデート、久しぶりに楽しみねえ」
うん、完全に“子ども達を見送る母親の顔”だね。
家族の中で私の位置がズレるに伴い、彼女との夫婦関係もまた、ズレつつあるように思う。
「ドロシーちゃん?」
そんなことを考えていた背中に呼び掛けられ、振り向く。
「来週は私の番、でいいかしら?」
にこり、妻の微笑みはよく見れば、20年変わらぬ見慣れたもの。
「うむ。たまには水入らずもいいだろう」
この姿で吹かせた亭主風が、我ながら可笑しい。
どうやら、変わってしまいそうになっているのは私の方かな……
**********
「さ、行くわよ」
「お前スゴイ服持ってるな」
お呼びに応じて罷り出ると、我がマスターのお召し物は、肩のふくらんだ白ブラウスに、フリフリ装飾過多なワインレッドのワンピース。これって所謂ゴスロリとかいうやつ?
コスプレってほどではない。色白で顔立ちキツめの娘に似合ってもいる。ただオッサンの感性では、着て街を歩いていいギリの線だと思う。
それと……
「何?」
「いや、その服……」
「だから、何?」
ジトッと睨まれる。あまり強い言葉を使うなよ、怖く見えるぞ。
「お、ねーちゃん行ってら。勝負忘れんなよ」
「ほウ、そうして並ぶと親子といウより姉妹だナ……ン?」
慎太郎達が部屋から出てきた。私が「あっ」と思う間もなく、
「おお、エリカよ。貴様のその装い」
Drの手に、よせばいいのに、プレゼントのドールが再召喚された。
「コレのドレスに似ておるナ。ますますソックリだゾ」
「うあ……」
「よく似合っておル」
「……///」
攻め手がエグい。絵里香の後ろ頭からボッと湯気が立つ。
と、振り返った絵里香に、私はギロリ、もう何度目か睨まれる。
「行くよ、ベア子」
「仰せのままに」
「何か言いたいことある?」
「ノー、マイ・マスター」
人は追い詰められると攻撃的になるんだ。父は甘んじて受け止めよう。
絵里香は逃げ出した!
魔法人形も逃げ出した!
**********
絵里香に続き、初期装備の何革か不明の靴をトントンする。
「ではまたナ、人形姫」
玄関で見送ろうとするDrに、
「いやアンタも一緒に出るんだよ。私のいない家にいられても困る」
「ツレナイことを言ウ。もうソコソコの付き合いだろウ? それともまだ創造主のことが信用できンか、ンン?」
Drの口元が皮肉に薄く歪む。
薄紫と、深紫の視線が交錯する。
収めたのはDrの方だった。
「マ、吾輩も多忙な身、今日はコレでお暇するとしよウ。奥方、お邪魔をしタ。シンタロー、また面白いモノがあっタら教えてクレ」
「あれ、もう帰んの?」
「あらあら。お構いもしませんで」
「イヤイヤ。次はシュウクリィムなぞ持って伺おうヨ、奥方」
奥から出てきた智香に、Drが会釈をした。
うーん、この人、女性に対しては実に行き届いているし、日本的な礼儀もすっかり板についてるよな。
玄関を出ると、長身のDrは歩幅も広くツカツカと先に立って行く……ああ、エレベーターのボタン押したかったのね?
3人で乗り込む、と、一度閉まったドアがガーと開いた。
Drが片腕を上げ、私と絵里香を背にする位置に一歩動く。
「警戒しロ、人形姫。誰もおらヌのに扉が開いタ」
「そうなっちゃうんだ、上と下のボタン両方押すと」
魔人は肩越しに私を見遣り、すっと腕を落とした。
ボンダンスは今、たぶん私と絵里香のことを守ろうとした。
彼にとって私達は庇護の対象なんだ。
けどそれは、“私”が彼の所有物である限り……人形はいつか創造主に背く、その時、私達の親交の真似事に終止符が打たれる。
(Drとは、直接やり合いたくないな)
甘い考えだろう。しかし降下を始めたエレベーターの中で、その思いは人形の胸の内に言葉としてカタチを結んだ。
エントランスから表通りに吐き出される。
Drは鼻歌混じりだが、絵里香は無言、私も無言。謎の圧力感、エレベーターは息の詰まりそうな殺人的密室だった。私、息しませんけど。
「でハ、気をつけてナ」
Drは我らに背を向け、悠々と去っていく。
と思ったら、Drはふと立ち止まって街並みをゆっくりと見回した。
「静かだナ」
独り言のような呟きは、おそらく私の耳にしか届いていない。
「人が魔物に変わり『魔王』陛下が宣戦を布告されテ、これホドに平穏ダとは。フフ……吾輩の予想は覆されタ。人間は実に興味深イ」
私を見るか見ぬか程度に、Drが肩越しに振り返る。
「だガ、吾輩のように、面白がっていル者ばかりではナイだろうナ――……」
片眼鏡の反射が、魔人の向ける視線を隠す。
「気をつけてナ、人形姫」
含みを込めた冷笑に、作り物のカラダがゾクリと震える。
前言撤回。やはりこの男に気を許し過ぎるのは考え物だ。
父娘をいいだけ惑わし、Drが去った。魔族のクセに、何ならマモノビトより堂々と闊歩してやがる。
容姿は人と変わらず、外国人青年で通る。だが顔には片眼鏡とタトゥー、派手めの服装に挙句白衣を引っ掛けているのだから、これは職質待ったなし。おそらく例の目眩まし暗示魔法とやらを使っているのだろう。Drはまだ病院の一室を占拠して、我が物顔で根城にしている。
が。我らが身を顧みれば、ゴスロリ娘に幼女人形。見た目の素っ頓狂さでは引けを取らない。と、ここで私は気づいた。
「絵里香、私の服はこれで良か……」
言いかけて、もうひとつ気づき、言い直す。
「この黒装束で良かった……? あたし、こうやってお出掛けしたことないから、よくわからなくて……」
「いや、それ慎のキャラじゃん」
「あれ?」
努めて抑揚なく言うと、絵里香にツッコまれた。
白磁の頬を掻く。娘がきゅうっと目を細める。
「いいの、初期装備で。それとキャラも別に普段通りで」
「ん、それでいいのか?」
慎太郎と勝負してるんじゃないのか?
私のキョトンに、絵里香が悪い笑顔になる。
「慎と出掛けて、ベア子、昨日だけでまた知名度上がったよね」
「ああ。写真とか上げられて、すっかりみんなの人形たんだ」
「ねえ? 何で私が慎に先攻譲ったと思う?」
娘が、俗にいう暗黒微笑を浮かべた。
「今日は私もこの格好だし、二人で出歩けば慎の前振りで、わざわざキャラ作るまでもなく人目引くよねー」
「最初から負け要素、ないよねえ?」
策士。慎太郎、残念ながらお姉ちゃんのが一枚上手だ。
「行こ、“おとーさん”。黒装束は今日どうせ服屋さん行くつもりだし。ベア子に似合うの、私が選んだけるんだから」
「え? お前の趣味で?」
「文句あるの?」
「いえ、そんなには」
慎太郎、お父さんよりもです。
上機嫌の絵里香に手を引かれ、私は苦笑いをしつつ、しかし悪くない気分で今日という日を歩き出した。




