14.『人形』と上司
椅子へ促され、座ると、足が床に着かずぷらぷらした。
「はは、可愛い」
深山営業部長が思わず笑い、慌てて口を押さえる。
「すまん、つい」
「いやー、自分でも笑うしかないですよ、これは」
笑い返す私に、部長が頭を掻く。
思えばこの人との付き合いも長い。新入社員の頃はよく怒鳴りつけられたものだが、それも今となっては懐かしい。
「あの頃は私も若かったからなあ」
「今やお互いすっかりオジサンですなあ」
なんて、しみじみ言い合う間柄だった……先週末までは。
それさえも、今となっては懐かしくなってしもうたが。
ちょこんとオフィスチェアに収まる人形に、部長は多少慣れてきたらしい。
「何だか、小さかった頃の娘を前にしてるようだよ」
確かに今の私は、おとーさんのお仕事先を訪問したお嬢ちゃんの絵だ。
部長はどこか遠い目で、
「娘もそのくらいの歳だと『パパ、パパ』と可愛かったが、今やオヤジなど相手にしてくれん」
そう言う部長のスマホの待ち受けは、娘さんの成人式の写真だ。
しかし私を“そのくらいの歳”と認識されるのはどーかだが、こちらも年頃の娘を持つ身。昔は「おとーさんのお嫁さんになる」と言っていた娘が、少しずつ離れていく気持ちはよくわかる。
もっとも、ウチは昨日からお父さんが困惑する勢いで、再接近してきてるけど。息子に至っては強襲に近い勢いだけど。
私は少し考えて、人形の首を傾げてみた。
「……パパ」
「由香利……っ」
え、泣いた?
あんた、どんだけ寂しいんだ。
少女人形のちっちゃな手を、オッサンのゴツゴツした両手が包んだ。
「由香利、パパだよ」
「え、あ、えーと……パパ?」
「由香利」
「パパ」
「何ぞこれ?」
ハッと振り向くと会議室のドアが開いていて、アイスコーヒーお盆に乗せた事務さんが目を瞠っていた。
凍りつく時。聞こえるのは部長の嗚咽だけ。何なん? 娘さん亡くならはったん?(ご健在)
事務さんは我に返ると、部長に手を取られた人形の前と、その向かいにグラスとガムシロとフレッシュのポーションを置き、ニコッと会釈した。
「……ごゆるりと」
「ちょ、違」
バタン、ドアが閉まった。
えええ……?
これは、部長ロリコン疑惑なの? それともお○さんずラブの方?
**********
深山部長がハンカチを取り出し、顔を拭って、大きく息をついた。
「すまん、少し取り乱した」
「そうですね。例のウン千万が飛んだ時以来の取り乱しっぷりでした」
以前ウチの営業部で大きな商談失敗があり、私と二人、尻拭いに駆けずり回った時ですら泣きはしなかったからな。
部長が椅子に尻を戻し、仕切り直し、私は改めて頭を下げた。
「深山さん、この度はご心配とご迷惑をお掛けし、申し訳ありません」
「ああ、いや……その姿で堅苦しくこられると、参るな」
営業のベテランは軽口で空気を和らげてから、
「安治川君に非があるわけじゃない。事故、いや事件か? 君は、そう、“被害者”の立場なのだからな」
やっぱりその表現を選択した。
私は事の発端から経緯と現状を、頭の中でまとめたビジネス書式で報告した。ただしDr.ボンダンスの件は意図的に伏せる。
『魔王』サイドの者と面識のあること、これはまだ深山さんにだろうと言いたくはない。第一あの変人の魔人を、どこまで信用していいのか私自身測りかねている。当面は口を拭っていよう。
家族にもその点は釘を刺してある。
「うん、姫とドクターのことは学校でも言わない。すげえ話したいけど」
「家族だけの秘密ね」
お調子者の息子と中二病の娘も、こればかりは神妙に頷いた。
さて私の報告を、部長は相槌を打ち、要所に質問を挟みつつ聞き取ると、
「そうか。大変だったな。事がデカ過ぎて、あまり気の利いたことも言えんが」
嘆息の後、親身な顔を古い付き合いの部下に向けた。
「家族が支えになってくれているなら、君は幸せ者だ」
私は頭を下げる。本当に、それだけは救いだった……家族のことも、いろいろ意図的に伏せた部分があるけどネ。
深山さんはぎしっと椅子に背を預けて、
「しかし……エライことになったなあ」
かなり素に近い表情で唸った。
「本社では朝から緊急幹部会だそうだ。支社ではどうやら君だけのようだが、全社では何人かいるらしい」
「そうですか」
「聞くところによると常務が、オークというのか? あの魔物になったそうだ」
「本社の女子社員からは『え、どこが変わったの?』と」
「ヒドイ」
確かに元々こってり脂ギッシュな、豚骨系オジサンだったけれども。
部長は内ポケットから煙草を取り出し、会議室を見回し、黙って戻した。ご多分に漏れずオフィスで吸えなくなって久しいが、習慣というものは抜けない。
「正直、混乱でなく困惑だね。とんでもないこと、のはずなんだが、何も起きてないと言うなら何も起きていない」
やり手営業マン、物事の本質を突いてくる。
「国レベルでどうしたもんかと首をひねってる。いち企業は言わずもがな。それで結局みんな普通に出社して、平常通りの業務をしているのだから、つくづく我々は日本人だよなあ」
深山部長は、ニヤリとして私を見た。
「君などは、そんな姿になっても会社に来ている」
……そうなのだ。
混乱ではなく、困惑。
『魔王』が掻き回して放置したこの国は、困惑しながら今日も回っている。幾ばくかの不運な人々を置き去りにして。
誰もが、口にしないけど思ってる。こういうの、嵐の前の静けさって言うんだ。
「日本と当社の動向はさておき、差し当たっては君のことだな」
物思いを、部長の言葉に破られた。深山さんは背もたれから身を起こし、テーブルの上で指を組む。
「率直な話、その姿でこれまでの業務は難しいな」
「それはそうでしょう」
魔法使いの衣装の人形が商談に来ては、顧客は困惑どころではない。
「ただ……ふと思ったのだが、ターゲットを精査すれば今まで以上の営業成果を上げられそうな気もしている」
「名付けて、対おじさんパパ活営業課長……」
さすがはやり手営業部長。
しかしそれはもはや枕営業ではないか、おっさん?
透き通った硝子の目でじっと見返す。深山さんは咳払いして、
「冗談はさておき」
いーや、長い付き合いだからわかるけど、今のあんたの目は本気だった。
部長はしれっと居住まいを正し、真面目な顔で言う。
「とりあえず君の現状は、傷病休暇が適応できると思う」
「福利厚生が利く」
「それと外回りはムリでも、在宅でメール対応や業務サポートできるなら、その分は上手いこと別枠で支給できるよう考える」
「テレワーク」
世の中、いつの間にモンスターが在宅で働けるとこまで進んでいた。
部長が立ち上がり、テーブル越しに私の肩を叩いた。
「いずれ国からの支援もあるだろうし、私もできる限り上に掛け合ってみる。君とご家族を路頭に迷わせることはさせんよ」
「深山さん、すみません……ご面倒お掛けします」
私は改めて三度目、深く頭を下げる。いやもう上がらない。
部長は二人で飲みに行く時の、悪い笑いを浮かべている。
「なァに、俺は口は出すが金は出さん。社員の面倒を見るのは会社の役目だ。こういう時こそ、これまで貸してた分を返してもらうといいさ」
口ではそう言うが、この人は身内はちゃんと守る人だ。これまでいろいろあったけど、うん、この人について来て良かったと思う。
私が感謝に堪えないでいると、部長は壁の時計に目をやり、
「お、とか言ってる間にもう昼だな。じゃあメシにして、午後からは差し当たり急ぎの案件を部下にでも引き継いで……」
そこで私の顔をじっと見て、
「メシは、食うの?」
「は、一応。食事からエネルギーを得て動くんですよ、このカラダ」
「ううむ、不思議なもんなんだな。しかしその姿では店にも入りづらいか。出るついでにコンビニで何か買ってこよう」
「重ね重ねお手数掛けます」
部長はモノ食う人形をまじまじと見て、嘆息した。
席を立った部長に続き、椅子からぴょんと降りる。ドアに手を掛けた部長は、ふと振り向いて、
「ところで、別件だが安治川君」
「はい」
改まった口調に、改まって伺うと。
「時々だが、私とパパ活する気はないかね?」
「深山さん……」
「お手当、別で出すぞ」
「パパ……」
見下ろす視線と見上げる視線、しばし無言で交錯する。やがて、見下ろす視線がふっと逸らされた。
「……冗談だ」
いーや。
長い付き合いだからわかるけど、今のあんたの目は本気だった。
若干尊敬の念を損ないつつ、部長がガチャっと会議室のドアを開く。するとそこには……
オフィスの社員一同が、ドアの前に集まって息を潜めていた。ことにさっきの事務さんなど、最前線でグラスに耳を当てて固まっている。
「何を漫画みたいなことをしておるかね」
部長は呆れてそう言った、が。
「安治川課長、その、俺達……課長が戻られるのを待ってますから!」
若手が叫んだのを皮切りに、
「ご不在中のことは任せてください」
「なァに、すぐ戻ってこられるさ」
「握手してください」
「写メ撮っていいですか」
「大変だろうが頑張れよー?」
部下や同僚が口々に言い募ってくれる。深山部長が、苦笑しつつ愉快そうに私を振り返る。ああ……これは泣きそうになるな。何だ、私って割と人望あるんだ。
うん、聞き違いのようなのも、混じっていた気もするけど。
ありがたいことに、職場でも魔法人形は受け入れてもらえたようだ。安堵する傍ら、カワイイはマジ正義だなとしみじみ思う。
そんな同僚と部下達の温かい言葉は……
「けど、その見た目に“安治川課長”は似合わないですねー」
一人の女子社員の発言に、見事に静まり返った。例の、ラインで[何のモンスターになったんですか?]と聞いてきた子だ。彼女自身は、自ら凍らせた空気にきょとんとしている。悪い子では……悪い子ではないんだけどな……
しかしまあ、彼女にも一理ある。この姿に“安治川大治郎”というズシッとした名は似合わないと、家族にも言われているのだ。
そこで私は取り囲むみなの輪、円形舞台に一歩踏み出した。
「確かに。この人形になった私を、安治川と呼ぶのも課長と呼ぶのも、何だかおかしな気が致します」
沈黙の注目を集め、気分は舞台俳優……いや、女優だ。
「実は娘が、戯れにこの姿に名をつけてくれました」
「ベアトリーチェ・アルカネット・ドロシーローズ――……」
右手を胸に当て、左手はローブの裾を翻し、
「安治川課長が呼び辛ければ、どうぞ“魔法人形”の“ドロシーローズ”とお呼びくださいませ」
魔法人形は観客に向けて深々とお辞儀をしてみせた。
「……え? ベア……ローズ?」
「おまた……?」
ん、やらかした。元々のキャラからの乖離、距離感、温度差。
それは堅物中年がバ美肉おじさん活動を、突如職場でカミングアウトしたような想像を絶する気まずい空間であったという――……




