13.『人形』、出社する
オフィス街。職場の入っているビルを、ちまっとした少女人形が見上げている。漏らしたため息は、たぶんガラス窓に吹き掛けても曇らせはしない。
……――気が重い。
ぼんやり立ち尽くす私に、行き過ぎるビジネスマン&ウーマンがちらちらと視線を寄越す。午前中のオフィス街、小学生女児の風貌は場違いな存在だ。それも頭からフードを被った、ハロウィンみたいなカッコだし。
魔物だとバレたら、騒ぎにならないか、まさか警察沙汰にならないかと、内心かなりドキドキしている。
「はあ……ヤだなあ……」
ヤだけど、いつまでも先延ばしにはできないな。
私は新入社員の初日出社のような、或いは難しい商談に臨むような、憂鬱と緊張を引き連れて、慣れ親しんだビルの自動ドアの前に立った。
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今朝――……昨夜はDrの勧めに従いベッドに入ったものの、輾転反側、人形に眠りは訪れなかった。隣に妻の寝息を聞きながら、やがてカーテンの向こうが薄明るくなっていた。
というか、ベッドに寝転んで初めて知ったんだけどね。
私、目が完全には閉じられない作りなんだよね。
朝のニュースは『魔王』の出現、魔物化した人々、それ一色だった。同じ内容が繰り返される、要点は三つ。
ひとつ、『魔王』は人々を魔物に変えた後、姿を消し沈黙を続けている。二つ、日本国中大困惑だがパニックや騒乱は生じていない。
そして三つ。魔物化した人々に、自我を失った者、狂暴化した者、人を傷つけた者は誰一人存在しない。繰り返される、「魔物になった人々は『被害者』だ」という報道。
テレビを見つめる私の陶器の手を、妻がそっと取った。これなら私が外に出て、会社に顔を出すことも可能だろう。
行きたくはないけどさ。
子ども達、特にいつまでもグズグズ私に構いたがり、家を出ようとしない慎太郎を無理くり追い出して、
「姫~え、お兄ちゃん、学校終わったらダッシュで帰ってくるからな~」
「うんっ、そしたら姫といっぱい遊んでね♪ ……冗談だよ、戻ってくんな。休む? バカ言うな、父さんが悪かった、早く行け、遅刻する」
バカ息子を放り出し、私は可能な限り露出箇所が少なくなるよう身支度をする。マスクと手袋、父親が娘からハイソックスまで貸してもらう。
が、肝心の持ち服が魔法使いのそれ。真っ黒なローブと、同じく黒く古めかしいデザインのチュニック。かなり人目を引く装束だ。
さりとて我が家に今の私に合う衣類はない。智香も絵里香も小柄ではあるけど、それでも彼女らの服を130センチ足らずの背丈で着ると、お母さんかお姉さんの服でイタズラしているチビッコにしかならない。
「絵里ちゃんのお古、みんなイトコにお下がりしちゃったけど、少し残しておけば良かったですねー」
まあ、こんなことになるとは夢にも思わないからねえ。
いっそローブがない方が目立たないかもだが、フードがないと銀色の髪がもっと目出つ。ゆったりした袖口も、手首の球体関節を隠してくれる。結局黒装束が最適解らしかった。
ベストにこだわり立ち止まるなら、ベターでいいから進め。それは私の人生訓であり、今日も正しい。
「いってらっしゃい。気をつけて」
「ああ、行ってくるよ」
もう20年、毎朝交わしてきた妻とのやり取り。けど今朝は、妻は完全に小学生の子を学校に送り出すお母さんの顔を私に向けていた。
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9時台の電車は、いつもの通勤ピーク時と違い空いている。珍奇な衣装の子どもへの視線を意識しつつ、座るほどの駅数でもなく私はいつものようにドア付近で吊革につかまり……つかま……
吊革、こんな高かったっけ?
え、届かないんだけど。
「ふえっ……ん~っ」
改めて、魔法人形のカラダ背ぇ低っ。私は爪先立ちで、精一杯腕を伸ばして……あ、届いた。
ふと見ると、優先座席からご年配のご婦人が、吊革を握る手首だけを不思議そうに見つめていた。
「あ!」
ヤベえ、無意識に“空間転移”してた。
老婦人のきょとんとした顔から逃れるように、私は車両を移るのだった。
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勤め先のあるオフィスビルに踏み入り、エレベーターに乗り込んで6階のボタンを押した私は、既にぐったり気疲れていた。
そんな私のフードのてっぺんを、乗り合わせた他社の部長さんクラスっぽい、頭の寂しいオジサンが訝しげに見ている視線を感じる。
「……おとーさんがお弁当忘れて、届けにきたんですっ」
すると部長オジサンはにっこりとして、
「へえ。エライねえ、お嬢ちゃん」
フードの上から、頭をナデナデしてくれた。
チーン、エレベーターのチャイムが鳴る。
「ありがとうございます! お先に失礼します!」
「はい、失礼します。しっかりしてますねえ」
ニコニコする部長オジサンにペコッと頭を下げ、エレベーターを降りる。
いや、何だ今の小芝居?
このオフィスビルの6階には、三つの会社が入っている。
私は身に染みついた動線で自社のオフィスへと廊下をたどり、無人受付スペースの内線電話を手に取った。電話機の位置も今の背丈には高めだ。
『はい、総務部です』
「あ、その……安治川です。只今出社しました」
『あ、はい……え、安治川さん?』
オルゴールの音のような声で、オッサン営業課長を名乗られ、困惑する総務課女子社員ごと受話器を戻す。
それから“私の到着”が事務所内に浸透するまで、人形の手首に着けた時計の秒針が半周回るのを待つ。マスクと手袋を外す。フードを背後に落とす。
今の私に、あまり意味のない深呼吸をひとつ。オフィスのドアに手を掛けた。
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こちらに向けられた30ばかりの視線、は私の頭上を通り過ぎた。「?」という顔々が50センチばかり下方修正し、そこで一様に呆気に取られる。
私を出迎えに奥から歩いて来ていた上長の深山営業部長も、ギョッと足を止めて固まってしまった。いつも溢れる作り笑顔で来客に挨拶する事務さんも、ぽかんと言葉が出ないでいる。
無理もない。商社のオフィスに、魔女のカッコをした少女人形が襲来したのだ。フツウに「いらっしゃいマ~セぇ」とやられても、こっちがビビるわ。
「……おはようございます。遅くなりました」
スカートの裾をツイとつまんで、膝を折って会釈でもしてくれようかとも思ったが、普段通りの挨拶に止める。
深山部長は思わず私を指差して、
「え……ええ……あ、安治川君?」
「はあ、安治川です。恥ずかしながら、こうなりました」
オフィスはしんと静まり返り、か~ら~の~?
「「「えええええええええ~っ?!」」」
だよね~? オフィス、どよめくよね~?
真面目一本厳つい系のオッサン課長が、ちんちくりんの、透き通る白い肌・硝子の瞳・淡い銀髪のビスクドールと化して登場だもんね~?
部長が人差し指突きつけたまんまでもしょうがないよね~? 電話鳴ってるけど誰も取らないよね~? あまりの騒ぎに隣の会社の人が様子見に来るよね~?
仕方なく、私はスカートの裾をツイとつまんでカーテシーした。
「今後とも宜しくっ」
「あ、カワイイ」
よし、立ち位置ゲット。
すまんね、諸君。私は、昨日今日で少しばかり“自分”について学んだんだ。そして私は、昨日今日の営業マンではないのだよ。
ああ、利用できるモノは何でも利用してやるさあ? 私はカワイイ、カワイイは正義。人間どもよ、私のジャスティスに跪くがいい(闇堕ち)。
キレイなお人形さんの仮面に、キタナイ大人の駆け引きを隠していると、ようやく深山部長が仮復旧した。
「ほ……本当に安治川君なのか」
「ええ、自分でも信じられませんが、私です」
ことさらカチャカチャと球体関節の指を動かしてみせると、同僚や部下はギョッとしたようだったが、部長は両手で頬を擦りつつ、
「そうか。とにかく話を聞かせて……うるさい、いい加減静まらんか!」
さすがは現場叩き上げ、戸惑いながらも振り返ってざわつくオフィスを一喝。コワモテでは“元”私以上の深山さんの叱責、みな慌てて各自の仕事に戻る……ともあれ上辺だけは。
事務所内のウカウカと浮ついた空気を、部長は見回して、
「後で説明の時間は取る。あえて安治川君の前で言うが、この件は全社的にてんやわんやだ。本社から通達があるまでとりあえず通常業務をお願いする」
管理職らしく部内を引き締め、ちょっと考え、ぽつりと呟いた。
「てんやわんや師匠だ」
「……?」
いや、部長。それ今の若いの知らない、つうか我々世代でも厳しくないです?
深山部長は当惑する社内から、当惑の元凶を遠ざけるべく、
「えーと……小会議室が開いているな、そこで」
私の肩をつかんでくるっと押しやろうとして、
「おわ……し、失礼」
ぎくりと手を離した。焦ったのは思いがけず硬い服の下の陶器の感触にか、はたまた華奢な造形にか。
まあ、中年男性が不用意に幼女に触ったら、それだけで職くらい吹っ飛ぶご時世だからなー。
私は部長をフォローすべく、キリキリキリ……首を真後ろに回した。
「ああ、お気遣いなく。これでも男同士、おっさん同士ですよ」
「怖っ! 安治川君、申し訳ないが、それは正直怖いぞ?」
あれま。人形ジョークは人類にはまだ少し早かったか。
それはそれとして。
部長が先に立つのに、従いつつ肩越しにオフィスを覗う。20年通い詰めた職場を硝子の目が、今は天井の高く広々した見知らぬ場所のように映す。PCや書類・クリアファイルを詰んだ我がデスクが、どうにも遠くに見える。
部長に続き、小会議室に入る。人形の小さい背中に、興味津々の視線を感じながら、振り返ることせず私は後ろ手にドアを閉めた。




