第401話 凛とヘッドハンティング1
朝の空気はまだひんやりしていた。
昨夜の熱気が嘘のように、通りには静かな光が落ちている。店の看板も消え、街はすっかりいつもの顔に戻っていた。
「……眠ぃ……」
目をこすりながら、ぼそりと呟く。目の下にはうっすらと影ができて、昨夜のせいで完全に睡眠時間を削られている。
思い返せば――昨日の夜。
「若いうちは回復が早い!!」
「まだまだ夜は終わらねぇ!!」
司が勝手なことを言い出し、ガイがそれに乗って勢いづく。
そんな流れで、結局ずるずると店に残ることになり、気づけば夜どころではない。そんな時間まで、付き合わされていた。
「……さすがにきついな」
まぶたが重い。目はしぱしぱしているし、頭もどこかぼんやりする。耐えきれず、大きなあくびを一つこぼすくらいだ。
「蓮夜くーん!!」
通りの向こうから、弾むような声が飛んできた。
ゆっくりと顔を上げると、朝の光の中――こちらへ駆けてくる人影。白を基調としたワンピースに、胸元には大きな赤いリボン。頭にはボルドー色の柔らかなベレー帽と、手を大きく振っている少女――同じ選択者の紅凛だった。
「おはよ!!」
凛は息も弾ませず、いつもの調子で笑う。
「……おはよ……」
対してぼんやりとしたまま、手を上げて応えた。声もどこか、眠気に引きずられている感じだ。
「……」
すると凛はそのまま近づいてきて――ぴたり、と足を止めた。
言葉はない。ただ、まっすぐに視線だけが向けられている。凛はこちらの顔を、じっと観察するように見つめていた。
「どうした?」
視線の意味がわからず、目を擦りながら問い返す。
「蓮夜くん」
凛は一歩だけ、身を乗り出す。さっきまでの明るい雰囲気は消えて、真剣な顔つきだった。
「すっごく眠そう」
凛は眉を少し寄せ、顔を覗き込むようにして言った。
「実は昨日、司たちに連れ回されてさ……」
頭を掻きながら、苦笑いを浮かべる。
スナック紬での出来事。司とガイの馬鹿騒ぎに巻き込まれ、気づけば帰宅はかなり遅い時間になっていたこと。そんな昨夜の顛末を、簡単に説明した。
「……」
だが、話し終えても凛はすぐには何も言わなかった。
視線だけが、どこか遠くを見るように宙へ向いている。その沈黙に――ほんの少しだけ、嫌な予感がした。
「蓮夜くん」
ゆっくりと名前を呼ぶ凛の声は、声は優しいけれど――いつもより少しだけ低い。不思議と逆らえないような響きがあって、思わず背筋を伸ばしてしまう。
「夜更かしはだめだよ。体調を崩したらどうするの?」
まっすぐ向けられる視線に、凛の言葉はどこまでも正論だった。
「……」
返す言葉がすぐには出てこない。確かに、付き合いとはいえ無理をしたのは事実だ。
「……付き合いなのはわかるよ? でもね、自分の体はちゃんと大事にしないとだめ」
凛は小さくため息をつくも、その声音は責めるようなものではない。どこか心配しているような、やわらかな優しさが滲んでいた。
「……だよな。これからは気をつけるよ」
指摘されていることは、まったくその通りだ。小さく息を吐き頷きながら、反論の余地はない。
むしろ――自分でも、どこかで思っていたことだ。付き合いとはいえ、昨日は少し無理をした。反省すべき点は、きちんと反省するべき。
「うん。素直なのはえらい」
凛はじっと顔を見つめ、それからふっと笑った。ぽんと軽く肩を叩き、いたずらっぽく指を一本立てる。
「睡眠はちゃんと取らないとね」
「そうだな。体調管理もできなければ、一人前を名乗れないぜ」
凛は満足そうにニコっと笑い、助言を素直に受け入れていた。
睡眠不足がパフォーマンスを落とす――そんなことは言うまでもない。集中力も、判断力も、身体能力も大きく鈍る。そこにポジティブな側面など、ひとつもないのだから。
「蓮夜くんを連れ回した人たちには、あとでちゃんと注意をしておくから」
凛は笑顔のまま言った。だが、その笑顔にはどこか妙な迫力がある。
普段の凛は、可愛らしくて柔和な雰囲気の少女だ。
……怒らせると、一番怖いタイプなんだよな。
けれど――内心では、そっとそう思っていた。




