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終末の黙示録  作者: 無神 創太
第七章 過去との対峙

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第396話 司とヘッドハンティング2

「報酬につきましては、現年収をベースに四十パーセント増を検討しています」


 すでに社内で承認を得た条件のため、数字は淀みなく提示できる。一般的な転職市場であれば、破格と言っていい上積みだ。

 しかし本来なら、報酬の話は最後に置くもの。理念や裁量――未来図を提示し、価値を共有したうえで開示するのが常道。だがゴーマンは、順番を許さなかった。


「ほう、四十パーセントか」


 触れていた口髭から指が離れ、ゴーマンは椅子に深く腰を沈め直す。その仕草は、わずかながらも興味を示していた。

 無関心ではない。値踏みが、計算へと移った瞬間だ。


「他には?」


 ゴーマンの短い問いは、確認ではなく――探りだ。“それだけではあるまい”という圧。


「少々お待ちを。……成功報酬型のボーナス。役員待遇でのストックオプションが提示されています」


 司はスマートフォンを取り出し、画面に目を走らせる。

 動作は落ち着いており、焦りも誇張もない。ストックオプション――あらかじめ定められた価格で自社株を将来取得できる権利。つまり会社が成長すれば、その伸び幅がそのまま個人の利益になる仕組みだ。


「……君」


 ゴーマンはそこで、言葉を切った。葉巻をくわえたまま、視線だけが司を射抜く。

 煙は細く立ち上るが、口は閉ざされたまま。間を測っているのか、条件を吟味しているのか。それとも、他の何かを。


「それは本当に、君が持ってきた話か?」


 ゴーマンの低く、重たい問い。提示された条件が、若さと釣り合わない――そう言外に含ませている。

 破格だと感じたのか。あるいは、まだ足りないと踏んだのか。葉巻が灰皿に押し当てられ、赤い火種が潰れて細い煙が途切れる。次の一声が落ちるまで、判断はつかない。


「はい。こちらが当社の、私の持ち込み案件です」


 即答する司が浮かべたのは、とびきりの営業スマイル。愛想の良い笑みだが、その奥の目は笑っていない。

 “私の”と明言したのは、会社の看板に隠れない。誰かの代理でもなく、責任も成果も自分の名で引き受けるという宣言に他ならなかった。


「いやはや、さっきは悪かったな。少し試しただけだ」


 先ほどまで椅子にふんぞり返っていた男が、わずかに身を乗り出す。

 声音も柔らかくなり、空気が変わる。露骨なまでの転調――まさに、手のひら返しだった。


「若いが、これだけの話ができるなら十分だ」


 値踏みは終わった、というゴーマンの宣言。

 最初に向けられた侮りは消え、代わりに浮かぶのは打算を含んだ評価。交渉相手として、“認めた”という態度だ。


「さっそく、契約に移ろうか」


 主導権を握れると判断した瞬間、ゴーマンは一気に踏み込んできた。

 条件は悪くなく、むしろ良い。そう判断をして、決断をしたのだろう。


「以前にもお話ししましたが、今回は電話での会談を含めて二度目。契約はもっと話しを煮詰めてからでも、なにも慌てる必要なんてありません」


 しかし司は、微動だにしない。営業スマイルはそのままだが、その笑みは温度を持たない。

 早くまとめたいのは、相手側だ。ここで急げば、足元を見られる。焦りを見せた側が、最後に譲ることになる。

 だからこそ、引く。押された場面で一歩退くことで、均衡を取り戻す。側から見れば司の微笑みは、どこか無機質で――感情を感じさせない。


「ま、まあ、そうだな。しかし、できる限り早くまとめろ。私には、それだけの価値があるはずだ」


 再び滲むゴーマンの横柄さは、自尊心を保つための一言。

 だが先ほどまでの圧とは違う。そこにはわずかな焦りが混じっている。価値があると言い切るのは、自身に言い聞かせる響きでもあった。


「最後に一つ」


 椅子が引かれる音が響く直前に、司は言葉を差し込んだ。


「なんだ?」


 立ち上がりかけた身体をわずかに戻し、ゴーマンは視線を向ける。

 交渉は終わったはずだった。ゆえに、その問いには純粋な警戒が混じる。


「慈善事業について、どう思われますか?」


 司は営業スマイルを崩さず、声も穏やかだが――空気が変わる。

 報酬でも地位でもない。唐突に差し込まれた“価値観”の話題。


「慈善事業か。正直に言えば、興味がない」


 ゴーマンの言葉には、一瞬の迷いもなかった。


「理由は単純だ。金が戻ってこない」


 そこには迷いも逡巡もなく、ゴーマンは即答だった。慈善という言葉を、感情ではなく損益で裁断する声。


「人が救われると、世の中は美しいと言う。だがこちらから見れば、ただの損失だ。感謝や称賛? そんなものは、一円にもならない。金は、血だ。一滴流すなら、必ず理由が要る」


 ゴーマンの言葉は冷ややかだが、ある意味で芯は通って聞こえる。

 金は血。流せば失われるならば、回収の見込みがなければ流さない。それは強欲というより、徹底した合理主義。善意を否定するのではなく、対価がないことを認めないだけだ。

 ゴーマンなりの哲学。功績を築き、権威を握り続けてきた男。それがその、生存戦略。


「お答えに感銘を受けました。今日はありがとうございます。また後日、連絡をさせてもらいます」


 司は変わらぬ営業スマイルを保ったまま、深く一礼をする。その微笑みの奥を、読み取ることはできない。

 否定もしない。賛同もしない。ただ、受け止めている。


「うむ。待っているよ」


 ゴーマンは満足げに頷き、立ち上がる。重い靴音が大理石を叩き、遠ざかっていく。

 金色の背中は昼の光を受けて鈍く輝き、ラウンジに残るのは――葉巻の残り香と静寂。今回のヘッドハンティング面談は、ひとまずの幕を下ろした。


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