一 岡山の夜、酒と女と肝試し
岡山に戻ってくるのは、ずいぶん久しぶりだった。
もっとも、懐かしさで帰ってきたわけじゃねぇ。
大阪でそれなりに稼げるようになった今の俺が、地元の連中に顔を見せてやろうと思っただけだ。
高校を出ると同時に岡山を離れ、大阪の不動産会社に潜り込んだ。
最初のうちはセンパイどもに怒鳴られ、客どもに舐められ、朝から晩まで走り回らされたが、結局こういう仕事は度胸のある人間が勝つことを俺は知っていた。
相手が嫌がることでも、必要なら押し切ればいい。
揉めそうなら先に相手の弱みを握っておいて、それを武器に黙らせるのさ。
どんな方法を使っても構いやしねぇ。最後に判を押させればこっちの勝ちだ。
そうやって数字を積み上げているうちに、年収は三千万を超えた。
俺を舐めたセンパイどもは、みんな店から追い出してやった。今じゃ、その店は俺の天下だ。
俺を舐めた客どもは、全員、自宅を奪い取ってやった。二束三文で買い取ってやったから、今頃、ホームレスだろうよ。ざまぁねぇ。
世の中なんて、結局は度胸でどうにでもなる。金はそれで自然とついてくるもんよ。
今回の旅行も、俺にとっては半分くらい凱旋のつもりだった。
旅館代も、酒代も、全部俺持ちだ。
連れてきたのは、高校時代からの舎弟であるダイスケとユウイチ、それに、あいつらへ調達させた女たちだった。
二人とも、昔から俺の後ろをへらへら笑いながらついて歩いていた連中だ。いい歳になった今でも、俺の前では頭を下げ、俺の金で酒を飲み、機嫌を取るように愛想笑いを浮かべている。
まるで犬みてぇな連中だな。その光景を眺めているだけで、わざわざ岡山まで帰ってきた甲斐があるってもんよ。
旅館は山あいの温泉宿で、少し古臭いが、悪くはない雰囲気だった。
ひと風呂浴びて宴会用の広間に移る頃には、俺はすっかり上機嫌だった。
座卓には刺身だの鍋だのが並び、ビール瓶と徳利もぎっしり並んでいる。
宴会が始まり、バカ騒ぎをした。声がデケェってんで店員共から苦情が来たが、そのバカ店員に五枚握らせてやったら、ペコペコして下がっていきやがった。馬鹿野郎め。
高校の頃、俺にパシリみたいに使われていたダイスケが、やたらと甲斐甲斐しくグラスを満たしてきた。
「新弥さんはやっぱスゲェや。大阪のような都市で、そんなに稼いでるなんて、ホント別格っすよ! 大物っすね!」
「オメェらが、ぬるいだけじゃねぇかよ、ウスノロめ」
そう言ってやると、周りは愛想笑いを浮かべた。
侮辱されて笑っていやがる。気持ちわりぃやつらだ。
ダイスケの隣にいた女が「でも本当にすごいですよねえ」と甘ったるい声を出しやがる。
こういう反応は嫌いじゃない。
金を払っている甲斐があるってもんだ。股間にもいい具合に響きやがるしな。
岡山にいた頃、俺は地元じゃそれなりに名の通ったワルだった。
喧嘩も女も、たっぷり楽しんだ。
気に食わない奴がいれば脅したし、金が欲しけりゃ、それなりのやり方で手に入れた。
今思えば、あの頃からやってることの根っこは変わりゃしねぇな。
ただ、舞台が学校から会社に変わっただけだ。
相手が教師や同級生から、地主や客に変わっただけで、押しの強さで相手をねじ伏せるやり方も同じだった。
欲しいものは、どんなことをしてでも手に入れる。
男ってやつは、そういう生き物なのさ。それをできねぇ奴が、結局、負け犬になるのさ。
実は、今回の旅行にも、欲しいものがあった。
一行の中に、ひとりだけ妙に目を引く女がいたのだ。
その女は、ナミという名前だと名乗っていた。
ダイスケたちが連れてきた女の一人だろう。悪かねぇ趣味だ。
「なあ。あの女、どっちが連れてきたんだ?」
俺が尋ねると、ダイスケとユウイチは顔を見合わせた。
「あの女?」
「誰のことっすか?」
「ナミだよ。そこにいるだろうが」
俺はナミを指さした。
ナミは座敷の隅に座り、こちらを見ていた。
だが、二人は俺の指さした先を見ても、怪訝そうな顔をするだけだった。
「……新弥さん、誰もいないっすよ」
「はぁ?」
「いや、マジで。ナミって誰です?」
「けっ。酔っぱらってんじゃねぇよ」
俺は鼻で笑って、それ以上相手にしなかった。
この程度の酒で潰れるとは、軟弱な野郎どもだ。まったく頼りになりゃしねぇ。
どうせ他の女どもの知り合いか何かで、うまい汁を啜るために紛れ込んできた類の女だろう。
まあ、そんなことはどうでもいい。
俺にとって大事なのは、そいつがイイ女かどうか。それだけだった。
ナミは派手な美人じゃない。むしろ地味な方だろう。
けれど、妙に男の目を引く顔をしていやがる。
線の細い顔立ちで、口元にうっすら笑みを浮かべているだけなのに、どこか目が離せない。儚げというのか、強く押したらそのまま折れそうな感じがある。
俺はそういう女が好きだった。
高校の頃にも、そんな女がいたような気がする。
牛蒡のように黒くて細くて、根暗な女だったような気がするが、よく覚えてねぇ。
まあ、どうでもいい。
酒の席で、わざと少し下品な冗談を飛ばしてみる。
たいていの女は、そこで二つに分かれる。露骨に引くか、愛想笑いでやり過ごすかだ。
ナミは後者だった。
嫌な顔ひとつせず、曖昧に笑って受け流す。
かといって媚びるわけでもない。その距離感が、かえって俺の気を引いた。
「ナミ、あんまり飲んでねぇじゃん。せっかくなんだからよ、もうちょっと楽しめよ」
「……飲んでますよ……」
「そうは見えねぇぜ。お前、酔ったらどうなるんだ? あ?」
「……どうもなりませんよ……」
「けっ、つまんねぇ返事しやがる」
そう言って俺が笑うと、ナミも小さく笑った。
ふと、ダイスケがこちらを見た。
「新弥さん、さっきから誰と喋ってるんすか?」
「あ?」
「いや……何でもないっす」
「ボケナスが、見てわかんだろ? いま、イイトコなんだよ。黙ってろ」
俺が睨むと、ダイスケはそれ以上何も言わなかった。
改めてナミを見つめる。本当に静かな女だ。
まるで死人みてぇに顔色が悪く口数が少ねぇが、馬鹿みたいにきゃあきゃあ騒ぐ女より、そのくらいの方がちょうどいい。
こういう女を腹の下で乱して、ヒイヒイ言わせるのがたまらなく好きだ。
今夜、うまくいけば部屋に連れ込めるかもしれねぇな。
そんな計算は、かなり早い段階から俺の頭の片隅にあった。
宴会が進むにつれて、座はどんどん緩んでいった。
ダイスケは昔話を始め、もう一人の舎弟であるユウイチも、「新弥さん、高校の頃マジで怖かったっすよね。オーラがやばかったです」とへらへら笑う。
女たちはそのたびに、「えー、見てみたかった」とか、「今も十分怖そうですけど」だのと、調子のいいことを言ってくる。
俺は適当に相槌を打ちながら、昔どれだけ好き放題やっていたか、今の仕事でどれだけ厄介な客を捻じ伏せてきたかを聞かせてやった。
ついでに、今の年収や会社での立場も教えてやった。こういう連中には、分かりやすい数字を見せてやるのが一番早いのさ。
案の定、どいつも面白いくらい感心した顔をした。
舎弟どもはますます媚びたように笑い、女たちも目の色を変えている。俺に金の匂いを感じているのだ。
結局のところ、人間なんて単純なもんだ。
強い奴と、金を持ってる奴の前では、勝手に頭を垂れやがる。
ただ、一人だけ、ナミは冷めた顔をしていた。
少し癪に障ったが、それ以上に欲情した。あの女は、絶対に抱き潰すと誓った。
そのうち、誰かが近くの心霊スポットの話を始めた。
この辺りには、地元で『鬼が岳』と呼ばれている山があるそうだ。
もちろん正式な山の名前ではない。いつからそう呼ばれているのかも知らねぇが、地元の人間は昔からそう呼んでいるとのことだ。
その鬼が岳の山中に、有名な廃校があるらしい。
山の中に取り残された古い木造校舎で、夜になると誰もいないはずの校内に放送が流れるという。
「校内放送?」
「あ、私、聞いたことある。誰もいないのに、放送室から雑音が流れたり、二階の音楽室から合唱が聞こえたりするんですって。あと、ランドセル背負った子供の足音が走り回るとか」
話しているのは、女の一人だった。この辺りの出身らしく、得意げに怪談を披露している。
他の女たちは「やだ、怖い」と言いながらも、まんざらでもなさそうに身を寄せ合った。
ナミだけは、何も言わない。
ただ静かに座り、話を聞いていた。
誰も彼女に話を振らない。誰も彼女の方を見ようともしない。
俺はそのことを、特に不思議には思わなかった。
最初、俺は鼻で笑った。
「何だそりゃ? 今どき幽霊かよ」
「でも、ほんとに有名なんですよ」
「新弥さん、こういうの苦手だったりします?」
「まさか。バカにするんじゃねぇ。俺に怖ぇもんなんてねぇよ」
別に心霊話なんかどうでもよかったが、酔った連中が「せっかくだし行きましょうよ」と騒ぎ始めたあたりで、俺の方も考えが変わった。
暗い廃校。
酒の入った男女。
怖がって悲鳴を上げる女。
そういう場所なら、距離を詰めるのは簡単だ。
肩を抱くなり、手を握るなり、いくらでも口実ができる。
肝試しなんてのは建前で、俺の狙いは最初から一つだった。
ナミを抱くことだ。
「どうするよ、ナミ。怖いなら、俺がついててやるぜ」
冗談めかして言うと、ナミは静かに俺を見た。
少なくない酒が入っているから酔っているはずなのに、目だけは妙に醒めて見えた。
「……行きましょう……」
それだけ言って、ナミはグラスを置いた。
その声に反応した者は、俺以外には誰もいなかった。
愛想がいいわけでもないが、断る気もなさそうだった。
実に都合がいい女じゃねぇか。ますます気に入ったぜ。
俺は上機嫌のまま立ち上がった。今夜をどう楽しむか、それだけを考えながら。
こうして俺たちは旅館を出て、鬼が岳の奥深くにある廃校へ向かった。




