虫飼いと少女
重苦しい空気が充満するテントの中、口火を切ったのはパラディオだった。
「これだけの証拠が揃っているなら、例の人物がゼルカロで、なおかつガルアに接触したことは間違いありません。……どうされますか、猊下」
その一言だけで、ヴァルカモニカはパラディオの懸念を察したようだ。
「これからのガルアへの対応と、謎のゼルカロへの対策か……。うぅむ、ガルアだけでも厄介なのに、更にゼルカロまで絡んでいるとは頭が痛いな」
「あの……ヴァルカモニカ様。ゼルカロとはなんでしょうか?」
珍しく弱気な様子でナスカが尋ねた。全員の視線を一気に受けたナスカは気まずそうに咳払いしたが、開き直って堂々と述べた。
「俺は魔術の類はさっぱりなので、ゼルカロのことは全くわかりません。猊下がそこまでご心配なさるほど厄介なものなのでしょうか?」
「ゼルカロってのは空間移動に特化したアルトネア固有の奇術だ。滅多に術者が現れないんで、ここ最近は存在自体が疑われていたが」
答えたのは色彩魔導師のトロギルだ。彼は難しい顔で腕組みをしたまま、ゼルカロについての説明を続ける。
「奴らの最大の特徴は、鏡や鏡と同等の効果がある物質を中継して時空を超えるということだ。分かりやすく言えば、鏡を渡り歩くってところか。つまり、鏡面さえあれば、世界中どこにでも飛んでいけるってわけだ」
専門分野だと言わんばかりに悠々と答えるトロギルに、ナスカが続けて質問した。
「それのどこが脅威なんだ? 時空移動なら、お前の白の魔術でもできるだろう」
「白の魔術で使える時空移動は、かなり魔術的制約がかかってる。移動できる距離にしろ、中継地にしろ、な。それに、使った時にどうしても魔術反応が出るから近くに魔術師がいたら感づかれちまうんだよ。だが、魔術というよりは一種の特異体質といえるゼルカロは魔術反応を残さないし、条件さえ満たせばどこにでも飛んでいける。要するに、ゼルカロは時空移動に関しては世界最高峰の能力だ」
トロギルは面白くなさそうに返答すると、ヴァルカモニカに向き直った。
「残念ながら、私には対処の仕様がありませんよ。奴らの時空移動は何の痕跡も残さないし、魔術で止める方法もない。とりあえず、今ある鏡や鏡に近いものを廃棄するくらいしか」
「磨いた金属類などはどうなる? それも中継点と見なされるのか?」
ヴァルカモニカがトロギルに鋭く問う。色彩魔導師はハッとしたように目を見開き、しばらく沈思したのち苦い表情を浮かべた。
「そうかもしれません。奴らが空間移動に使えるものの定義が『何かを映すもの』だとするのなら、十分にありえますね。ただ、ゼルカロの資料は極めて少なく信憑性の高い情報もあまりない……断言はできません」
もし磨かれた金属なども“鏡と同等の作用を持つもの”に含まれるなら、これから武器を手に攻撃をしかけるという連合軍にはゼルカロは煩わしい能力だ。確かに細心の注意を払っていれば簡単に寝首をかかれることはないだろうが、彼らが音もなく時空を移動する厄介者であることに変わりはない。
黙り込んだ三人の前で、ヴァルカモニカが何かを諦めたかのように宣告する。
「……第四皇女アネリが、ファンブリーナで謎の失踪を遂げたことは皆も周知だろう。実はあの時、ゼルカロに誘拐されたのかもしれないとの情報があったのだ」
ヴァルカモニカの言葉に一同は唖然とする。
アネリの失踪は、ヴァルカモニカの言うとおりパラディオたちも知っていたことだ。だが、それにゼルカロが絡んでいるかもしれないというのは初耳だ。
パラディオが尋ねた。
「なぜそれを黙っておられたのですか? アクル陛下は、彼女のことを大層心配しておられたのに」
アネリを目に余るほどかわいがっていたアクルは酷く騒ぎ立てたが、アネリは自ら行方を眩ましていたので、一部の者は彼女の失踪を「過剰に愛を注ぐアクルに嫌気が差し逃げ出した」と見なしていた。しかし、それがゼルカロに誘拐されたとなると――。
「ある青年から聞いただけだったので、本気にしていなかったんだ。今更ながら、彼の証言をもっと信用しておくべきだったと後悔している」
ヴァルカモニカは疲れたように苦笑し、三人の部下の顔を順番に眺めた。その顔には、明らかな自責の念が浮かんでいた。
「ここだけの話、もし彼女があの宮殿から自由になれるのなら……私はそれでも構わないと思っていた。だが、現実はどうだろう。ゼルカロの存在がここまではっきりした今となっては、彼女が大変なことに巻き込まれてしまった可能性は否定しがたい」
ヴァルカモニカの言葉に、パラディオはまたしても黙り込む。
アネリが宮殿で軟禁されるように生活していたのは、軍部上層部ではよく知れたことだった。老帝がかわいい末娘を尋常ではないほどに愛で、人目に触れさせることも嫌ったためである。そのため、アネリはそれまで皇都を出たことがないばかりか、宮殿から出たこともなかったと聞く。
そんな状況を知っていれば、彼女が王宮から逃げ出してしまいたくなっても不思議ではないと枢機卿は思ったのだろう。
「お気持ちはわかります、猊下……。ですが、今はアネリ様のことよりも、差し迫った問題であるゼルカロとガルアについて考えなければ。アネリ様の救出については、今の段階ではなす術がありませんから」
パラディオの忠告に、ヴァルカモニカは潔く頷いた。不遇な幼い皇女を案じてはいるのだろうが、彼は私情に流されるほど甘い男ではない。
「ああ、わかっている。私の仕事は連合軍の総括であって、アネリの保護者ではない。かわいそうだが、彼女のことは……」
ヴァルカモニカはそれ以上言わなかった。パラディオたちにも、枢機卿が口を噤んだ理由ははっきりわかっていた。
外に出ると、よく見慣れた赤毛の短髪が目に入った。パラディオは報告の間中テントを警備していたのであろう少女の背に、おどけたように声をかける。
「そこにおられるのは我らが猊下の親衛隊、天才剣士メリダ様ではありせんか? いやはや、こんな寒天の中お勤めご苦労様です」
パラディオの言葉に、メリダが肩を揺らしながら振り返る。そこには、いつもと変わらぬ可憐な笑顔があった。
「これはこれは、誰もが羨む猊下の右腕にして世にも稀な奇術師、パラディオ様ではありませんか。そちらこそ、こんな早朝からお仕事とは感服ですわ」
パラディオはメリダの反応に笑い声を返し、彼女の隣で足を止めた。鼻の頭を赤くして自分を見上げる少女の肩に、パラディオはそっと自分の外套をかけた。
「君の笑顔を見てると気が楽になるよ、メリダ。状況はあまり思わしくないってのにさ」
「やはりガルアは黒なの?」
メリダはパラディオの外套を嬉しそうに羽織り、何でもないように尋ねた。もとからガルアを信用していないと言っていたメリダには、今回の騒動は特に驚くことでもないようだ。
「何とも言い難いが、彼が何かを企てていることは確かだよ。それがなんのためなのかまでは計りかねるけど」
パラディオは唸るように答え、前方に広がる雪原を見渡す。穏やかに降り積もる雪は、まるで真実を隠そうとしているようにも思え、彼は深々と溜め息をついた。
──と、パラディオの左頬に冷たいものが触れる。
「私が彼を斬ってもいいのよ? そうすれば、あの目障りな参謀に煩わされることもなくなるでしょう」
メリダがパラディオの頬をそっと撫でた。そこには、ファンブリーナの地下道で帝国の軍曹に斬られた傷跡がうっすらと残っている。
「ガルアは死んでなお人を陥れるような男だ。無計画に手を出すのは危険だよ」
パラディオは冷たくなったメリダの手に自分の手を重ね、少女の手の小ささに微かに動揺する。
いくら身長が高くても、いくら強くても、彼女はあくまで年頃の少女だと事実がパラディオの心を曇らせた。
「……なあメリダ、君はなぜ剣士になった? 君は猊下の管轄にある孤児院の出だと聞いたことがあるけど、それならそれで他の人生も選べただろう。なのになぜ、敢えて戦いの道に入ったんだ?」
パラディオの問いにメリダはきょとんとし、おもむろに手を下げた。そして、自分の腰に吊された剣を見ながら、どこか他人事のように呟く。
「強くなりたかったの。ただ、それだけよ」
メリダは言葉を区切り、凛々しい表情でパラディオを見上げる。
「無力で何もできない子どもでいるのは、待っているだけの女でいるのは、どうしても嫌だったの。今は戦争中で、祖国は力を必要としていて、だから私も強くなって、自分の力で何かを変えたいと思った」
メリダはそこまで言うと、ふいに優しげに微笑んだ。
その笑みは普段とは違うどこか魅惑的な“女”の笑みにも見え、パラディオはどきりとする。
「──そして、守りたい人を見つけた。だから私は、彼のために戦いたい。それが私にとっての幸せよ」
メリダに真っ直ぐに見つめられ、パラディオの鼓動が速まる。パラディオは困惑を隠すように目を逸らしたが、メリダはパラディオの方に身を寄せ彼の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、聡い貴方のことだから、いい加減に気づいているんでしょう……? 私が誰をこんなに恋い慕っているのか──」
「今までの態度は、女の子なり社交辞令というか、君なりの冗談だと思っていた。まさか本気だなんて、これっぽっちも」
パラディオはわずかに後退り、上擦った声で返答した。しかし、メリダは相変わらず強気だった。
「口達者な割に押しに弱いのね、貴方。女性に口説かれるのは初めて?」
「そんな風に大人をからかうのはやめろ。僕は絶対に君の想いに応えられないんだ!」
思いがけず飛び出した強い拒絶の言葉に、パラディオ自身もたじろいだ。案の定メリダは傷ついた表情で彼を見ており、パラディオは自分の失態を後悔した。
メリダの顔に、ゆるゆると寂しげな色が広がっていく。
「そんなに私のことが嫌いなの……?」
パラディオは自分の迂闊さに目眩を覚えつつも、震えながら涙をこらえている少女の肩に優しく手を置いた。
「違う、そんな理由じゃないんだ。いつも献身的に支えてくれる君のことが嫌いだなんて、あるはずないだろう」
「でも、絶対に応えられないって」
「それには別の事情が」
「別の事情ってなに? 他にどんな理由があるっていうの? 教えてよ」
「それは……」
言い淀んだパラディオに、メリダが刺すような眼差しを向けた。だが、涙で潤んだ翡翠色の瞳のせいで彼女は酷く幼く見え、歪めた顔に迫力など微塵もない。
「貴方は時々、そうして私たちと距離を置こうとしてる。私たちに、いつも何か隠してる。どうしてなの? どうして何も教えてくれないの、パラディオ!」
痛切なメリダの叫びに、パラディオの胸が締めつけられるように痛んだ。
メリダのことは嫌いではない。憎からず思っている。
いや、彼女にはむしろ好感を抱いている。
だが──。
パラディオは長く息をつくと、微笑みながらメリダの顔を覗き込んだ。
「……僕も、君のことが大切だよ。君がいてくれることが、心の支えといっても過言じゃない」
ぐすぐすと泣いていたメリダが、驚いたようにパラディオを見上げた。
しかし期待した目を向けるメリダとは対照的に、パラディオはどこか悲しげな口調で続ける。
「でも、君の想いに応えることはできない。君だけじゃなく他の誰であっても、応えられない。僕は、他者と深く関わることが怖いから……」
「……どうして?」
メリダが不安そうな声で問いかけた。パラディオはどうしたものかと思案したが、腹を決めて苦笑を浮かべた。
「君は、僕の能力を気味が悪いとは思わないか? 僕が何故こんな力を持っているのか、不思議に思ったことはないか?」
「不思議に思ったことはあるけど、気味が悪いと感じたことは一度もないわ。本当よ」
真っ直ぐな眼差しで答えたメリダの目を見返し、パラディオは一層虚しさと悲哀に襲われた。
いつまでも期待させていては駄目だ。はっきり真実を伝えなければ。
「メリダ……聞いたことを後悔しないでくれるかい?」
「ええ。絶対に」
迷いなく答えたメリダを見つめ、パラディオはごくりと唾を飲み込む。
「実は、僕──」
「パラディオ、メリダッ!」
パラディオの声を遮り、よく知った声が響いた。
振り返った二人の目に映ったのは、枢機卿のテントを共に退出したあと、ガルア周辺を探りに行くと言っていた銀髪の暗殺者だ。
「こんな緊急時に呑気なもんだな、ああ? 臆面もなく朝っぱらからいちゃついてんじゃねぇぞ。お前らも仕事に戻れ!」
パラディオはメリダの顔に明らかに怒気が広がっていくのを見とり、慌ててナスカと彼女の間に割って入った。
「違うよナスカ、僕らは仕事の話をしてただけだ。だから、そんな言い方はやめてくれよ」
「じゃあ、そこの親衛隊のお嬢さん。こっちに来て警備の仕事を手伝ってもらおうか」
どうやらナスカはメリダとパラディオの関係に気づいており、なおかつそれをからかって楽しんでいるようだ。実際暗殺者の顔には、こぼれんばかりの嫌らしい笑顔が張り付いている。
パラディオがこのガキ、と罵りたいのをこらえていると、従順に大人しくしていたメリダがふいに彼の服の袖を引いた。
「続きは? まだ大事な部分を聞いてないわ」
「無粋な邪魔が入っちゃったから、その話はまた今度にしよう。あまり人に知られたくない内容だしね」
困ったように笑うパラディオに、メリダは膨れ面をしてみせた。
「またそうやって逃げるのね。貴方は卑怯だわ」
「したたかだと言ってくれ」
「いいえ、卑怯よ。こんなに女性を困らせるなんて、本当に酷い人」
パラディオはまたしても苦笑いし、メリダの短髪をくしゃくしゃと撫でた。見た目に反し柔らかい赤毛がかわいらしく思え、パラディオは冗談めかして陽気な笑い声を上げる。
「近い内に必ず教えるよ。だから拗ねないでくれ、かわいい剣士さん」
メリダは照れたような怒ったような目を向けたが、ナスカの方へ歩き始めた。
メリダが振り返り、小さく囁いた。
「絶対よ」
パラディオは頷いた。




