決別
皇国軍の間でガルアに対する不審が高まり、それを危惧したバレンシアが参謀副長のテントを訪れたのは、パラディオたちが鏡を発見した翌日の夜だった。
バレンシアは、テントに入るやいなや顔をしかめた。
「貴方、最近ずっとチェスで遊んでるのね」
そう非難されたガルアは大して反省した様子もなく、簡素な机の上に置いたチェス盤を爪で叩いた。
「ピトンから借りてきたんだ。結構な年代物みたいで、なかなか風情があるね。いやぁ、さすが商家の息子だよ、いい掘り出し物を持ってる」
「私はチェス盤の話をしにきたわけじゃないんだけど」
──本当に、どうしてこんないけ好かない男になってしまったのだろう。
バレンシアはかつての教え子を注視しながら、心の中で呟いた。
「そんな風に見られると照れるだろう。やめてくれよ」
仁王立ちで自分を見下ろすバレンシアに、ガルアは涼しい顔で嘯いた。バレンシアはちっとも照れてなんかいないくせに、と毒づき、単刀直入に告げた。
「皇国が貴方を疑っている。理由は詳しくわからないけど、貴方がアルトネアと通じているのではという噂をちらほら聞いたわ。……何をしでかしたの、リマ?」
「何も。彼らに害が及ぶようなことは、全く」
バレンシアは一向に薄笑いをやめないガルアに苛立ち、参謀副長の顔を覗き込んだ。だが、険しい表情で睨みつけるバレンシアなどまるで何とも思っていないように、ガルアの金色の目は揺らがない。
バレンシアが声を落として問いかける。
「何をしようとしてるの? この連合軍を使って、アルトネアを攻撃して……何が目的なの? 貴方のことだから、この制圧戦にもまた何か裏があるんでしょう」
バレンシアの質問に、ガルアはわざとらしく肩を竦めた。
「目障りなアルトネアを黙らせる、それこそが僕の目的だよ。それ以上の意味もそれ以下の意味もないさ」
バレンシアは明らかに何かを隠しているガルアの態度に、ますます不愉快な気分になった。
物事をはぐらかすことばかり上手くなって──。
「リマ。貴方とは長い付き合いだから、今貴方が何かを隠してることはわかってるの。だから、私のことを信用して全部話して。じゃないと、本当に貴方のことを信じきれなくなりそう」
「別に君に信用されたいとは思ってないし、君を信用していないから何も教えないわけじゃない。これは参謀副長としての仕事だ。だから、無闇に口外するわけにはいかないんだよ」
平然と答えたガルアの前で、バレンシアは諦観の籠もった溜め息をついた。
よくよく考えれば、ガルアの言っていることがまるで間違っているわけではない。情報が命より重いこともある戦場では、伝えるべきこととそうでないことを見分ける能力が重要になってくる。特に、参謀であり戦略の要であるガルアは、迂闊に情報を漏らすことが許されないのだろう。
しかしながら、自分は信頼されていないのではという落胆がバレンシアの心を陰らせる。幼い頃から世話を焼きそれこそ弟のように思っていたガルアが、自分にすら本心を打ち明けてくれないのは、バレンシアにとっては酷く心苦しいことなのだ。
バレンシアは詰問することを諦め、寂しげな顔でガルアを見つめた。
「貴方が私の教え子だったのはもう昔のことだけど、私は今でも貴方が大切よ。当時の貴方は不遜で生意気で、そのくせ妙に物分かりのいい子どもで、だからこそ私は貴方が心配だったの」
言葉を区切ったバレンシアに、ガルアが片眉を吊り上げた。どうやら心外だったらしい。
「貴方みたいに優秀な人は、能力の使い道を誤ったときにとんでもないことになるんじゃないかと。実際貴方は最年少で参謀副長にまで登り詰めた天才で、枢機卿と協力関係にまで漕ぎ着けた唯一の帝国軍人で、そして今、アルトネアまでも陥れようとしている。でも……」
そこまで言って、バレンシアは口籠もった。そして、躊躇いがちに言葉を選びながら続ける。
「このままだと、貴方はいつか道を誤ってしまうような気がしてならないのよ。そう、だからこそあの人──ライグのように、貴方の指南となってくれるような存在が必要に思えて……」
バレンシアが寂しげにこぼした『ライグ』という名に、ガルアの表情が変わった。
「ライグ?……ああ、あの唐変木の分からず屋か。君を捨てて出ていった、忠義だなんて幻に縋る馬鹿な男──」
「やめてっ!」
吐き捨てるように罵ったガルアに、バレンシアは悲鳴のような声を上げた。
「そんな風に言わないで、彼はそんな男じゃないわ……。彼は、帝国の為に戦うという自分の信念を貫いただけ。だから、彼の決意を馬鹿にしないで……!」
「だが、あの男が僕の期待を裏切ったことは事実だ。僕を見限ったことは真実だ」
ガルアは無情に切り返し、バレンシアに向かっていつになく強い口調で告げる。
「そもそも本当に帝国の民のことを思うのなら、今の腐敗した上層部のために戦うことのほうが馬鹿げている。そんな腐りきった俗物共に忠誠を誓うくらいなら、いっそのこと今の政権を皇国と共に打ち倒し、皇国と協力関係を結んだほうが、民にとってもこれからの国家関係にとってもいいに決まってるんだ」
ガルアが言っているのは、簡潔にまとめるなら「これからの帝国に未来はない」ということだ。そして、これからの時代を担うであろう新しい勢力──皇国と共に生きることが最善の策だということだ。確かに腐敗した軍国主義の帝国と、民の尊重を掲げる皇国では、どちらがより人民に必要とされているかはいうまでもない。
だがそれでも、バレンシアの祖国は『ベルギナ帝国』だ。バレンシアが生まれ育ったのは、紛れもなく帝国という国家なのだ。いくら腐敗していようが、衰退していようが、帝国という存在がバレンシアにとって愛すべき祖国であるという事実に変わりはない。
「……私は、貴方のように簡単には割り切れない。たとえ祖国が無情な軍事国家だとしても、だからといってすぐに皇国に取り入ろうとは思えない。私もライグと同じで、帝国を守りたいから戦ってきたの。私は軍人だから、なおさらそう思うのでしょうけど」
凛然と言い放ったバレンシアに、ガルアはあからさまに怪訝な顔をした。
「おいおい、君までそんなことを言うのか。言っておくが、感傷で国を守れるわけじゃないし、そういった感情的な行動原理は理性の前には無力だ。結局は、どれだけ冷静に、合理的に判断を下せるかが勝敗を分けるんだよ」
バレンシアはかぶりを振り、憐憫の籠もった目でガルアを見つめた。
「そういう風に打算でしか物事を考えられないのなら、それは寂しい生き方ね。だって、貴方は大切なものを守るために戦う冥利も、誰かを愛する喜びもわからないんだから」
バレンシアの言葉に、ガルアの表情が凍りつく。それは、ガルアのことをよく知るバレンシアも見たことがない、驚愕と畏れを孕んだ表情だった。
だが、彼が感情を面に出したのは一瞬だった。ガルアはすぐに例の薄笑いに戻ると、どこか呆れたように語り始める。
「なるほど、君らは似た者同士ってことか。どうりで惹かれ合うわけだ」
バレンシアは一体何のことかと訝しんだが、ガルアがライグのことを言っているのだと気づき身を乗り出した。
「ライグは自分に正直で、真っ直ぐな人だったの。だから、決して貴方に愛想を尽かしたわけじゃないわ。どうしても、自分の思いに嘘をつけなかっただけで」
「確かに彼は馬鹿正直だったけどね……。でも、今僕が考えているのはそういうことじゃないんだ」
きょとんとしたバレンシアの肩に、ガルアが嫌に優しく手をかける。
ガルアは冷えた笑みを浮かべながら、ゆっくりと言い聞かせるように囁いた。
「あの軍曹と似てる君は、僕のところにいるべき人間じゃない。……なんであの時、彼と一緒に離反しなかったんだ?」
そう問われたバレンシアは、困惑と衝撃で目を見開く。
「なぜって、貴方が、心配だったから。貴方を、一人にしてはいけないと思って」
「あぁ、やっぱりそんな面倒臭い理由か……。大丈夫、大きなお世話だよバレンシア」
「え……」
相変わらず冷笑を浮かべるガルアに見据えられ、バレンシアの肌が粟立った。ついで、彼女の中に失望にも似た悲憤の情がこみ上げる。
──大きなお世話って、どういう意味?
私がリマを気にかけることが迷惑ってこと──?
「まだわからないのか、ミス・エルフォード。僕は、君の気遣いが重いって言ってるんだよ。そして、あの軍曹と同じように僕の考えを貶す君が、心底不愉快なんだ」
ガルアの言葉が、まるで鉛のようにバレンシアにのしかかる。
気がついたときには、バレンシアはガルアの頬を力の限り張っていた。
「……………酷い……」
バレンシアは自分の声が震えているのに気づき、怒りと羞恥で更に赤面した。
が、張り手を受けた当の本人は涼しい顔のままだ。バレンシアにぶたれた左頬が赤くなっているのも気にしていない様子で、彼はなおも残酷に言葉を連ねる。
「酷い? 何が? 僕は、君は僕よりも軍曹と一緒にいるべき人間だと教えただけだ。むしろ、僕に反発する裏切り者ともいえる君らを処分しようとしない僕の心の広さに感服してほしいね」
「ふざけないで! 先に帝国を、私たちを裏切ったのは貴方じゃない! 皇国と手を結ぶのが最善の道だからと言って、私たちの思いを蔑ろにしたのは貴方でしょ!」
怒鳴ったバレンシアに、ガルアは盛大な笑い声を上げた。
「そこまで言うなら、君も僕を見限って出て行けばいいだろう。言っておくが、優秀な軍属時魔導師なら他にもいる。君が抜けたところで、僕の計画にはなんら支障はないんだよ」
笑いながらバレンシアを不必要だと宣告したガルアに、バレンシアは言い難い失望と虚脱感を覚えた。ガルアの言葉は、バレンシアが彼を大切に思っていたからこそ深く心に突き刺さり、沸き上がる悲しみをより一層飾り立てる。
──ああ、どうしてこんなに冷淡になってしまったのだろう。
どうしてこんなに歪んでしまったのだろう。
しかし、今更後悔してもなんの意味もないのだ。
「…………もう、いいわ」
バレンシアは、ガルアの目を真っ直ぐに見返した。
「私も、貴方にはついていけない。もう貴方を信頼できない。だから……」
ここで、お別れよ──。
バレンシアは、涙で霞んだ視界の中、ガルアが不思議と満足げに微笑するのを見たような気がした。しかし、彼女はガルアの前にいることに耐えきれなくなり、逃げるようにテントを飛び出した。
「酷い、酷いじゃない……。私は……ずっと貴方のことを信じてたのに……」
凍てつく漆黒の闇の中に、バレンシアの嗚咽が響く。
しかし、哀切な泣き声に応えるものはなく、辺りには無情な冷風が空を斬る音だけが谺していた。




