連合軍
どこまでも続く枯れた大地の向こうに、凍てつく峰々が連なる。皇国領とアルトネアの境にあるコルチャーク山脈の上に広がる重たい雪雲は、帝国軍伍長──トワ・ピトンの心を曇らせた。
「あの山の向こうはもうアルトネアか。既に皇国軍が張ってるらしいが、今はどんな状況だ?」
ピトンに返答を求められた人物は簡素なテントから顔を覗かせ、唸るように答える。
「敵に動きはない。よって自軍にも動きはない。つまり、俺は暇なんだ」
冷えた空気に触れ顔をしかめたのは色彩魔導師のトロギルだ。彼はあくまで暖かいテントを出ようとはせず、内に引っ込みながらピトンに嫌味を投げかけた。
「そんな薄着でよく寒くないな。なるほど、一族の特性通り心まで凍りついてるってわけか」
「その嫌味は俺じゃなく参謀副長に言ってやれ。きっと喜ぶぞ」
参謀副長という単語にトロギルが微かに顔を歪める。どうやらガルアは皇国の人間にはすこぶる不評らしい。
「不遜で不愉快な若造の話はやめてくれ。なんだ、あの爬虫類じみた目は。見るたびに鳥肌が立つ」
トロギルの言葉にピトンはつい軽く苦笑いを浮かべた。その言い分には納得できると思ったのだ。ピトンは太った色彩魔導師の後を追ってテントの垂れ幕をくぐり、雑然とした内部に適当に腰を降ろした。
「あんたとは仲良くなれそうだよ、ロブリエナッツ。実際俺たちはもう協力者なんだから、少しは心を開いてくれよ」
「お断りだ。いっとくが、俺はフレーザー一族自体が嫌いなんだ。狡猾で打算的で、時間という神の領域を平然と侵すあんたら自体がな」
ピトンはトロギルと会話するのを諦め、部屋の中央を陣取る地図を黙って眺めた。トロギルの色彩魔導が施された地図は、それこそ見やすく華やかで、見る分には普通の地図より楽しくもある。
しかしながら、ピトンは地図を見ることで皇国と帝国の明らかな人材格差を痛感した。ヴァルモニカの指示のもと優れた才能の発掘と登用が進められる皇国とは対照的に、貴族や議会の腐敗が著しい帝国では、才能よりも家柄と金が物を言う。実際議席のほとんどは名門貴族や我執に取り付かれた古参議員などに占領されているし、そこに外部から新たな若い才能が入る隙などない。軍部にしてみたって、上層部の軍人はたいがい官僚や貴族と金で繋がっている。
要するに今の帝国を動かしているのは、地位と権力の上で私服を肥やすような俗物どもばかりなのだ。
自国の現状を改めて思い知り、ピトンは無意識に自嘲めいた笑みを浮かべた。数ヶ月前ガルアが単独で皇国との同盟を決行したのは、つまり彼が帝国を見限ったのは、決して権力への欲求や保身のためではなく、皇国がこれからの時代を先導する存在になり得ると考えたからだろう。要するに、今の腐敗した帝国の政治家と軍上層部では、勢いを増す皇国には適わないだろうと踏んだのだ。
ピトン自身も、帝国内で横行する汚職や職務濫用にはうんざりしていた。ピトンたちのように軍部の底辺に位置する人間が戦線でどんなに体を張って戦ったって、帝国の心臓部である議会や官僚たちが無能では戦に勝てるはずもない。
ただ、参謀本部に非常に優秀な人材が多いことは確かだ。彼らは膨大な知識量をもとに策略を練ることにおいては世界最高峰の集団だと言えるだろうし、実際今まで帝国が永らく栄えてきたのは彼らのおかげと言っても過言ではない……参謀たちが人間的にも良くできているかどうかは別として。
それにしても、その選ばれし頭脳の持ち主である参謀副長ガルアは、何を考えてアルトネア制圧を宣告したのだろうか。皇国、もといヴァルモニカと協力関係を結ぶため、という理由だけでは、アルトネアを攻撃することに費やす労力は割に合わないような気がする。そもそも、ヴァルモニカと密約協定を結ぶことだけなら過去にも不可能ではなかったはず──。
そんな疑問に突き当たったピトンが、相変わらず腹の内が読めない上司の言動に思い巡らせていると、トロギルがふいに盛大に舌打ちした。ピトンが怪訝な表情でトロギルに目をくれると、トロギルはテントの入り口に顎をしゃくってみせる。
「お前の部下じゃないのか」
すると、外から冷えた金属より冷たい女性の声が響いた。
「こんなところで油を売るな、伍長。お前はヴァルモニカの配下にでもなるつもりか」
ヴァルモニカを平然と呼び捨てにした女性に、トロギルが物騒な言葉を返す。
「気をつけろよ、ナスカに聞かれたら間違いなく刺されるぞ」
「ナスカとやらに興味はないし、帝国の人間である私がヴァルモニカをどう呼べばいいかなど知ったことではない。いいから早く出てこい、ピトン。向こうで部下がお前を恋しがってる」
ピトンは渋い表情で立ち上がり、トロギルを一瞥してから垂れ幕をくぐった。案の定外には、ピトンが率いる第七部隊の女兵長アザト・ゲガルドが立っていた。
無表情でピトンを睨みつけるアザトに、ピトンは口をへの字にしてみせる。
「部下が俺を恋しがってるなんて、嬉しくない冗談だな。それともなんだ、俺がいなくて寂しかったのか、アザト」
「それこそたちの悪い冗談だ。私がそんなかわいい女なら、軍人になどなっているものか」
アザトは少しも楽しくなさそうにピトンの言葉を受け流すと、ふいに声を落として囁いた。
「真面目な話、あまり皇国の人間と親しくしようとするな。兵の中には、お前が皇国に取り入るつもりじゃないかと疑ってる奴もいるようだ」
「おいおい、それじゃあ同盟を結んだ意味がないだろ。俺だってヴァルモニカや皇国に対する反感がまるっきりなくなったわけじゃないが、いつまでも過去の関係を引きずっていがみ合ってちゃつまんねぇよ。そんなことじゃ、この軍団は仲間割れで自滅しかねん」
そう返されたアザトはしばらく黙ってピトンを見つめていたが、ふいに溜め息を零した。
「お前は随分と割り切りがいいんだな。それに、祖国に対して薄情でもある。確かにお前の考え方は合理的で懸命かもしれんが、今の今まで敵対していた我々がそう簡単に団結できるとは思えん」
アザトは言葉を区切り、向こうに点在する元帝国軍団のテントに目を向けた。アザトの鋭く端整な顔立ちはどこか暗く、これからの戦いに対する懸念を暗に示していた。
「皇国との戦争で親類や友を亡くした者もいる。それは向こうも同じことだ。そんな今の関係から両者が本当の意味での協力関係を築くためには、お互いの痛みに対する理解と歩み寄る努力が必要だろう。だからこそ、今回の同盟は危険な賭けだと感じる。この同盟が良い方向に転がればそれは両国にとって大きな転機と進展になるだろうが、そうでない場合は……」
アザトは最後まで言わず、口をつぐんだ。ピトンも黙って雪山を見つめ、二人はしばし不安を共有する。
──そうでない場合は、俺たちが潰される。数でも立場でも劣るのだから、それは確実だ。
今のところ元帝国軍団が無事でいるのは、両軍が不満を我慢しているという理由ももちろんのことだが、一番はヴァルモニカがガルアの才能を買っているからだろう。二人は同盟締結後から良好な関係を維持し、良き指導者と参謀といった協力関係を示している。だから皇国軍は迂闊にガルアの配下に手を出そうとしないし、元帝国軍団も皇国に庇護してもらっているという意識から下手に反抗はしない。つまり、両者は絶妙な力の均衡を保ちながら関係を維持しているのだ。
「実際のところ、私も皇国に対する敵対心は未だに拭えない。それに、帝国を裏切ったという罪悪感もな。軍国主義の帝国は確かに息苦しい国家ではあったが、やはり私の祖国だ。ヴァルモニカは帝国が皇国に帰順すればあくまで平和的に対応すると言っていたが、果たして信用してもいいのかと逡巡するのも事実」
ピトンはアザトの懸念に頷き同感の意を示すと同時に、少し投げやりになって独り言のように呟いた。
「ヴァルモニカとガルアが帝国をどう崩していくかは考えたくねぇが、どう転んだって俺たち下っ端にはどうしようもないことだ。だから俺はあいつらの命令に従うし、帝国を裏切ったこともあまり気にしない。元々俺は忠誠心に厚い男じゃねぇし、生きるために必要なら仕方ないことだろ」
「お前は本当に適当だな。ならば問うが、何故軍人になった?」
険しい表情のアザトに、ピトンは澄ました顔で答える。
「他に良い生き方が思いつかなかったからな。俺んちは貧乏な商家で、跡を継いだところでまともに稼げたとは思えん。貴族の生まれでもなし、金もなし、勉学も並とくりゃあ、一番ましな生活ができるのは軍人になるって道だろ」
「戦場にあって平静でいるためには戦う理由が必要だ。お前は何のために戦っていた? 祖国のためではないのか?」
「単純に死にたくなかったからだ」
ピトンは素っ気なく答えると、アザトに苦笑してみせた。
「ライグはもちろん帝国への忠誠心から戦ってたんだろうがな。生憎俺は自分が一番かわいい小心者なんだよ」
『ライグ』という名前を聞いて、アザトが微かに動揺を目に浮かべる。ピトンはおどけたような笑い声を上げ、帝国軍団のテントの群れに向かって歩き出した。
「気にすんな、あいつがガルアと合わないのはわかってた。だから、ガルアに反発して出て行ったって聞いてもそんなに驚かなかったよ」
「しかし……軍曹はお前の友だった」
アザトはあえてそれ以上言わず、ピトンの後について歩き出す。ピトンはアザトが言いたいことを理解し、闇が深さを増し始めた空を見上げた。
「別に裏切られたとは思ってねぇよ。あいつらしい選択だったと思うし、俺はその信念を尊重したい。中にはそんなの自分勝手だと貶す奴もいるみたいだが、言いたい奴には言わせておけばいいんだ」
そう、誰に何と言われようが己を貫く強さがあいつにはある。良くも悪くも、それが俺とあいつの違いなんだ。
ピトンは心の中でそう続け、吹き付ける冷たい風を胸一杯に吸い込んだ。行方の掴めない友も、もしかしたら同じように冷たい風に抗っているのかもしれないと、感慨深く思い巡らせながら。




